普段この家で聞くことのない低い声と豪快な笑い声がだんだんと近づいてくる。
清雅は読んでいた本から目を離し、襖を見た。
程なくして姿を現したのは美胡と口元を緩める海堂だった。
「清雅さま、海堂さまがいらっしゃいました」
海堂を案内し、茶の用意をするからと美胡が席を離れると、明らかににやにやとする海堂と二人きりになった。
「いやぁ、元気そうだねぇ」
「なにしにきた」
「なにしにってひどいなあ。一人寂しく過ごしているであろう清雅の見舞いにきたはずなのに、いつの間に結婚していたの?」
「……」
前のめりに調子よく聞いてくる海堂は幼馴染であり、清雅が隊長を務める異形討伐特殊部隊の副隊長だ。気難しい清雅に気軽に話せ、尚且つ軽口を叩ける唯一の存在である。副隊長として頼りにはなるが、この軽い性格についため息を吐きたくなってしまう。
「それにしても可愛らしい奥さんだねぇ」
「ふん、興味ない」
「そうなの? 清雅のこと優しいって言っていたぞ」
「……は?」
思わぬ言葉に清雅は聞き返した。
「失礼致します」
その時、ちょうどお盆を持った美胡が顔を覗かせ、話は中断する。
こんな自分を優しいと感じるなんておかしい。海堂にお茶を渡している美胡を盗み見ていると、目が合った。
「何かありましたか?」
「いや。なんでもない」
今までの美胡の動作や海堂の言葉が頭を駆け巡っていく。
よく考えてみれば、常に仕事一筋で無愛想な自分に対して普通に明るく接してくれた人は多くなかった。皆、清雅に気を遣い、おどおどする中で美胡は最初から態度が一貫していた。それ以上に強引なところもある。
(優しくしたつもりはないが、あの娘にはそう捉えられていたのか? いや、世の中にはもっと優しい人がいるだろう)
やはり不思議な女だと思う。
茶を淹れ終えた美胡はお盆を片手に立ちあがろうとしたが、腰を浮かせた途端、音もなく清雅の方に倒れてきた。
ゆっくりと傾く身体に驚きつつも、清雅は美胡を抱き留めた。
「申し訳ございませんっ。少し足がもつれてしまいまして……」
美胡は恥ずかしそうに笑いながら清雅の腕から離れようと身を動かした。しかし、清雅は腕の力を強めそれを阻止する。
「……え?」
なかなか離れない清雅に美胡は戸惑いが隠せないようだった。
「……体調は大丈夫か?」
「え? はい、元気です」
「なら良いのだが。無理はするな」
それだけを伝え解放する。清雅の腕から解き放たれた美胡の頬はほんのり赤みを帯びていた。そして逃げるように部屋を出ていく。
清雅は大きく息を吸い込み、吐こうとして固まった。
視界の端にこちらを見てニヤリと笑う男の存在を思い出したからだ。
「ふーん。清雅が心配するとはねぇ…… なんだか良い雰囲気だなぁ」
「……うるさい」
海堂の目前で繰り広げてしまった今の光景に清雅は盛大なため息をついた。
「でもお前を支えてくれる人がいてくれて安心するよ。お前はなんでも一人で抱え込んでしまうんだから息抜きや癒しも必要だろう」
「別にそんなわけでは……」
「まぁまぁ。美胡さんのこと大切にしろよ」
(大切か……)
大切とか恋とか愛とかよく分からないし、自分には無縁だと思っていた。
だが、あの娘のことは気になる。
咳込んでいる姿を見たあの夜から、度々苦しそうな咳の音が聞こえてくることが増えたのだ。
無理をしていないか。
本当は何かを抱えているのではないか。
そしてあの夜、涙を流していた本当の理由は何だったのか。
気付けば、そんなことばかり考えている自分がいた。
だが、直接本人に問うことが難しい。結婚に興味がない、干渉するなと自分が言った手前、清雅自身が美胡を気にかけている素振りを見せられないと思ってしまう。
(……らしくないな)
清雅は小さく息を吐いた。
——彼女のことが知りたい。
この気持ちはなんだろう。
清雅の中で芽生えた感情を自覚するにはもう少し時間がかかりそうだった。


