「失礼致します」
「入れ」
この日もいつものように夕食後に清雅の部屋へ向かった。
清雅は基本部屋で本を読んでいる。一回だけ涼子に頼まれて、取り寄せた本を届けに行ったが、文字がびっしりと敷き詰められた美胡には難しい本だった。それを涼しい顔で読んでいる清雅を見れば、頭が良いことが理解できる。
「治癒力を注ぎに参りました。今お時間よろしいですか?」
「あぁ、頼む」
清雅は本に目を向けたまま、左手を美胡に差し出した。清雅の中で美胡への警戒が少しずつ解けてきたのだろう。今までは仏頂面でちらちらとこちらの様子を伺っていたが、最近は向こうから手を伸ばしてくれるようになっていた。
「失礼致します」
美胡は清雅の左手を挟むように自分の手で包み込み、深呼吸を繰り返した。
(良くなりますように……)
いつものように願いを込めながら力を注いでいた時だった。
「おい」
珍しく清雅から声がかかり、思わず目を開く。そして顔を上げた美胡は目を見開いた。
すぐそばに清雅の整った顔があったのだ。
「……へ? あ、あの」
思わず身体を後ろに引きかけた美胡だったが、清雅の左手に力が入り身動きが取れない。清雅はまじまじと美胡を見た。
「……お前、今日いつもと違うところはないか?」
「……へ?」
突然の質問に、美胡はたじろいだ。いつもと違うところとは何だろう。日中も普段と変わらず家事をして過ごしていたし、料理だって特別違うものを出したわけではない。清雅の圧に頭が混乱していく。
「私何かお気に触るようなこと……」
肩をすくませながら尋ねてみると、清雅は大きなため息を吐いた。
「自分じゃ分からないのか?」
「?」
「お前、熱があるんじゃないか?」
「……熱、ですか?」
自分で顔を触る前に清雅の右手が伸び、美胡の頬に触れた。美胡の頬を包み込む大きな手。ひんやりとしていてとても気持ちが良かった。
「やっぱりな」
清雅は呟いた。言われてみればなんとなくいつもより力が入らない気はしていた。日中に庭の手入れを手伝い、日に浴びる時間が長かったから疲れたのかなと軽く考えていたが、まさか熱があったとは。
「申し訳ございません…… 私、全く気が付きませんでした」
頬に触れる清雅の手の冷たさを感じながら、美胡は視線を下に向けた。治癒する人が、体調を崩しては元も子もないではないか。申し訳なさや恥ずかしさが浮かび上がった。
「数日前の晩も咳き込んでいたしな。あの時から具合が悪かったのではないか?」
「……咳、ですか?」
清雅の話に美胡の頭に疑問が浮かんだ。なぜなら、自分が咳をしていた自覚がなかったから。
「私、咳をしていたのですか?」
「は? 結構酷い咳をしていたのに自分で気付いていなかったのか?」
「は、はい……申し訳ございません」
目を丸くさせ、声を低くした清雅に美胡は身を固くした。
咳の自覚はなかったが、原因は思い当たる。
きっと治癒力の使いすぎ、だ。
「いや、別に怒っている訳ではないからそんなに縮こまるな。ただ、今日はもう休め」
「いえ! 私なら大丈夫です。……こればかりは仕方ありませんから」
「仕方がない? どういうことだ?」
「い、いえ! なんでもありません」
治癒力のことが知られてはいけないと慌てて首を左右に振る。上から清雅のため息混じりの声が降ってきた。自分を心配してくれている清雅の気持ちは嬉しかったが、ここで甘えてしまってはいけない気がする。
「さぁ、まだ治癒の途中ですから手を貸して……っ」
勢いよく顔を上げれば、至近距離で視線がぶつかった。その深い紫色の瞳に吸い込まれそうになる。
「治癒は明日以降でもできるだろう。お前が寝込んでは誰が私を治癒してくれるんだ?」
「それは……」
「無理をするな」
強い言い方。けれどもその言い方に恐怖も嫌な感じもしない。
美胡を心配してくれているのが、その真剣な表情から伝わってきた。
(こんな私を心配して下さっている……?)
美胡は身動きが取れずにいた。胸の中がさわさわとくすぐったい。
「自分をもっと大切にしろ」
「ありがとう、ございます……」
正直嫌われているとばかり思っていた。自分が知らない間に勝手に婚姻を結ばれ、私的な空間に入り込んだのだからそれでも仕方がないと腹を括っていたのに。
それなのに今自分に向けられている目はとてもあたたかい。生家では向けられたことのない視線に美胡は嬉しく思いつつも、戸惑いが隠せなかった。


