愛を知った冷徹軍人と、契約婚から本当の夫婦になるまで

「……あの、これも必要なものなのでしょうか?」

 奈月は目の前にずらりと並べられたいろんな種類の指輪に困惑の顔を浮かべ、そっと時人を見上げた。
 舞踏会に参加することが決まった数日後、時人が言ったとおりふたりは揃って百貨店へと出かけ、必要な品を買い揃えていた。
 ドレスと装飾品は比較的すぐに決まった。奈月自身にこれといって希望がなかったことや時人が奈月のこれまでを考慮して、時人や店員が選んで見せてくれた物の中から時人と相談して選ぶ、という形式にしてくれたからだ。時人が社交界に滅多に顔を出さないとは思えないほど、ドレスや装飾品に詳しく的確に選び抜いてくれていたことも大きな理由だっただろう。
 初めて自分の物を自分で選ぶという経験にかなり緊張していた奈月だったが、時人のおかげでずいぶんと負担は少なかった。ひととおり選び終えたころには(買い物とはこういうものなのね……少し楽しいかもしれないわ)と、汐里や母が度々買い物に出かけている理由が少しわかるほどになっていた。
 とはいえである。基本的な考え方や習慣などがそう簡単に変わるものでもない。これでようやく終わったのだとほっと一息ついたところへ持ってこられた、今日一番数のある指輪たちには、動揺が隠せなかった。
 驚きと困惑でいっぱいな奈月を落ち着かせるよう、とんとん、と時人が奈月の背中を軽く撫でる。

「ああ。結婚指輪だからな。まだあなたに贈っていなかったから、今日一緒に選んでもらおうと思っていたんだ」
「結婚指輪……」

 そういえば、と奈月は左手薬指に視線を落とした。
 滅多に見かけない父と母だったが、一度左手薬指に揃いの指輪をしていることを見たことがある。結婚に関して書かれた書物にも、結婚して夫婦となれば契約の証としてお互いの異能を閉じ込めて作った異能石を使った指輪を贈り合う風習があると書かれていた。
 契約結婚で、調査を終えれば先のない関係だ。指輪がなくとも支障はないはず。そう考えると同時に胸の奥がつきりと痛んだが、奈月は気づかなかったふりをして左手薬指の根元に触れた。

「異能石の用意や埋め込みには時間が必要だ、舞踏会までには間に合わないだろう。だからといって指輪をせずに行くわけにもいかない。ひとまず今日意匠を決めて、しばらくは仮の指輪で過ごせたらと思うんだが、大丈夫だろうか?」
「はい、もちろんです。意匠は、この中から?」
「ああ、ここにあるものをひとまずすべてだしてもらったんだ。数がここまで多いとは思わなかったが……他の店で見たければ、他の店で見てみても構わない」

 奈月は目の前の机に置かれた、数多の指輪を最初から順番に見ていった。どれも素敵だと思うが、それだけだ。少し前まであった買い物が楽しいという気持ちはとっくになくなっていて、どれかを選ばなければならない、というのはとても難しく感じた。
 だが中頃まで見進めたところで、ふと目に止まるものがあった。他のものと比べるまでもなく素朴な意匠だが、連なるようにいくつか宝石が埋め込まれている。その宝石が異能石に変われば、その数だけ相手を近くに感じられるような――そんな意匠。
 奈月の視線の先を的確に見抜いたらしく、時人は奈月が見ていた意匠の指輪を手に取った。

「これは異能石の数が多いから制作に時間もかかるだろうが、その分俺の異能ならあなたを守れる回数も増えるな」

(……勘違い、しそうになってしまう)

「他に気になるものがなければ、これにしようと思うが……どうだろうか?」
「はい。それで……いえ、わたしは、それがいい、と思いました」

 時人は一瞬自分の耳を疑うように耳元に手を当て、目を見開いた。まじまじと奈月を見つめる。だが奈月の口にした言葉に変わりがないとわかるや否や、かすかに表情を優しく崩した。奈月へ向ける眼差しはあたたかく、柔らかい。

「そうか。ならばこれにしよう」

 時人は奈月の左手を取り、手に持っていた奈月の目に止まった意匠の指輪を、薬指にそっと嵌めてくれた。
 まだ指輪に嵌められている石は異能石ではないただの宝石だが――それでも、時人の存在をより近くに感じられるようになったのは、きっと気のせいではなかった。
 いつも以上に早く脈打つ心臓に、耳まで鼓動が聞こえそうだと奈月は思いながらお礼を伝え、かすかに赤らんだ顔を隠すように俯いた。けれどそうすることによって指輪がすぐ目に飛び込んできて、余計に心臓がうるさくなった。

 × × ×

 指輪まで買い物を終えたふたりが百貨店の中に用意されている貴族用の接待室を出て、食事でもと話しているときだった。

「いらないって言ってるでしょ!?」

 カンっと、金属が何かにぶつかって跳ねる音がした。驚いて振り向いてしまうと、そこには険悪な雰囲気の男女がいる。ころころころ、と静かに転がってきた金属の塊は不運にも奈月の足に当たって、ようやく止まった。

「私……私、あなたと結婚なんてできないわ! しちゃだめなのよ!」
「だから、俺は気にしないって言ってるだろ!? 君が望んでした結婚じゃなかったんだから、不受理申請だって通るはずだって!」
「でも、知らない間に全く知らない人と結婚していたのよ!? そんなの……そんな相手を、どんな事情があったって、あなたのご両親が許すはずがないし、私が私自身を許せないのよ……」

 女は悲壮感に溢れた様子でへたり込み、わあ、と泣き出した。男はオロオロしているが、女の方を抱きしめ何度も、何度も言い聞かせるように「大丈夫だから」「どんな君でも愛してる」「君以外考えられない」など甘い言葉を囁いている。
 ここは貴族用の接待室だけが並ぶ区画である。ということは当然男女も貴族だろう。そんな人たちが人目も気にせずここまで取り乱すなんて、いったい何があったのだろうか。
 奈月と時人は顔を見合わせた。時人は深刻な顔で頷き、迷いのない様子で男女の元へ歩いて行いった。奈月は足元に転がってきていた指輪を拾い上げ、室内灯の明かりにかざす。
 指輪に嵌められた石がきらりと光り、弱々しい声を放った。

『苦しいよ……歪められてるよ……どうしようもできないよ……』

 抽象的な声の意味は分からない。だが、異能石にこめられた異能が弱まっている気配は感じられない。ふいに、本来この異能石にこめられる異能とは違う、別の異能か何かが介入したことでこれほどまでに弱々しく、この言葉選びになったのではないかと気づいた。
 ちらりと時人を見やる。男女を宥められたらしく、話の内容までは分からないが聞き取りをしているところだった。

(それなら、わたしはわたしの仕事を……)

 指輪に嵌められた異能石に触れ、目を閉じて耳を澄ませた。相変わらず異能石の声は弱々しく助けを訴えかけるようなものだけだ。他に何かの気配は感じられない。
 やはり気のせいか、力の使い方が悪いのか――そんなふうに気を落としかけたときのことだった。ジジ、とわずかだが異能の声にノイズが走り、別の声へと置き換わる。
 ほんの一瞬、痕跡と呼ぶにはおこがましいほどのものであったが、だからこそ逃すまいと必死に置き換わった声に意識を向けて手繰り寄せた。集中しすぎたせいで額には汗が滲み、頬から顎へ伝い首筋を流れていく。

「……い、おい! 大丈夫か!?」
「え……あ、えっと、どう、されましたか?」

 いつのまにかガッツリ両肩を時人に掴まれていた。驚いて目を瞬かせていると、じい、とこれでもかと言うほど心配の色を滲ませた時人の視線が降り注ぐ。

「どうもなにも、それはこちらの台詞だ。あなたが微動だにしないうえに凄い汗をかいているから、なにかあったのかと」
「あ……申し訳ございません、その、異能の声を追いかけるのに夢中になってしまいまして」
「……そうか。それなら、よかった。だが次からは、声をかけてからにしてくれ。肝が冷えた」

 時人は奈月の無事を確認するよう頭のてっぺんから爪先までを見回し、首筋と額、頬に浮かんだ汗を手ぬぐいで拭っていく。

「生まれ持った異能とはいえ、使いすぎると反動がある可能性がある。無理はしないでくれ」
「はい。次からは気をつけます。……ですが、おかげで少し、わかったことがあります」
「なんだ?」
「あの方々の結婚指輪の異能石から、ひとつですが、いつもの証拠品から聞こえてくる声がしました。いつもひとつだけで聞こえてくるほうの異能です。詳細までは掴めませんでしたが……あの結婚指輪が犯行に使われた恐れと、それから……あの、本当に違うかもしれない、不確かな情報で、お話することも憚られる、感のようなものなのですが……」

 奈月が言うべきか否か、迷っている間も時人は催促することも誘導することもなく、ただ奈月が下す決断を静かに待ってくれていた。
 だからこそ奈月は覚悟を決めた。すう、と大きく息を吸い込み、そして。

「わたし、この異能を知っている、かもしれません」
「なに?」

 時人は目をこれでもかと釣り上げ、じっと奈月を見つめた。

「あなたが知っていると言うことは、あなたの家の人間以外あり得ない。……そう思って構わないな?」
「他の選択肢はございません。逢坂の家の人間以外、あり得ないです。ただ誰、とまでは断定できません。触れたことがある人は限られているので、ある程度は絞り込めますが……」
「いや、十分すぎるほどの情報だ。逢坂の家の人間をまとめた書類を用意するから、その中から可能性のある人間を教えてくれ」

 時人の声はいつもと変わらないようでいて、普段よりもずっと弾んでいるように聞こえた。進展があったかもしれないのだ、当然かもしれない。
 その声の、表情の変化を奈月が引き出せた事実と、役に立てたかもしれないことがなによりも奈月を嬉しい気持ちにさせて、自然と顔が緩む。
 時人は一瞬目を瞬かせて奈月を見ていたが、すぐに「んんっ」と咳払いをして顔を逸らしてしまった。きっと奈月の顔があんまり見られたものではなかったのだろう。申し訳ないことをしてしまった、と奈月はすぐに表情を引き締めた。

 × × ×

「聞いたところによると、この指輪、一度本人が取りに来ていたらしくてね。……その本人は、そんなことはしていないと言っているんだが」

 くるりと椅子を回して時人と向かい合った国見は、依頼した調査結果を教えてくれた。
 百貨店での出来事からすぐ、調査している事件の参考人になりそうな男女は軍部の人間への同行を要請し、時人自身は奈月を自宅へと送り届けたその足で軍部へと向かい、諸々の情報を国見に共有していた。
 裏取りや調査には数日かかったが、奈月の話はほぼほぼ間違いないだろう、という結論に至った。

「目的はわからないけれど異能を使って結婚指輪を回収し、婚姻届を提出、その痕跡が指輪にも届出にも残ったのだろう。……というのが今のところの見解かな。絞り込みはどうだい?」
「彼女がこれまでに異能の声が聞けるほど接近した相手は数名だ。逢坂男爵にその妻、長男、次女。使用人は五名。ただし、逢坂男爵と妻、長男は異能が発現した直後の話だから不確実だという話で、次女の異能は度々浴びせられてたから違うと分かる、とのことだ」
「うーん、嫌な判別方法だね。奈月さんには美味しいものを食べてゆっくり過ごしてほしいし二度と逢坂と関わらなくていいように、と思ってしまうよ」
「万が一の場合も矢面に立たせるつもりはないし、本人が望まない限り二度と会わせるつもりはない。……今度の舞踏会で鉢合わせそうで嫌だがな」
「絢瀬公爵だからねえ。逢坂も多分呼んでると思うんだよ。まあでも、他の人もかなり多いし、うまくかわす方向で行こう」

 国見は肘を机の上に置き、組んだ手に顎を乗せた。にこにこと人好きのする柔らかい笑みを浮かべて時人を見ている。

「ところで、時人。奈月さんとはどう?」
「……どう、とは?」
「そのままの意味だよ。ずいぶんと仲良くなったみたいだなって嬉しくて」
「はあ……?」
「ああ、その反応は自覚があんまりないのかな。まあ時人だしなあ、予想はしていたけれど」
「何が言いたい?」

 今にも射殺してしまえるほど冷たく鋭い時人の眼差しにも国見は一切動じず、朗らかな笑顔を浮かべたままだった。

「ねえ、時人。気づいてる? 自分が奈月さんのこと、とっても大切にしてるってこと」
「当たり前だろう。こちらの都合に付き合わせているんだ、これぐらいは当然……」
「の範疇は超えてるんだってば。だって奈月さんの境遇と、調査に巻き込むことは関係ないでしょう?」

 何を言うまでもないことを、と時人は眉尻を釣り上げたが多少の自覚はあったらしく、反論の言葉を口にすることはなかった。

「こういうのは、早く認めてしまったほうが予後はいいよ」
「……考えておこう」
「迷いが消えたら、僕にも経緯を教えてほしいな」
「馬に蹴られて死にたいのか?」
「やだなあ、親友の恋路が気になるのは当然じゃない?」
「暇なら仕事でもしてろ」

 時人は持っていた書類を国見の頭頂部を叩くように押し付けた。そして踵を返し、国見の執務室を出ていく。
 国見はそんな時人の後ろ姿を微笑ましそうに眺め、頭の上にあった書類を手に取った。

「いいなあ、青春だ。……はは、舞踏会、かなり楽しみかも」