冷徹親王の囮妃は、刺客を狩って路銀を稼ぐ~愛のない契約結婚のはずが、気付けば異様に執着されているようです~


「一つ、質問をしてもよろしいでしょうか」

「なんだ。命乞いなら聞かんぞ」

「いえ。その『囮』としてのお役目中、日に二度……いえ三度のお食事と、屋根付きの暖かいお部屋に、お布団なども支給されますでしょうか」

 玄朱が、初めてわずかに目を丸くした。

「私の日々の最優先事項は『明日の米』と『安全な寝床』の確保なのです。刺客に狙われるのは一向に構いませんが、空腹で眠れないのは困ります。ひもじくて倒れないように、お食事と雨風を凌げる部屋をご提供いただけるのでしたら、その契約、喜んでお受けいたします」

「お前……自分が何を言われているか分かっているのか? 常に命を狙われるのだぞ」

「ええ。路地裏で、飢えた野犬や身ぐるみ剥ごうとする強盗から寝床を守るのと大して変わりません」

 茉莉はそこで、少しだけ首を傾げた。

「あ、それから。もう一つだけ交渉させていただいても……?」

「……言ってみろ」

「もしも正式に契約を交わす場合、以下の三か条を書き加えていただきたく存じます」

 しんと、執務室が静まり返った。
 怯えるどころか、妙に淡々とした声で交渉を始めた茉莉に、玄朱はわずかに眉をひそめた。
 控えていた側近の飛燕も怪訝そうな顔をする。

「三か条だと?」

「はい。一つ、お役目中の身の安全を守るための、私自身の武力行使および罠の設置許可」

「……勝手にしろ」

「二つ、私が捕縛、あるいは撃退した曲者から没収した武器や持ち物の、『恩賞』としての拝領。およびその売却の許可」

「売却……?」

「三つ。これが一番重要でございます。お役目中に私が負った怪我の治療費、ならびに『慰謝の金子』の都度請求。命の危険を伴うお仕事ですので」

 言い切り、茉莉は毅然とした態度で玄朱を見上げた。

「以上の特記事項を考慮していただけるのであれば、この命、一年間喜んで殿下の身代わりとして差し出しましょう」

 茉莉にとっては切実な問題だった。
 罠を仕掛けて獣を狩るのも、屋敷で刺客を狩るのも、要は同じことである。
 どうせ狙われるのなら、効率よく路銀を稼ぎたい。

 静まり返る親王の執務室。

 先に茉莉と接触していた側近の飛燕すら、親王殿下に対して「怪我の慰謝料」と「曲者からの戦利品」の交渉を始めた茉莉を見て、信じられないものを見るように息を呑んでいた。

 玄朱もまた、虚を突かれたように目をわずかに見開いている。
 金に目が眩む者も、権力にすり寄る者も山ほど見てきた。
 だが、命のやり取りを前提とした暗殺の身代わりという役目に対して、ここまで図太く、徹底的に損得勘定だけで渡り合おうとする存在は初めてだった。

 やがて、玄朱の喉の奥から、微かな吐息が漏れた。

「……可愛気も何もない女だ」

 呆れ果てたような、しかし、どこか面白がるような響きだ。
 敵に対しては一切の容赦を持たない彼にとって、中途半端な情や恐怖で動く人間ほど信用ならないものはない。
 その点、この女の動機は極めて明快で、ある意味で信頼に足る。

「よかろう。そのふざけた条件、すべて呑んでやる」

「ありがとうございます。では、言質は取りましたので」

 茉莉はほっとしたように、一礼した。

「これから一年間、何卒よろしくお願いいたします。玄朱様」

「ああ。お前がどれだけ私を楽しませてくれるか、期待しているぞ……私の(・・)可愛い妃(・・・・)

 愛など微塵もない。
 あるのは、がめついまでの生存戦略だけ。
 こうして、没落令嬢と氷の親王による、明日の米のための偽装結婚の幕が上がったのだった。