冷徹親王の囮妃は、刺客を狩って路銀を稼ぐ~愛のない契約結婚のはずが、気付けば異様に執着されているようです~

 茉莉が深手を負ったあの日を境に、奥御殿へ送り込まれていた刺客や呪詛は、文字通り「ぴたり」と止んだ。
 止まらざるを得なかったのだ。

 黒幕であった対立派閥の筆頭である左大臣家をはじめ、彼らに与していた貴族たちは、玄朱の手によって完膚なきまでに叩き潰された。
 不正の証拠を容赦なく白日の下に晒され、一族郎党ことごとく流罪、あるいは蟄居閉門。
 武力で抵抗しようとした者たちは、玄朱直属の精鋭部隊によって一夜にして制圧された。
 「氷の親王の逆鱗に触れた」
 
 ——朝廷を吹き荒れたその粛清の嵐は、あまりにも手際が良く、そして冷酷無比であった。

 圧倒的な力と恐怖を前に、もはや玄朱に異を唱える者は誰一人としていなくなった。
 
 そして季節が冬から春へと移り変わる頃。
 帝より正式な(みことのり)が下り、玄朱は正式に「東宮(とうぐう)」、すなわち次期皇帝としての地位を確固たるものにしたのである。

 「——九千九百九十八、九千九百九十九……一万。ふふっ」

 奥御殿の離れ。
 すっかり傷も癒えた茉莉は、畳の上にうず高く積まれた金銀財宝や小判の山を前に、鼻歌混じりで算盤を弾いていた。
 
 あの襲撃事件以降、玄朱の茉莉に対する過保護ぶりは異常な領域に達していた。
 少しでも咳をすれば高名な薬師が飛んでき、食事はすべて玄朱お抱えの料理人が腕によりをかけた滋養強壮の薬膳。
 部屋には毎日のように、目も眩むような反物や宝玉が「見舞い品」という名目で運び込まれてきた。

 (利子をつけて払うとは仰っていましたが、まさかここまで気前が良いとは。やはり大口の雇い主様は違いますね。流石は次期帝です)

 茉莉は、玄朱の異常な執着と過保護を、すべて「優秀な身代わりに対する手厚い保証」と「次期東宮としての財力の誇示」だと完全に勘違いしたまま受け入れていた。

「さて、と」

 算盤を置いた茉莉は、傍らに広げていた分厚い和紙の束を手に取った。
 それは飛燕に頼んでこっそり取り寄せてもらっていた、都の郊外にある土地や建物の『権利書の写し』である。

「約束の基本報酬に、これまでの戦利品を売却した利益。そしてこの莫大な慰謝の金子……。これなら、国外に出ずとも、郊外でそこそこ大きな茶屋を開いて、残りの人生を悠々自適に暮らしていくには十分すぎる額です。畑付きの平屋も買えそうです」

 そう、玄朱が正式に東宮となった今。
 二人が結んだ『次期東宮の座が確定するまで』という契約期間は、見事に満了を迎えるのだ。
 暗殺者もいなくなり、身代わりとしての役目も終わった。
 つまり、円満退職の日が近い。