冷徹親王の囮妃は、刺客を狩って路銀を稼ぐ~愛のない契約結婚のはずが、気付けば異様に執着されているようです~

 茉莉が次に目を覚ましたのは、与えられていた自室の離れではなく、奥御殿の中心にある玄朱の寝所だ。

 最高級の絹の夜着を着せられ、ふかふかの寝台に沈み込んでいる。
 背中に鈍い痛みはあったが、傷口は最上等の霊薬で丁寧に塞がれ、清らかな布でしっかりと巻かれていた。

「……ここは。私、罠の点検に、行かなくては」

 ぼんやりと呟いて身を起こそうとした瞬間。

「動くな!!」

 御簾を跳ね除け、血相を変えた玄朱が飛び込んできた。

 その姿を見て、茉莉はわずかに目を瞬かせた。

 常に一糸乱れぬ装いを保ち、氷のような冷静さを崩さなかった親王の面影はない。
 髪は乱れ、目の下には深い隈が刻まれている。

 何日も不眠不休で過ごしていたのは、明らかだった。

「玄朱様……。申し訳ありません、お役目中に不覚を取りました」

「不覚を取ったのは私だ!!」

 怒鳴り声に近い玄朱の響きに、部屋の空気がビリッと震える。

 玄朱は寝台の傍らに膝をつくと、恐る恐る、まるで壊れ物を扱うような手つきで茉莉の肩に触れた。
 ギリッと歯を食いしばる彼の瞳には、激しい怒りと共に、これまでに見たこともない「焦燥」と「恐怖」が渦巻いていた。

「なぜ庇った。お前はただの身代わりだ、私が死ねば契約はそこで終わり、お前は自由になれたはずだ。それなのに……一歩間違えれば、お前は死んでいたんだぞ!」

 それは、大切なものを失いかけた男の、血を吐くような本音だ。
 しかし、鋼の現実主義者である茉莉の心には、そんな夢物語のような悲痛さは微塵も届かない。

「何を、おっしゃるのですか」

 茉莉は真っ直ぐに玄朱を見つめ返し、きっぱりと言い放った。

「一番の金蔓……いえ、大口の雇い主様が亡くなられては、約束の基本報酬も『慰謝の金子』も支払われないではありませんか。未回収の損害は、明日の身がわからぬ私には、冒せません。自分の利益を……守っただけです」

「…………」

 そのあまりにもブレない守銭奴っぷりに、玄朱は数秒間絶句し――やがて、顔を覆って低く、震えるような声で笑い出した。

「くっ……ふふっ、あっはははは!」

「玄朱様?」

「……お前という女は、本当に、どうしようもないな」

 顔を上げた玄朱の瞳から、先程までの余裕のなさは消えていた。
 代わりにそこに灯ったのは、逃げ道を一切許さないような、どろりとした執着の炎だ。

「安心しろ。お前の請求には、利子をつけて十倍にして払ってやる。……その代わり、お前を傷つけた対価は、奴らから骨の髄まで搾り取ってやったがな」

「まあ……」

 茉莉は、自分がなんとしてでも完遂したかった『戦利品の回収』を、玄朱自身が采配してくれたのだと解釈し、僅かな感動を覚えていた。

 と同時に、不意に身の内に起こった、不思議な感覚に、茉莉は思わず目を瞬かせる。

 たとえようのない、感覚。
 ぽかぽかとして、ふわふわとして。