冷徹親王の囮妃は、刺客を狩って路銀を稼ぐ~愛のない契約結婚のはずが、気付けば異様に執着されているようです~

 都の片隅。
 貧民街の入り口にへばりつくように建つ、隙間風の酷い長屋。
 度重なる雨漏りのせいで土壁は黒々とした染みだらけになっており、外とを隔てる板壁も薄く、強風が吹けば今にも剥がれ飛んでしまいそうな苫屋である。
 冷え冷えとした板の間に情け程度に敷かれた草臥れた(むしろ)の上、茉莉(まつり)は手元の小銭を並べてため息をついていた。

「……今月もカツカツ。うーん明日からは少し、罠猟の範囲を広げたほうがよさそうですね」

 ポタリ、と。黒ずんで腐りかけた天井から落ちてきた水滴を避けながら独り言を呟くと、手慣れた手つきで獣捕獲用のくくり罠の修理を始める。
 米櫃は今にも底をつきそうで、この所の大雨続きのため、野兎の気配もほとんど辿れていない。

「そろそろ、お肉が恋しくなってきました」

 かつては名門と謳われた華族である霧生(きりう)家の長女として生まれた彼女だが、今の姿にその面影はない。
 洗い晒しの粗末な着物に、飾り気のない黒髪。
 手には無数の小さな切り傷やタコがある。

 茉莉の母が亡くなり、父が後妻を迎えた日から、彼女の人生は一変した。
 後妻との間に生まれた異母妹である姫乃は、愛らしく、流行りの華やかな着物を纏い、家族の愛情を一身に受けていた。
 一方、華やかな異能も呪術の才も持たず、ただ無表情で愛想のない茉莉は、徹底的に虐げられた。
 冬の冷水での洗濯、使用人にも等しい食事、些細な理由での折檻。
 それでも「家のため、亡き母のため」と耐えていたが、ある日、自分が老いぼれた好色な高利貸しへ売られそうになっていると知り、ついに限界を迎えた。

(——もう、これ以上心がすり減るのは御免です)

 着の身着のまま、わずかな路銀だけを握りしめて家を飛び出した。
 追手が来るかと思ったが、厄介払いができたと喜ばれたのか、誰も茉莉を探そうとはしなかった。

 以来、茉莉はこの長屋に流れ着き、獣を狩ったり薬草を採ったりしながら、その日暮らしの過酷な生活を逞しく生き抜いている。
 愛だの家族の絆だのという幻想は、とっくに捨てた。

 今の彼女にとって一番大事なのは、「明日の米」と「安全な寝床」である。