ひとりのじかん

夕食後、私はすぐに寝る準備を終わらせて、自室に籠った。
机の前に座って、ノートを開く。
この間書いた事の続きを書きたいと思った。少し手が震えたけど、ペンは置かなかった。
いつから学校が怖くなった、か…。
今日気づいたばかりだ。
私は、学校が嫌いだったわけじゃない。
『人が嫌いだったわけでもない。』
恐る恐る書く。
『ただ、怖かった。』
そこで一度、手を止める。小さく息を吐いた。そうしてまた、その続きを書く。
『怖いと言っていいことを、知らなかった。』
私はしばらく、その文章を見つめた。
迅は最初から教えてくれていたんだな、と今になって実感する。
それから、ノートの端に小さく、
『迅』
と書いてしまった。
「……」
私は固まる。
「……何で書いたの」
慌てて消しゴムをかける。けれど、どれだけ強く擦っても、完全には消えてくれなかった。
薄く残った文字。
『迅』
私はそれを見つめた。胸の奥が、また少しだけ温かくなる。鼓動がわずかに速くなる。
「……明日も会えるかな」
小さな声。
自分でも聞き取れないくらいだった。でも、その言葉は確かに口から出た。
そろそろ寝ようと思い、ベッドに飛び乗った。
スマートフォンを見る。メッセージはない。
「……」
私は少し待つ。
一分。
二分。
五分。
やっぱり来ない。
「……もう寝たのかな」
そう呟いて、スマートフォンを伏せる。
その直後。
ピコン。
「……!」
慌てて画面を見る。
『今日、ちゃんと話せてよかった』
迅からだった。
私はしばらく返信できなかった。何度も文章を打つ。
『私も』
消す。
『ありがとう』
消す。
『また明日』
消す。
結局のところ、『うん』とだけ送った。
すぐに既読がつく。
『返信遅っ(笑)おやすみ』
私は画面を見ながら、笑った。
『そんなことないし!ていうか普通じゃない?』
『本当のところはどうかなー?(笑)』
『(笑)じゃない!もう遅いし寝る!』
迅…。私のことを絶対に揶揄っている。
…最後に、
『おやすみ』
とだけ送った。
直後、迅からは珍しくスタンプで返されていた。パンダがおやすみ、と言っている絵柄だった。
「かわいい」
スタンプを送ってくれたことが嬉しくて、足をじたばたさせてしまった。
少し赤面しながら、スマートフォンを胸元に置く。
「……」
ゆっくりと目を閉じる。
中学校の記憶は、まだ消えていない。これから向き合わなければならない。
たぶん、簡単な事じゃない。
思い出したくないことも、まだたくさんある。
でも、今の私には、昨日までなかったものがある。
明日。また迅に会えるかもしれない。
いつか、自分自身の過去とも向き合える日が来るかもしれない。
私はまだ、その一歩を踏み出しただけ。
それでも――。
今日は、昨日より少しだけ前に進めた気がした。
窓の外。夜の街に、小さな明かりがいくつも浮かんでいる。
私はカーテンを閉めるとき、ガラスに反射した自分を見た。
当然ながら、外見は何も変わっていない。
私はもう一度、自分の目を見た。
「……おやすみ」
鏡の中の自分に向かって、そう言った。笑顔で。
そして、部屋の電気を消した。