悪役とは誰でしょう。 ――スピンオフ『その花嫁、元殺し屋につき』――

 冷たい風が目立つようになった、秋の夜。
 満は麹町で、使い魔の猫又を抱いて佇んでいた。

「いーい?タマ。葛原院の屋敷で、侯爵夫人の様子を探って来て頂戴」

 彼女の腕の中で、三毛猫はニャアとひと鳴き。そしてリンと鈴を鳴らして、猫は腕から飛び降りて駆けて行った。

 葛原院の正妻には、後ろめたいことがある。百合の読み通りならば、隠す場所は彼自身の屋敷のはず。

 そう当たりをつけたが故の偵察だ。

 しかし。

〈満ぅ……ごめんなさい〉
「タマ……!?」

 ヨタヨタと項垂れて、相棒が戻ってきたのはほんの数分後のことだった。

 膝をつき、大事な彼女をそうっと抱き上げる。
 傷を癒やす術を唱えながら、満はタマへ状況を問う。

 返ってきたのは、信じがたい答えだった。

〈結界が張られていて、入れなかったの……!どんな弱い妖怪も通さないような、強固な結界よ〉
「はあ……!?」

 思わず、爪を噛む。そんなものを作れるのは、1人しか思い当たらない。

「また邪魔するの!?安倍晴明(はるあき)……!!」

 満にとって、目の上のたんこぶな男。
 ここまで来たらもう、彼が葛原院侯爵に肩入れしているのは明確だった。



 また別の夜のこと。

 仕事帰りのその足で、晴明は式神からの報告を聞いていた。
 彼の脳裏に響くのは、白虎の勝ち気な声。

〈蘆屋の娘は来てないぞ!結界への侵入を試みたあの日以来、動きはないな!〉

 その言葉に、晴明は短く返事を返すのだった。
 横浜に常駐させている朱雀からの報告も、似たようなものだ。

 つまり天乃原・蘆屋の女性組は、知りたい情報を調べあぐねているとみていいだろう。

(ったく……女性を敵に回したくはねぇんだがなあ……)

 心の内でぼやく。だが真誠に呪詛を仕掛けたのが蘆屋家の嫡女ならば、こちらが手を打たない訳にはいかない。
 彼女が「挨拶」に来たのは宣戦布告だったと、晴明は思わざるをえなかった。

「ただいま戻りました……」

 家族は皆寝ているであろう実家へ、そうっと帰宅を告げる。
 物音を立てぬように靴を脱いでいた晴明の耳を打ったのは、かすかな足音だった。

「晴明様、お帰りなさいませ」
「琴子……!?まだ起きてたのか?」
「すみません。どうしてもお待ちしたくて」

 まさかの、妻の登場。目を丸くする晴明から、自然な流れで琴子は鞄を受け取っていく。
 板につきつつある夫婦の日常の中、彼女は告げた。

「実は……晴明様宛のお手紙が届いておりまして。火急のようでしたから、お夜食の合間にご確認をお願いしたくて……」
「ん……?」

 さて、どんな用件か。眉を下げ、顔を曇らせている嫁の様子に、晴明は嫌な予感がよぎるばかりだ。

「……わかった。着替えたら居間に向かう」
「ありがとうございます、晴明様」

 そうして、部屋で一度夫婦は別れる。
 ラフな着流しに着替えた晴明が向かった先では、妻と彼女の手料理が待っていた。
 秋刀魚の炊き込みご飯に、芋の煮物。仕事の疲れなど吹き飛ぶというものだ。

 厄介な手紙さえ、なかったならば。
 封筒に記載されている名前は、天乃原百合。

「げえ……」

 本音丸出しの悪態が口をつく。自然と眉間にシワが寄った。
 
 そんな晴明を、じーっと見つめる琴子。
 妻の視線に気づき、晴明は手紙の封を切る手を止めた。

「……琴子?」

 居心地の悪さを感じて、声をかける。
 返ってきたのは、想定外の言葉だった。

「……ご令嬢と、文を交わしていらしたのですね」
「……」

 硬い声音に、への字に曲がる小さな唇。真っ直ぐに晴明を見つめながら、妻は今なんと言ったか。

 手元にある手紙の差出人は……。
 
「……!?違う!!」

 理解が追いついた途端、晴明は真っ青になった。

「何が違うのですか?……私は社交界にはあまり明るくありませんが、お手紙のお相手がご令嬢だということはわかります」

 琴子の詰問に、心臓が爆速で跳ね上がる。
 ドタバタとはいえようやく婚姻に至れたのに、こんな勘違いで離縁になったら溜まったものじゃない。

「誤解だ!!」
「本当ですか……? 先ほどの顰め面は、私にご令嬢からのお手紙を見られた故ではなく?」
「送り主に対する悪態に決まってるだろ!!」

 丁寧に開けかけていた封を、ベリィと音がなる勢いで破く。
 確認もせずに取り出した便箋を机に広げながら、晴明は必死の弁明を口にした。

「これはあの馬鹿侯爵……真誠の厄介事だ!! この間、予知してくれただろう!!」
「……真誠様の?」
「そうだ!」

 琴子の表情が、虚を突かれたものに変わる。そして2人揃って手紙の内容に目を通した。

 要約すると、真誠の正妻について詳しく聞きたいという。果たし状のような文面だった。

「……な?」

 おずおずと、晴明は妻の顔色を伺う。
 目を丸くした彼女は、確認するように呟いた。

「……真誠様の右側のモヤを……暴こうとする方……?」
「そう」

 先日の予知夢の内容を繰り返す彼女に、明確な肯定を返す。
 すると彼女は、気まずげに視線をそらして小さくなってしまった。

「し、失礼致しました……」

 どうやら、誤解は晴れたらしい。ほ、と彼は胸をなで下ろした。
 
 女性の嫉妬は怖い。女性を怒らせて、男に利点などありはしない。
 それは、気の強い母と年の離れた姉で学んだ晴明の処世術。それゆえに本能が感じた危機感で、彼の心臓はいまだ痛いほど駆け足だ。

「いや、うん……。わかってくれたならいい」

 どうにかそう絞り出す。そして彼は手を合わせ、遅い夕食をとり始めるのだった。

 彼女が垣間見せるこういう恐ろしさが、どうにも晴明は苦手だ。
 文通をするのも、話すだけで緊張するのも、昔から琴子しかいないと言うのに。
 どうにも伝わらない一途さは、晴明のモヤモヤの種だった。

「……晴明様、お返事はどうなさるのですか?」

 そうっと、気遣うように琴子が尋ねてくる。遠慮がちな顔を横目にとらえて、晴明は口を開く。

「そんなもん、あの女たらしに聞いてからだ」
「……かしこまりました」

 そうして、彼はホクホクに煮込まれたさつま芋を頬張るのだった。