そよそよと秋風がふく横浜の丘の上。
真誠は自身の屋敷の門の前に立っていた。実に、2カ月ぶりだ。
なんだか、他人の家のように感じてしまった。
組の連中は問題なく生活しているだろうか。
荒らすような者はいないが、屋敷は大丈夫だろうか。
美雪は、無事だろうか。
「ほうら真誠?何突っ立ってるのよ」
先を歩く司が振り返り、声をかけてきた。彼はもう屋敷の扉に手を添えている。
「あぁ……」
一度深呼吸して、真誠は腹心の部下の後を追った。
ヒノキの香りに、段差を可能な限り減らした土間。
下駄を脱いで、壁に手をついて中へ。
司は屋敷に入るなり、入院荷物の片付けに動き回り始めた。そちらは任せて、真誠は広間へ向かう。
「ただいま……」
おずおずと、顔をだす。
弾けたような声が聞こえたのは、その瞬間だった。
「ボスーッッッ!!お帰りなさい!!」
「陽……!」
飛びついて来そうになった彼女。寸前で踏みとどまったのは成長か。
陽を受け止めようとした真誠の手は空を泳ぎ、群がってきた組員たちからのハイタッチの餌食に。
「組長!おかえりなさいませ!!」
「待ってたぜー、組長!」
「組長!今回はやけに入院長かったじゃないっすか!」
「んで組長!次は何から始めるんすか!」
肩を組まれ、背中を叩かれ、頭を撫でられ。
「組長」の威厳など、いまばかりは欠片もない。
「煩いぞ、お前ら!!一気に話しかけるな!囲むな!!」
真誠が吠えれば、どっと沸き起こるのは豪快な爆笑。
この場にいる半数以上が真誠より年上であり、彼が幼子の頃から知っている。
そうなればもう、息子や孫が退院したのと扱いは同じなのだった。
ただ1人を除いては。
鳴り止まない騒がしさの中に駆け込む少女。
まるで海が割れるかのように組員たちは彼女へ道を開ける。
「真誠さん……!!!!」
「……!みゆ、」
悲鳴のような声と共に、美雪は真誠の胸の中へ文字通り飛び込んだ。
名前を呼び返す声も遮られてしまった。愛する女性の全体重に、回復直後の身体が鈍い悲鳴をあげる。
受け止めきれないまま、美雪に押し倒される真誠。
そこへ響くのは、彼女の号泣。
「あああああああ!!」
「美雪……!?」
「ごめんなさい!!!ごめんなさい、真誠さん!!!ごめんなさい……!!」
「……!」
ただ謝罪だけを繰り返し、感情のままに涙の雨を降らす。
真誠の着物は、あっという間に濡れ鼠だ。
「ごめんなさい……!!わたし、わたし…!!真誠さんのことを刺した……!!首を絞めて、殺そうと……!!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
「……」
冬の頃、彼女が麹町の屋敷に来たのは、真誠を殺す為。つまり彼女はただ、改めて本来の任務を全うしようとしただけ。とも、とれる。
そうでなくとも、黒龍会の基地で彼女が真誠を襲ったのは、あの組織のボスの暗躍のせい。決して、彼女の意思ではない。
そんなこと、真誠だって分かっているというのに。
こうして涙を流す彼女は本当に、殺し屋に向いていない。
「そう……だな。でも、」
起こった事実を認めたうえで、真誠は最愛の女性を抱きしめた。
「俺は生きてる。だから大丈夫だ、美雪」
「ッ……!!」
入院している間、何度彼女に触れたいと思ったことか。何度、彼女の顔が見たいと思ったことか。
アヘン断薬の一番辛い期間に、そばに居られなかった。その謝罪と、目一杯の愛情を込めた、抱擁。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁあ!!」
たとえそれが、彼女の涙をさらに誘うものだったとしても。
「ごめんなさい……!!まことさん、ごめんなさい、ごめんなさい…!!」
「大丈夫。……美雪、きみが無事でよかった。」
「まことさん……!!!」
彼はただ、美雪の感情のままにさせてあげるのだった。
◇
結局、美雪の慟哭が止んだのは彼女が泣きつかれて眠ってからだった。
霞に救出され、広間のソファに真誠はなんとか移動。それでも、美雪は彼の着物から決して手を離そうとしなかった。
今もなお、彼女は真誠の膝枕におさまっている。
ようやく落ち着いた主へ、霞はお茶を出しながら穏やかな声を漏らした。
「奥様……寝られているようで、よかったです」
そのまま、霞は夫婦の向かいのソファに腰掛ける。
部下の言葉をうけ、真誠は美雪の髪をゆっくり撫でながら呟いた。
「美雪は……やはり、眠れてなかったか……」
アヘン依存からの脱却。それは最初が一番の地獄だ。禁断症状に身体は痛み、コントロールを失い、排尿さえ自分の意志でままならない。
それをよく知るからこそ、真誠は自身の入院が恨めしくて仕方がない。
そんな主の心中を察するように、霞は重たい口を開いた。
「はい……。夜中、目を覚まされる日も何度か。朝まで寝られる日もありましたが、波があるようで……」
「……そうか」
報告を聞く真誠の瞳は、まさに大木のような優しさで妻を包んでいた。
不安定な美雪を支えていたのが晴明だと聞いたときだけは、感謝と嫉妬の入り混じった複雑な表情なのだった。
真誠は自身の屋敷の門の前に立っていた。実に、2カ月ぶりだ。
なんだか、他人の家のように感じてしまった。
組の連中は問題なく生活しているだろうか。
荒らすような者はいないが、屋敷は大丈夫だろうか。
美雪は、無事だろうか。
「ほうら真誠?何突っ立ってるのよ」
先を歩く司が振り返り、声をかけてきた。彼はもう屋敷の扉に手を添えている。
「あぁ……」
一度深呼吸して、真誠は腹心の部下の後を追った。
ヒノキの香りに、段差を可能な限り減らした土間。
下駄を脱いで、壁に手をついて中へ。
司は屋敷に入るなり、入院荷物の片付けに動き回り始めた。そちらは任せて、真誠は広間へ向かう。
「ただいま……」
おずおずと、顔をだす。
弾けたような声が聞こえたのは、その瞬間だった。
「ボスーッッッ!!お帰りなさい!!」
「陽……!」
飛びついて来そうになった彼女。寸前で踏みとどまったのは成長か。
陽を受け止めようとした真誠の手は空を泳ぎ、群がってきた組員たちからのハイタッチの餌食に。
「組長!おかえりなさいませ!!」
「待ってたぜー、組長!」
「組長!今回はやけに入院長かったじゃないっすか!」
「んで組長!次は何から始めるんすか!」
肩を組まれ、背中を叩かれ、頭を撫でられ。
「組長」の威厳など、いまばかりは欠片もない。
「煩いぞ、お前ら!!一気に話しかけるな!囲むな!!」
真誠が吠えれば、どっと沸き起こるのは豪快な爆笑。
この場にいる半数以上が真誠より年上であり、彼が幼子の頃から知っている。
そうなればもう、息子や孫が退院したのと扱いは同じなのだった。
ただ1人を除いては。
鳴り止まない騒がしさの中に駆け込む少女。
まるで海が割れるかのように組員たちは彼女へ道を開ける。
「真誠さん……!!!!」
「……!みゆ、」
悲鳴のような声と共に、美雪は真誠の胸の中へ文字通り飛び込んだ。
名前を呼び返す声も遮られてしまった。愛する女性の全体重に、回復直後の身体が鈍い悲鳴をあげる。
受け止めきれないまま、美雪に押し倒される真誠。
そこへ響くのは、彼女の号泣。
「あああああああ!!」
「美雪……!?」
「ごめんなさい!!!ごめんなさい、真誠さん!!!ごめんなさい……!!」
「……!」
ただ謝罪だけを繰り返し、感情のままに涙の雨を降らす。
真誠の着物は、あっという間に濡れ鼠だ。
「ごめんなさい……!!わたし、わたし…!!真誠さんのことを刺した……!!首を絞めて、殺そうと……!!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
「……」
冬の頃、彼女が麹町の屋敷に来たのは、真誠を殺す為。つまり彼女はただ、改めて本来の任務を全うしようとしただけ。とも、とれる。
そうでなくとも、黒龍会の基地で彼女が真誠を襲ったのは、あの組織のボスの暗躍のせい。決して、彼女の意思ではない。
そんなこと、真誠だって分かっているというのに。
こうして涙を流す彼女は本当に、殺し屋に向いていない。
「そう……だな。でも、」
起こった事実を認めたうえで、真誠は最愛の女性を抱きしめた。
「俺は生きてる。だから大丈夫だ、美雪」
「ッ……!!」
入院している間、何度彼女に触れたいと思ったことか。何度、彼女の顔が見たいと思ったことか。
アヘン断薬の一番辛い期間に、そばに居られなかった。その謝罪と、目一杯の愛情を込めた、抱擁。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁあ!!」
たとえそれが、彼女の涙をさらに誘うものだったとしても。
「ごめんなさい……!!まことさん、ごめんなさい、ごめんなさい…!!」
「大丈夫。……美雪、きみが無事でよかった。」
「まことさん……!!!」
彼はただ、美雪の感情のままにさせてあげるのだった。
◇
結局、美雪の慟哭が止んだのは彼女が泣きつかれて眠ってからだった。
霞に救出され、広間のソファに真誠はなんとか移動。それでも、美雪は彼の着物から決して手を離そうとしなかった。
今もなお、彼女は真誠の膝枕におさまっている。
ようやく落ち着いた主へ、霞はお茶を出しながら穏やかな声を漏らした。
「奥様……寝られているようで、よかったです」
そのまま、霞は夫婦の向かいのソファに腰掛ける。
部下の言葉をうけ、真誠は美雪の髪をゆっくり撫でながら呟いた。
「美雪は……やはり、眠れてなかったか……」
アヘン依存からの脱却。それは最初が一番の地獄だ。禁断症状に身体は痛み、コントロールを失い、排尿さえ自分の意志でままならない。
それをよく知るからこそ、真誠は自身の入院が恨めしくて仕方がない。
そんな主の心中を察するように、霞は重たい口を開いた。
「はい……。夜中、目を覚まされる日も何度か。朝まで寝られる日もありましたが、波があるようで……」
「……そうか」
報告を聞く真誠の瞳は、まさに大木のような優しさで妻を包んでいた。
不安定な美雪を支えていたのが晴明だと聞いたときだけは、感謝と嫉妬の入り混じった複雑な表情なのだった。



