百合が病院を訪れた時、真誠は誰かと話していた。
子犬のようにキャンキャンと話す女性と、そのそばに立つ男性。親子だろうか。
様子を伺った瞬間、真誠と目があった。彼は二人組に何か話す。すると女性は返事と共に立ち上がり、男性を連れて病室の外へ。
すれ違う彼らに、百合は会釈する。
男性は丁寧に返してくれたが、顔立ちの似た小さな女性からはふん!とそっぽを向かれてしまった。
「こら陽」
「だって兄者!」
呆然と見送ると、そんな会話が聞こえてきた。
ずいぶんと、印象が真逆な兄妹がいたものだ。
気持ちを切り替え、百合は真誠の病室へ。
「……部下がすまないな。感情のままに、無礼な態度をとったようだ」
そう告げる真誠の声は落ち着いていて、ハッキリしている。
顔色もいい。
こうなると、彼が病室にいることの方が不自然に思えてきた。
「いえ、かまいませんわ。それより、今日はご調子がいいのですね。安心いたしました」
そう伝えて、百合は寝台のそばに腰掛ける。
しかし向かいの真誠から聞こえてきたのは、堪えたような笑い声だった。
「……なにか?」
笑われるようなことを言ってはいない。彼らしくない無礼に眉をひそめると、彼は素直にひと言だけ詫びる。
けれど続く真誠の言葉は、さらに不可解なものだった。
「……本当に、配下の管理が行き届いてないと見える」
「……?」
何かを確信している笑み。訳がわからず、百合は正当に主張した。
「恐れ入りますが真誠様。……謂れのない侮辱を言われる覚えはありませんわ」
「……」
真誠は言い返さない。だが百合から視線を外すと、彼は静かに口を開いた。
「机にある木箱、開けてもらっても?」
「……?」
言葉の通りにサイドテーブルを確認する百合。白い机の上に、不釣り合いな木箱が置かれていた。
パカリと、簡単に蓋が開く。そこからでてきたのは、御札の貼られた茶色の巾着だ。
「これは……?」
意味が分からなくて、百合は尋ねる。
真誠は変わらず目も合わさないままに、答えた。
「かの安倍晴明の血筋の者が言うには……夢見の呪詛、だそうだ。ソイツがつけた札で封じてあるがな」
「呪詛……?」
そんな前時代的な迷信、百合は門外漢だ。
けれど、頭に過る妹分の顔。
(まさか、)
百合の動揺を見抜いたように、真誠が言葉を続ける。
「……蘆屋家とは、安倍家に並ぶ陰陽術の大家だそうだな」
「……!」
「貴女の女中に、その家のお嬢さんがいることは存じている」
「っ、」
まだ、満がこれをやったという確証はない。
彼女がいつものようにここに随行していれば、今すぐ呼び出して弁明させただろう。
しかし彼女は昨日の夕方から、体調を崩して伏せっている。
「貴女の献身には、感謝申し上げる。だが……もう、顔出しは不要だ」
淡々と告げる真誠。続く彼のひと言は、深々と百合を突き刺した。
「……天乃原殿」
「ッ……!!」
出会って以来、ずっと真誠は百合と呼んでくれていたのに。
「……」
握る手に爪が食い込む。地面が遠く感じた。
深く肺に息を吸い、ゆっくりと吐いていく。
そして彼女は、真誠に応えた。
「……確かに、わたくしの監督責任ですわ。お詫び申し上げます」
こちらを見ようとしない侯爵を真っ直ぐ瞳に映し、天乃原家の令嬢は続ける。
「ですが真誠様。わたくしとて、貴方様から受けた不義理について……まだ何も、お聞きしておりません」
「……」
ずっと求めている言葉。今日も、その返事はない。
「ですが……これは、ここでお話することではありませんね」
それだけ言うと、百合は目を伏せる。音も立てずに、立ち上がった。
「……その呪詛とやら、お預かりしてもよろしくて?」
「いや、然るべき対応を専門に依頼してある」
「……かしこまりました」
事務的にこなされる会話。それを済ませ病室の扉へ歩く姿は、その名のとおり百合の花。
「それでは……次は完治されたお姿を拝見できるのを楽しみにしております」
扉を開き、別れの言葉を紡ぐ。
暫し逡巡し、夫になると思っていた男をもう一度百合は見てしまった。
彼の視界に、自分はいない。
「……侯爵様」
音もなく、静かに、病室の扉は閉まっていった。
◇
満は、無数の百足が這う感覚に寒気と悪寒を覚えていた。
「ムカつく…!!」
荒い息を吐き、発熱で布団に沈みながら彼女は涙を滲ませる。
人を呪わば穴二つ。呪詛を返された以上、満は自身が葛原院にかけていたモノと同じ苦しみを味わっていた。
嫌になるほど丁寧で正確な呪詛返し。こんなことが出来るのは、1人しかいない。
「安倍晴明…!!!」
天才と言われている、安倍家嫡男。その名を呻きながら満は爪を噛んだ。
なぜ彼が葛原院に味方するのか、満は分からない。まさか、侯爵家が祈祷でも依頼したというのだろうか。
「満」
「ッはい、お姉様…!!」
そこへ聞こえた百合の声に、彼女は慌てて返事をした。
重い身体を起こすが、百合に手で制される。
迷った末に、満は布団の中へ。すると百合は、彼女の枕元へ座り話し始めた。
「今日、真誠様からお聞きしました。あなたまさか…夢見の呪詛…とやらを真誠様にかけていたの…?」
「ッ…!!」
血の気が引く。百合の顔は冷たく、なんの感情も映してはいない。
「だっ、だって!!あの男が憎いんですもの!!」
満はつい叫んだ。不調など無視して起き上がり、大好きな百合へ本音をぶちまける。
「お姉様の想いを無視して、どこの馬の骨とも知らぬ女と結婚だなんて!!わたくし、ずっと悪夢で離縁を促してましたのよ!!向こうが勝手に破局すれば、本来あるべき姿に……」
「……満?」
「っ、」
けれど静かに名を呼ばれ、満は押し黙った。
続く言葉は、まるで毒蛇のような威厳と憤怒。
「貴女……わたくしに、どこの誰とも知らない女の後釜に収まれと?」
「っ……!!そ……んな、つもりじゃ……!!」
息が出来ないほどの圧。冷えた笑顔は、百合の心を映している
「……満?貴女の才能の使い所は、こんなことじゃないわ」
「え……?」
そんな彼女の柔らかな両手が、満の頬を包む。
氷の瞳が満を射抜き、囁いた。
「真誠様の正妻の女……。後ろめたいものを隠してるのは確か」
「……!」
「それを暴いて頂戴な、満。占いでも、遠視でも、なんでもいいわ。決定的な証拠さえ手に入れば」
「わかりました……!」
満の返事に、百合の艶やかな唇は満足げに弧を描いた。
「よろしくね?」
髪を撫で、額に口づけ。それは女王陛下からの信頼の証。満にとって何よりも甘い蜜。
「侯爵家に相応しくない女を、感情に呑まれて娶ったことをあの方に認めさせ、わたくしへの不義理を心より謝罪させる」
見惚れるほどの美しさで、百合は立ち上がる。
「……そうしてやっと、わたくしの復讐は果たされるわ」
「……承知しました、お姉様」
窓からの月明かりに照らされたその姿は、まるで天の羽衣を着たかぐや姫。
満の返事を確認し、部屋を後にする百合。彼女の胸元に翡翠のブローチが輝いているのを、満だけは気づいていた。
子犬のようにキャンキャンと話す女性と、そのそばに立つ男性。親子だろうか。
様子を伺った瞬間、真誠と目があった。彼は二人組に何か話す。すると女性は返事と共に立ち上がり、男性を連れて病室の外へ。
すれ違う彼らに、百合は会釈する。
男性は丁寧に返してくれたが、顔立ちの似た小さな女性からはふん!とそっぽを向かれてしまった。
「こら陽」
「だって兄者!」
呆然と見送ると、そんな会話が聞こえてきた。
ずいぶんと、印象が真逆な兄妹がいたものだ。
気持ちを切り替え、百合は真誠の病室へ。
「……部下がすまないな。感情のままに、無礼な態度をとったようだ」
そう告げる真誠の声は落ち着いていて、ハッキリしている。
顔色もいい。
こうなると、彼が病室にいることの方が不自然に思えてきた。
「いえ、かまいませんわ。それより、今日はご調子がいいのですね。安心いたしました」
そう伝えて、百合は寝台のそばに腰掛ける。
しかし向かいの真誠から聞こえてきたのは、堪えたような笑い声だった。
「……なにか?」
笑われるようなことを言ってはいない。彼らしくない無礼に眉をひそめると、彼は素直にひと言だけ詫びる。
けれど続く真誠の言葉は、さらに不可解なものだった。
「……本当に、配下の管理が行き届いてないと見える」
「……?」
何かを確信している笑み。訳がわからず、百合は正当に主張した。
「恐れ入りますが真誠様。……謂れのない侮辱を言われる覚えはありませんわ」
「……」
真誠は言い返さない。だが百合から視線を外すと、彼は静かに口を開いた。
「机にある木箱、開けてもらっても?」
「……?」
言葉の通りにサイドテーブルを確認する百合。白い机の上に、不釣り合いな木箱が置かれていた。
パカリと、簡単に蓋が開く。そこからでてきたのは、御札の貼られた茶色の巾着だ。
「これは……?」
意味が分からなくて、百合は尋ねる。
真誠は変わらず目も合わさないままに、答えた。
「かの安倍晴明の血筋の者が言うには……夢見の呪詛、だそうだ。ソイツがつけた札で封じてあるがな」
「呪詛……?」
そんな前時代的な迷信、百合は門外漢だ。
けれど、頭に過る妹分の顔。
(まさか、)
百合の動揺を見抜いたように、真誠が言葉を続ける。
「……蘆屋家とは、安倍家に並ぶ陰陽術の大家だそうだな」
「……!」
「貴女の女中に、その家のお嬢さんがいることは存じている」
「っ、」
まだ、満がこれをやったという確証はない。
彼女がいつものようにここに随行していれば、今すぐ呼び出して弁明させただろう。
しかし彼女は昨日の夕方から、体調を崩して伏せっている。
「貴女の献身には、感謝申し上げる。だが……もう、顔出しは不要だ」
淡々と告げる真誠。続く彼のひと言は、深々と百合を突き刺した。
「……天乃原殿」
「ッ……!!」
出会って以来、ずっと真誠は百合と呼んでくれていたのに。
「……」
握る手に爪が食い込む。地面が遠く感じた。
深く肺に息を吸い、ゆっくりと吐いていく。
そして彼女は、真誠に応えた。
「……確かに、わたくしの監督責任ですわ。お詫び申し上げます」
こちらを見ようとしない侯爵を真っ直ぐ瞳に映し、天乃原家の令嬢は続ける。
「ですが真誠様。わたくしとて、貴方様から受けた不義理について……まだ何も、お聞きしておりません」
「……」
ずっと求めている言葉。今日も、その返事はない。
「ですが……これは、ここでお話することではありませんね」
それだけ言うと、百合は目を伏せる。音も立てずに、立ち上がった。
「……その呪詛とやら、お預かりしてもよろしくて?」
「いや、然るべき対応を専門に依頼してある」
「……かしこまりました」
事務的にこなされる会話。それを済ませ病室の扉へ歩く姿は、その名のとおり百合の花。
「それでは……次は完治されたお姿を拝見できるのを楽しみにしております」
扉を開き、別れの言葉を紡ぐ。
暫し逡巡し、夫になると思っていた男をもう一度百合は見てしまった。
彼の視界に、自分はいない。
「……侯爵様」
音もなく、静かに、病室の扉は閉まっていった。
◇
満は、無数の百足が這う感覚に寒気と悪寒を覚えていた。
「ムカつく…!!」
荒い息を吐き、発熱で布団に沈みながら彼女は涙を滲ませる。
人を呪わば穴二つ。呪詛を返された以上、満は自身が葛原院にかけていたモノと同じ苦しみを味わっていた。
嫌になるほど丁寧で正確な呪詛返し。こんなことが出来るのは、1人しかいない。
「安倍晴明…!!!」
天才と言われている、安倍家嫡男。その名を呻きながら満は爪を噛んだ。
なぜ彼が葛原院に味方するのか、満は分からない。まさか、侯爵家が祈祷でも依頼したというのだろうか。
「満」
「ッはい、お姉様…!!」
そこへ聞こえた百合の声に、彼女は慌てて返事をした。
重い身体を起こすが、百合に手で制される。
迷った末に、満は布団の中へ。すると百合は、彼女の枕元へ座り話し始めた。
「今日、真誠様からお聞きしました。あなたまさか…夢見の呪詛…とやらを真誠様にかけていたの…?」
「ッ…!!」
血の気が引く。百合の顔は冷たく、なんの感情も映してはいない。
「だっ、だって!!あの男が憎いんですもの!!」
満はつい叫んだ。不調など無視して起き上がり、大好きな百合へ本音をぶちまける。
「お姉様の想いを無視して、どこの馬の骨とも知らぬ女と結婚だなんて!!わたくし、ずっと悪夢で離縁を促してましたのよ!!向こうが勝手に破局すれば、本来あるべき姿に……」
「……満?」
「っ、」
けれど静かに名を呼ばれ、満は押し黙った。
続く言葉は、まるで毒蛇のような威厳と憤怒。
「貴女……わたくしに、どこの誰とも知らない女の後釜に収まれと?」
「っ……!!そ……んな、つもりじゃ……!!」
息が出来ないほどの圧。冷えた笑顔は、百合の心を映している
「……満?貴女の才能の使い所は、こんなことじゃないわ」
「え……?」
そんな彼女の柔らかな両手が、満の頬を包む。
氷の瞳が満を射抜き、囁いた。
「真誠様の正妻の女……。後ろめたいものを隠してるのは確か」
「……!」
「それを暴いて頂戴な、満。占いでも、遠視でも、なんでもいいわ。決定的な証拠さえ手に入れば」
「わかりました……!」
満の返事に、百合の艶やかな唇は満足げに弧を描いた。
「よろしくね?」
髪を撫で、額に口づけ。それは女王陛下からの信頼の証。満にとって何よりも甘い蜜。
「侯爵家に相応しくない女を、感情に呑まれて娶ったことをあの方に認めさせ、わたくしへの不義理を心より謝罪させる」
見惚れるほどの美しさで、百合は立ち上がる。
「……そうしてやっと、わたくしの復讐は果たされるわ」
「……承知しました、お姉様」
窓からの月明かりに照らされたその姿は、まるで天の羽衣を着たかぐや姫。
満の返事を確認し、部屋を後にする百合。彼女の胸元に翡翠のブローチが輝いているのを、満だけは気づいていた。



