悪役とは誰でしょう。 ――スピンオフ『その花嫁、元殺し屋につき』――

 闇が広がっている。
 ポツンと、真誠はそこに1人いた。

「…美雪?…司?」

 辺りを見渡し、声をかける。だが、返事がない。

「…晴明…?」

 そう呼んで踏み出そうとしたとき。

「う、わ…!!」

 右足が地面につかなかった。義足が、ない。
 無様に転倒。そこから、立ち上がれない。

 そして四方八方から「声」が、滝のように溢れ出した。

ーー重すぎる
ーー自分勝手な
ーーついていけない

「…!?」

 誰の声なのか判然としない。だがその声たちは真誠を酷く責め立てる。

ーー指示に従ったら死にかけた
ーーお前さえ居なければ
ーーこんなに苦しいのに

 ズキン、ズキンと、引きつるような痛み。脚も、右の腹も。

「っ、う…」

 耐えきれずに手を添える。べっとりと濡れた感覚がした。

 生暖かい赤。手だけではない。足元も、地面も、それに浸っている。その下から真誠を見上げるのは、無数の遺体。

ーー真誠さん
「ッ…!!」

 鈴の音のような声に、真誠は顔をあげた。だが、真っ赤な血が彼女の姿を隠す。

ーーもう、無理です…
「み、ゅき…」
ーー私と…
「まってくれ、」

 離縁して下さい

 その言葉に、眼の前が真っ暗になった。

「は…!ぁ、う……っ、」

 激痛に呻きながら、真誠は目を覚ます。じっとりとまとわりつく汗。目をこすっても、揺れるランプすら曖昧な夜の闇。

「はあ……」

 重たいため息がもれた。こうして目を覚ますのは、もう何度目か。
 やっとの思いで寝返りをうつ。瞼を閉じたが、数分も保たず目を開けてしまった。

 美雪の笑顔が遠い。最後に見たのは、夏の始まりの頃だ。

(美雪…)

 今どうしてるだろうと、想いを馳せる。
 それなのに、繰り返し見る悪夢の言葉が胸を刺す。

ーーどうしてもっと早く助けてくれなかったの
ーー見損ないました
ーー終わりにしましょう

「っ………」

 彼女がそんなこと言うはずがない。そう必死に抗って目を瞑る。だが、腹の傷が眠ることを許さない。

「ぅ……」

 じわりと、目に浮かぶ雫。真誠はそんな自分に嫌気が差す。だが、呼吸すらうまくできない。

「く、そ……」

 痛い。苦しい。
 ……会いたい。

 傷を抱きしめるように、蹲る。真誠は無理やり、枕に顔を沈ませていた。



 翌日の夕方のこと。
 見舞いに訪れた晴明は、唖然とした。

「…なんだ」

 そう言って睨んでくる真誠。青白い顔に深いクマが目立つ。
 だがそんなことより、彼に纏わりつく闇が問題だった。

 巨大な百足。それはカサカサと蠢き、真誠の首に絡みついている。
 それは妖怪ではない。
 人為的な「悪意」の化身だった。

 カツカツと大股で病室を進む晴明。そして彼は、容赦なく真誠の顎を掴んだ。

「……!?なに……?」

 真誠の声に乗る怯え。
 瞳は光を失い、濁っている。その暗さは、彼が右足を失くしたばかりの頃以上。

 晴明は無理やり激情を押し込め、口を開いた。

「真誠、俺を見ろ!」
「っ………!?」

 言霊で彼を縛る。
 瞬間、百足がザワリと脈動した。

 目を起点に自身の霊力を真誠へ注いでいく。耐えられなくなった百足が彼から離れた時、晴明はゆっくりとその後を追った。

 一方、真誠は訳がわからない。

(晴明…?…何だ?何をしてるんだ…?)

 名前を呼ばれた瞬間、身体の自由が奪われた。晴明から目を離すことさえできない。
 呼吸だけは徐々に深くなったが、言葉は喉につっかえる。

 晴明は病室を出たのに、何故か見える彼の姿。
 背を向けられ、揺れる黒髪が離れていく。
 それが、酷く恐ろしい。

 階段の手前でしゃがむ晴明。どうすることも出来ず、真誠はその姿を眺める。すると突如、衝撃に身体が跳ねた。

「う゛…!!あ゛、ぐ…!!」

 頭が割れ、肺が圧迫される感覚。身体中の傷跡を、斬りつけられているみたいだ。

「あ゛……!!ぁ、」

 堪え切れず涙が溢れていく。だというのに、腕一本動かせない。

(はるあきッ……!!)

 足を失くす前からの仲な悪友の名を叫ぶ。長い髪を思い切り引っ張ってやりたい。
 それさえ遮るように、目の前に流れていく夢の景色。

「あ゛ぁ゛あ゛……!!」

 闇に亀裂が入る。そのヒビが目の前いっぱいに広がった途端。

 パリン…と、音を立てて悪夢が割れた。

「うッ……!ゲホゲホ、ゴホッ……!」

 酸素を欲して咳き込む真誠。動くようになった身体は、布団の中へ力なく倒れこんだ。

「……気分はどうだ」

 聞こえた晴明の声。見慣れた仏頂面に、ほっと安堵の息が漏れる。
 肺が楽だ。真誠がまず感じたのは、そんな感覚だった。

「なん……だったん、だ……?今の……」

 涙につっかえながら、真誠は悪友へ尋ねる。必死に袖口を目に押し付けるが、どうも止まる気配がない。

 そんな真誠に見えるように、晴明はとある巾着をかざす。そして陰陽師は、淡々と告げた。

「夢見の呪詛」
「……え?」
「内側にたっぷりの呪符が貼られている。そこに……貴様の血を吸った包帯と、大量の小さな百足の死骸」
「……!?」

 真誠の背筋を冷気がツウとなぞる。

「どれだけ質の悪い呪いを喰わされてたか分かるな?……いくら素人の貴様でも」
「…………」

 晴明の言葉に、二の句が継げなかった。

 どかりと、音を立てて彼は寝台に腰掛ける。そして足を組むと、苛立ちを隠さずに解説を続けた。

「お前、この1ヶ月ずっと悪夢に苛まれてただろ」
「……」
「毎日毎日、ご丁寧に死骸を足して術を上書きさせてやがった」
「……毎日……」
「あぁ。……貴様を呪い殺すまで、あと一歩だ」

 肝が冷える。もしも今日、晴明がここに来ていなかったとしたら。
 考えただけで、生きた心地がしない。

 風に揺れるカーテンの音が、異様なほど耳を撫でた。

「……悪かった」
「……?」

 そこへ降る、突然の謝罪。
 やっと涙の止まった瞳を、真誠は悪友へ向ける。胸元に垂れた横髪が遮って、晴明の表情に影が差していた。

「もっと早く……気づけたはず」
「……!」

 背中が小さく見える。いつも煩いほどの声が、あり得ないほど静かだ。
 なんて声をかけるべきか、真誠は逡巡してしまった。

 方や晴明は、自身の不甲斐なさに切歯扼腕する。前に見舞いに来た時だって、明らかに真誠は魘されていたのだから。そこで潰していれば。

「……晴明が」
「……?」

 ゴニョゴニョと真誠の口が動く。辛うじてその声を聞き取って、晴明は彼を視界に入れた。

「……どっか行かないなら、べつに……」
「……!」

 目も合わさず、何でもないことのように真誠は言う。昔から変わらない素っ気なさ。
 ズレた言葉はいつも、落ち込む晴明の背を叩いてくれた。

ふ……と、身体から力が抜ける。

「行く訳ねぇだろ」
「…ん」
 
 そう答えれば、血色を取り戻した幼馴染の頬がわずかに緩んでいた。

 さて、自責が済んだらやることはひとつだ。

「……でぇ?」
「えっ」

 ニッコリと、笑み圧を乗せる。狼狽える悪友を、晴明は逃さない。

「お前……なんで悪夢のこと俺に黙ってやがった……?」
「いや、あの……」
「ん??」

 ひと言でも言ってくれれば、もっと早く対応できたのに。
 真誠は悪霊や呪詛を極端に引き付けやすい体質だ。なのに何度言おうと、一切自覚なし。

 そしてこの事態。流石に、見過ごせない。

 怨霊など比較にならないくらい怖かった。
 この日の説教を、真誠は後にそう語るのだった。