悪役とは誰でしょう。 ――スピンオフ『その花嫁、元殺し屋につき』――

 じわじわと汗のにじむ、風のない夜。東京・麹町。
 仕事終わりの晴明は家に向かって歩いていた。

(か、帰りたくない……)

 と、情けない思いに足を引きずられながら。
 背中の傷跡が痛むのは気の所為ではないはずだ。

「はぁ……」
〈……いつまでため息なんぞついてるんだ〉
「……青龍」

 晴明の隣を歩く…いや、空中を滑るように移動している青髪の青年が声をかけてくる。四神、青龍だ。
 晴明の背後には、同じく四神の玄武の姿。黒龍会の異能者に襲われて以来、護衛を兼ねて四神は二柱彼の近くに常駐している。

「……お前だって分かるだろ、あの気まずさ」

 小声で返す晴明。四神の姿は常人には見えないので、独り言になりかねない。

〈身からでた錆だろう。〉
「身からぁ?人が怪我でぶっ倒れてる間に嫁が嫁いで来るのがぁ?」

 ニヤリと笑う青龍。それを晴明は睨んでいたが、彼の次の一言には撃沈だった。

〈怪我をしたのは、己の未熟では?〉
「う………」

 ご尤も。

 結局、家の中での晴明の立場は弱い。
 手紙のやり取りさえ緩慢だった許嫁が、知らぬ間に妻になっていることへの文句さえ通らぬほど。

「……チッ」

 舌打ちと共に、頭をかく。急な夫婦同室は、晴明の胃をムズムズさせるものだった。

 突如、ピリリと肌を刺す違和感。空気が冷たい。

〈……晴明殿。〉
「……あぁ」

 他愛もない話から一変。玄武が声をかけてきたのと、晴明が足を止めたのは同時だった。

「たった一歩でお気づきになられるとは……」

 冷気の中から姿を現したのは、袴姿の少女。
 美雪よりも背が低いだろう。団子に纏った髪に、彼岸花の簪が揺れる。

「流石は、天才と名高い安倍家ご嫡男様……」

 紅玉のような瞳が怪しく光る。
 初対面の少女へ、晴明は重い口を開いた。

「……蘆屋家の嬢さんか?お前らは京都にいると思ってたが」

 蘆屋道満と安倍晴明といえば、平安時代の二大陰陽師。つまり、因縁の子孫同士の対面だ。

 蘆屋家の少女は、恭しく礼をした。

「諸用で東京へ参りまして……。折角ですので、安倍家ご嫡男様にご挨拶を」
「……」

 優雅に顔を上げる少女。紅玉に宿るのは、嫌悪、憎悪……。

「……それでは」

 それだけ告げると、視界を遮るほどのつよい風が吹く。
 その冷風が止んだ時、晴明の前には普段と変わらぬ道が続いているだけだった。

〈……晴明殿〉
「……あぁ」

 玄武の静かな声かけに、晴明は返事を返す。

「一難去ってまた一難……か」



 呼吸がままならない。
 喉にかかる圧迫感。

ーーどうして!!

 泣いている美雪の声が真誠の耳を刺す

ーーどうしてあの時私を一人にしたの?
ーーどうしてもっと早く来てくれなかったの?

 身体が動かない真誠の上に跨る彼女。
 表情さえ、よく見えない。

ーーあなたのせいで

 腹部に走る激痛。

ーー私、また苦しまなきゃいけないの?

 美雪の顔が、真っ白なアヘンの煙でドロリと溶けた。

「ッ…………!!」

 次の瞬間、視界に広がるのは木目の天井。ゆらゆらと揺れる室内ランプ。

「は…は…」

 荒い自分の呼吸が煩い。

(夢………)

 そう自覚したとき、深く長く真誠は息を吐いた。

「…目ぇ覚めたか」
「…」

 聞こえた声に視線を移す。
 彼が横たわる寝台に腰掛けているのは、晴明だった。
 窓から差し込む夕焼けが、悪友の険しい顔を照らしている。

「魘されてたぞ」
「ぅ、」

 ペチンと音を鳴らして、冷たい手ぬぐいが目元に落ちてきた。真誠はもぞもぞと布団から手を伸ばし、その手ぬぐいで汗を拭う。

「……なんでお前はもう普通なんだよ……」

 恨めしさが声に乗る。彼だって背中から刺されて生死を彷徨っていたはずなのに。

 そんなぼやきを、晴明は鼻で笑い飛ばした。

「俺だって痛いわ、馬鹿」
「……」
「単純にお前の方が重傷ってだけだ。それに、俺は両足自前なんでなぁ?」
「……クソが……」

 青白い顔に浮く脂汗。いくら拭いても、このじっとりとした空気の中では無駄骨だ。

「…まあ気張れよ。また立つところからなのはしんどいだろうが」
「……はぁ……」

 ため息だけで腹の中が引きつる。引かない痛みと見えている地獄に、真誠は気が遠くなりそうだった。

 その様子にため息をつきながら、晴明は話題を変える。

「…ところで、天乃原に何も言ってなかったのか、お前。美雪殿の件」
「……」

 だがその言葉に、真誠は盛大に顔をしかめた。

「…手紙はだした」

 当然過ぎる最低限に、晴明は目が点だ。

「それは…何も言ってないと同義だろう…」
「…チッ」
「おい」

 逃げるように寝返りを打ちたかった。残念ながらそれすら楽ではないので、仕方なく真誠は薄手の布団を頭まで被る。

「煩いなぁ…。お前には関係ないだろ…」

 もごもごと布ごしに聞こえる文句。余りに子供っぽい逃げ方に、晴明は小さくため息をついた。

 布団が不自然に凹んでいる彼の足元。そこを優しく撫でてやりながら、晴明は話を続けた。

「…関係あるから言ってんだよ」
「…?」
「納涼の社交会で、かなり詰められた。”安倍様は、真誠様と仲がよろしかったですよね?彼の奥方と噂されてる女性についても……、ご存知でしょう?”……だとよ」
「………」

 彼女のモノマネを交えた言葉。さすがの真誠も、目元だけは覗かせて尋ねた。

「…なんて答えたんだ」
「別に。俺の目から見た美雪殿を話しただけだ。貴様の不利になるようなことは言ってない」
「……そう」
「確かにお前、あの女が婚約者候補筆頭だったもんな」
「………」

 同業を営む同格の家柄の令嬢。晴明だけでなく、真誠自身だってそうなるものだと思っていた。
 
 闇と血に染まった美雪の姿を、目にするまでは。

「まっ、協力はしてやるよ。女を敵に回すとおっかないからなぁ…」
「……ん」

 いつの間にか、足は楽になっていた。
 自然と落ちてくるままに真誠は瞼を閉じる。

 悪友の指が晴明の服の裾を摘んでいたことに、彼は気づかぬフリをした。



 スタァン!と音が鳴る勢いで少女は襖を閉めた。
 ここは天乃原侯爵家の別荘。東京にいる間の滞在先だ。

「うぅ〜〜〜〜〜〜〜……!!」

 ジワリと溜まる涙。
 堪えるように、彼女は座布団に勢いよく顔を押し付ける。

「ムカつくーーーー!!!!ムカつく、ムカつくうううううう!!!!」

 そして彼女ーー蘆屋満ーーは、座布団に染み込ませるように全ての鬱憤を吐き出し始めた。

「なんなの!!なんなの葛原院って男!!!機能回復訓練が必要なのはわかるけど!!!もう会話くらい出来るじゃないのよ!!!そろそろ身勝手過ぎる結婚とやらの然るべき説明をお姉様にしなさいよーーーーー!!!!!」

 感情のままに足をバタつかせ、転がりまわる。
 纏めていた髪が乱れるが、お構いなしだ。

〈…大丈夫?〉

 京都から連れてきた猫又の尻尾が満の頬を撫でる。
 座布団から顔を上げ、彼女は相棒を抱き上げた。

「うん…。お姉様は気丈に振る舞ってらっしゃるし、余り手を出すなって仰られるのよ。あの侯爵家当主の男を本気で心配してらっしゃる。ここから横浜へ、毎日往復されて、あの男を支えてらっしゃる程だもの」

 リン、と鈴が鳴る。満は甘えるように猫又を抱きしめ呟いた。

「…私なら出来ない…。いくら正式な約束はなかったとはいえ、10年以上関係を続けてたのに、急に無下にしてきた男を支えるなんて…」
〈満…。〉
「お姉様はやっぱり凄い女性だわ…」

 雲が風に流されていく。月のない夜に、満の赤い目が鋭く光った。

「だからこそ、納得がいかない」

 使い魔を下ろし、乱れた髪を結び直す。
 満は座布団を手に、床の間へ。
 そこに炊かれているお香は、夢見を操る術の源。

 座布団を敷き、正座をする。

「妻も療養中…?言い訳おっしゃい!夫が重傷なのに全く顔を出さない女より、百合お姉様の方が侯爵家夫人に相応しい!」

 数珠を絡めた小さな指で、印を組んだ。

「…アンタからその女に離縁を突きつければ、あるべき姿へ収まりますわよね?葛原院真誠…!!」

 憎悪のままに、真言を唱え始める。
 揺らめく煙の向こうに見えるのは、眉間にしわを寄せる憎い男の寝顔だった。