水鏡の夫婦の契約結婚

「久世先生、寝不足みたいですね~」
「あら! もしかして、華族の奥さまとの初夜で……!?」
 
 キャーッと看護婦たちが耳打ちし合う。
 久世の目の下に濃いくまができていたのだ。加えてやつれており、平時より生気がない。

「あの冷静な久世先生が、想像できないわねぇ」
「一体どんな熱い夜を過ごしたら、あんなにやつれるのかしらねー?」

 皆は診察室へ視線を向けた。
 その扉が開くたび、消毒液の匂いがわずかに漏れる。

「次の方」

 入ってきたのは六十を過ぎた大工の男だった。手拭いを首に巻き、左手を庇うように抱えている。

「先生、木材で切っちまいまして」
「診せてください」

 大工が包帯をほどくと、掌に深い裂傷が現れた。
 久世は隣にいた看護婦へ視線を送る。

「消毒を」
「はい、先生」

 薬液が注がれ、傷口を洗う。

「沁みますなぁ……」
「……沁みますよね、あと少しで治りますから」
「先生はすげぇな。一人で外科から内科までどんな病気も診るんだ」

 久世医院は外科・内科・小児科など全て診る。

「ハハ。でも、私は診療科目でいうなら、外科の専門医です」

 久世は穏やかな口調で言った。

「すげぇな」
「いえいえ。それで、話を戻しますが……三日は重い物を持たないこと。包帯は毎日替えてください。熱が出たら、すぐ来てくださいね」

 久世は傷口の縫合を終え、白衣を整える。

「そんなに休んだら仕事にならねぇんですが……」
「仕事より手です。ここで無理をすれば、一生動かしづらくなるかもしれません」

 大工は困ったように頭をかいた。

「先生にそう言われちゃ敵わねぇ。ありがとよ、先生」

 書生の高山がカルテを持って入ってくる。

「久世先生、おはようございます……いや、ご結婚おめでとうございます!」
「ああ」

 高山は、久世の書生をはじめて日が浅い。しかし気づけば、右腕となっていた。

「参列して見ましたよ〜。奥さま、とっても可愛らしい人でしたね」

 久世の手がふと止まる。

「どうですか? 奥さまは」

 ――眷属の九尾の狐。未来を見通す異能。天々は天狐に変身する。

「全ては見間違いか、夢だ……もしくは小夜さんが奇術を仕掛けたか。あの九尾の狐はただの変異種だ。……未知の生物だからといって超常現象とは限らない」

 久世はボソボソと自分に言い聞かせた。

「え? 先生、聞こえません」
「別に、特に変わったことはないと言ったんだ」

 カルテを書く万年筆の手が再びサラサラと動き出す。久世の横顔をのぞきこみながら、高山は「えぇー?」と言う。

「――本当に、奥さまはあやかしの令嬢なんですか?」

 久世は顔をしかめた。

「今は診察中だ!」
「す、すみません……つい」

 大きなため息をつき、次の患者を診察室に通した。

「次の方」