ホテルの回転扉が静かに回る。久世が姿を現した。
「……!」
付き人たちを連れた小夜と目が合う。
「――申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
久世は駆けよった。小さく頭を下げる。
結婚前のデート。何とか水卜家から許可が降りた。
(ドキドキする……)
この日のやりとりは何度も頭の中でくりかえしてきた。それなのに、久世を目前にした瞬間、用意していた台詞は一つ残らず消えてしまう。
「どうぞ、お嬢様」
久世は左腕をそっと差し出した。
「あの……?」
久世は笑顔で「肘に手を添えてください」と言う。
小夜はかすかに指先をのばす。久世の肘に白い指を添えた。
久世が小夜の半歩前を歩く。
(これは……噂で聞いた西洋の恋人同士の歩き方なのかしら……?)
混雑している場所では、久世は軽く振り返る。
階段では一歩先に立ち、歩幅を合わせる。
ドアでは久世が先に扉を押さえ、「どうぞ」と小夜を先に通す。
(こんなの、生まれてはじめてだわ……)
その時、小夜の頭は人とぶつかった。
「……も、申し訳ありません!」
英国紳士。
(まぁ……!! 異人さん……)
ステッキを持って立っている。
「Oh, excuse me」
小夜の足元はすくんで、身体が強ばる。
その様子を見て、かばうように久世が一歩前に出た。スラスラと英語が出てくる。
やがて、紳士は笑みをこぼして去って行った。
「……お嬢様、大丈夫ですか?」
久世の低い声に、小夜は我に返った。
「あ、あの……は、はい……」
頭一つ分、背の高い彼をいつまでも見上げていた。
◇
珈琲は白磁の中で黒く沈み、久世の顔が映った。
「異国語が話せるんですか……?」
小夜は椅子に背中を離し、手を組んでいる。
「たしなみ程度ですよ」
久世は小声でささやいた。
小夜はあたりを見回しながら、カップを触ったりする。
「あ、あの……私、二十歳になりますが、この国から出たことすらなくって……いや、そもそも屋敷以外はほとんど……」
おずおずと顔を上げた。
「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。私も三十五になりますが、英国と独国しか足を運んだことがありません」
小夜はスプーンに手を取り、プディングを口に運んだ。舌の上でほろ苦さと甘味がとろける。
(清崇様は、なんてハイカラな人なんだろう……)
カップに手を伸ばした。
「……私は何をするにしても、力が強すぎてダメだって」
久世の瞳が揺れる。
「……例えば、どんな?」
「そうですね……例えば」
小夜は紅茶の水面に手をかざした。
光がパッと出て、その水面に映像が映る。
「な、何だ――?」
その映像には、久世の横顔。診察しながら子どもに微笑みかける。
「私がいる……!?」
手を振り、医院を後にする子どもと母親。
「私は並外れた力をもってますから……」
「力って……?」
久世は否定したくなる気持ちを抑えて、訊いた。
「幼い頃のことですが……」
小夜は伏し目がちになった。
◇
水卜一族の異能――水鏡。
太古より朝廷の卜占を司ってきた異能一族たちは、座敷に居並んでいた。
祭殿には、家宝の銅鏡。
鉛色の鏡面に、灯火がゆらめいている。
水卜一族の者が手をかざすと、鏡は白い光を放つ。
鏡には、鉄の鳥が何羽も飛んでいた。
当主の成斎はそれを見て目を閉じる。
「近き未来、帝国に鉄の鳥が盛んに飛ぶ」
五歳の小夜は一番の下座で、自分の番がくるのを待っていた。
「未来を映し出す異能を持つ子どもらよ、こちらへ」
兄や姉が順々に祭殿に上がる。
そして、小夜の番。
小夜がそっと手を伸ばした。
「!!」
風圧が鏡の周りから放たれる。
「な、何だ――!?」
灯火が順々に消えていく。
一族の者たちの身体が宙に舞い上がり、飛ばされた。
「キャアアア――」
ある者は畳に、またある者は襖を倒す。
「女狐!」
◇
「……水鏡の異能に、母の九尾の狐の力が加わった私は並外れた力を持ってしまって。でも、ご心配なく。だいぶ制御できるようになりましたから」
久世は硬直したまま、こう言った。
「すまないが、理解ができません」
眼鏡をかけ直して、ため息をつく。
「異能、あやかしの力……そんなもの科学で証明できますか?」
「え……? でも、帝国公認の…」
「再現性のない事象です」
「さっき、ここに異能を」
久世は腕を組んだ。
「何か仕掛けがあるはずです。倫敦では舞台奇術が流行っていましたし、私も何度か拝見しました。面白かったですよ」
「あの……」
それきりふたりは黙り込んだ。
「……!」
付き人たちを連れた小夜と目が合う。
「――申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
久世は駆けよった。小さく頭を下げる。
結婚前のデート。何とか水卜家から許可が降りた。
(ドキドキする……)
この日のやりとりは何度も頭の中でくりかえしてきた。それなのに、久世を目前にした瞬間、用意していた台詞は一つ残らず消えてしまう。
「どうぞ、お嬢様」
久世は左腕をそっと差し出した。
「あの……?」
久世は笑顔で「肘に手を添えてください」と言う。
小夜はかすかに指先をのばす。久世の肘に白い指を添えた。
久世が小夜の半歩前を歩く。
(これは……噂で聞いた西洋の恋人同士の歩き方なのかしら……?)
混雑している場所では、久世は軽く振り返る。
階段では一歩先に立ち、歩幅を合わせる。
ドアでは久世が先に扉を押さえ、「どうぞ」と小夜を先に通す。
(こんなの、生まれてはじめてだわ……)
その時、小夜の頭は人とぶつかった。
「……も、申し訳ありません!」
英国紳士。
(まぁ……!! 異人さん……)
ステッキを持って立っている。
「Oh, excuse me」
小夜の足元はすくんで、身体が強ばる。
その様子を見て、かばうように久世が一歩前に出た。スラスラと英語が出てくる。
やがて、紳士は笑みをこぼして去って行った。
「……お嬢様、大丈夫ですか?」
久世の低い声に、小夜は我に返った。
「あ、あの……は、はい……」
頭一つ分、背の高い彼をいつまでも見上げていた。
◇
珈琲は白磁の中で黒く沈み、久世の顔が映った。
「異国語が話せるんですか……?」
小夜は椅子に背中を離し、手を組んでいる。
「たしなみ程度ですよ」
久世は小声でささやいた。
小夜はあたりを見回しながら、カップを触ったりする。
「あ、あの……私、二十歳になりますが、この国から出たことすらなくって……いや、そもそも屋敷以外はほとんど……」
おずおずと顔を上げた。
「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。私も三十五になりますが、英国と独国しか足を運んだことがありません」
小夜はスプーンに手を取り、プディングを口に運んだ。舌の上でほろ苦さと甘味がとろける。
(清崇様は、なんてハイカラな人なんだろう……)
カップに手を伸ばした。
「……私は何をするにしても、力が強すぎてダメだって」
久世の瞳が揺れる。
「……例えば、どんな?」
「そうですね……例えば」
小夜は紅茶の水面に手をかざした。
光がパッと出て、その水面に映像が映る。
「な、何だ――?」
その映像には、久世の横顔。診察しながら子どもに微笑みかける。
「私がいる……!?」
手を振り、医院を後にする子どもと母親。
「私は並外れた力をもってますから……」
「力って……?」
久世は否定したくなる気持ちを抑えて、訊いた。
「幼い頃のことですが……」
小夜は伏し目がちになった。
◇
水卜一族の異能――水鏡。
太古より朝廷の卜占を司ってきた異能一族たちは、座敷に居並んでいた。
祭殿には、家宝の銅鏡。
鉛色の鏡面に、灯火がゆらめいている。
水卜一族の者が手をかざすと、鏡は白い光を放つ。
鏡には、鉄の鳥が何羽も飛んでいた。
当主の成斎はそれを見て目を閉じる。
「近き未来、帝国に鉄の鳥が盛んに飛ぶ」
五歳の小夜は一番の下座で、自分の番がくるのを待っていた。
「未来を映し出す異能を持つ子どもらよ、こちらへ」
兄や姉が順々に祭殿に上がる。
そして、小夜の番。
小夜がそっと手を伸ばした。
「!!」
風圧が鏡の周りから放たれる。
「な、何だ――!?」
灯火が順々に消えていく。
一族の者たちの身体が宙に舞い上がり、飛ばされた。
「キャアアア――」
ある者は畳に、またある者は襖を倒す。
「女狐!」
◇
「……水鏡の異能に、母の九尾の狐の力が加わった私は並外れた力を持ってしまって。でも、ご心配なく。だいぶ制御できるようになりましたから」
久世は硬直したまま、こう言った。
「すまないが、理解ができません」
眼鏡をかけ直して、ため息をつく。
「異能、あやかしの力……そんなもの科学で証明できますか?」
「え……? でも、帝国公認の…」
「再現性のない事象です」
「さっき、ここに異能を」
久世は腕を組んだ。
「何か仕掛けがあるはずです。倫敦では舞台奇術が流行っていましたし、私も何度か拝見しました。面白かったですよ」
「あの……」
それきりふたりは黙り込んだ。
