水鏡の夫婦の契約結婚

 ホテルの回転扉が静かに回る。久世が姿を現した。

「……!」

 付き人たちを連れた小夜と目が合う。

「――申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」

 久世は駆けよった。小さく頭を下げる。
 結婚前のデート。何とか水卜家から許可が降りた。

(ドキドキする……)

 この日のやりとりは何度も頭の中でくりかえしてきた。それなのに、久世を目前にした瞬間、用意していた台詞は一つ残らず消えてしまう。

「どうぞ、お嬢様」

 久世は左腕をそっと差し出した。

「あの……?」

 久世は笑顔で「肘に手を添えてください」と言う。
 小夜はかすかに指先をのばす。久世の肘に白い指を添えた。
 久世が小夜の半歩前を歩く。

(これは……噂で聞いた西洋(ヨーロッパ)の恋人同士の歩き方なのかしら……?)

 混雑している場所では、久世は軽く振り返る。
 階段では一歩先に立ち、歩幅を合わせる。
 ドアでは久世が先に扉を押さえ、「どうぞ」と小夜を先に通す。

(こんなの、生まれてはじめてだわ……)

 その時、小夜の頭は人とぶつかった。

「……も、申し訳ありません!」

 英国紳士。

(まぁ……!! 異人(いじん)さん……)

 ステッキを持って立っている。

「Oh, excuse me」

 小夜の足元はすくんで、身体が強ばる。
 その様子を見て、かばうように久世が一歩前に出た。スラスラと英語が出てくる。
 やがて、紳士は笑みをこぼして去って行った。

「……お嬢様、大丈夫ですか?」

 久世の低い声に、小夜は我に返った。

「あ、あの……は、はい……」

 頭一つ分、背の高い彼をいつまでも見上げていた。



 珈琲(コーヒー)は白磁の中で黒く沈み、久世の顔が映った。

「異国語が話せるんですか……?」

 小夜は椅子に背中を離し、手を組んでいる。

「たしなみ程度ですよ」

 久世は小声でささやいた。
 小夜はあたりを見回しながら、カップを触ったりする。

「あ、あの……私、二十歳になりますが、この国から出たことすらなくって……いや、そもそも屋敷以外はほとんど……」

 おずおずと顔を上げた。

「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。私も三十五になりますが、英国(イギリス)独国(ドイツ)しか足を運んだことがありません」

 小夜はスプーンに手を取り、プディングを口に運んだ。舌の上でほろ苦さと甘味がとろける。

(清崇様は、なんてハイカラな人なんだろう……)

 カップに手を伸ばした。

「……私は何をするにしても、力が強すぎてダメだって」

 久世の瞳が揺れる。

「……例えば、どんな?」
「そうですね……例えば」

 小夜は紅茶の水面に手をかざした。
 光がパッと出て、その水面に映像が映る。

「な、何だ――?」

 その映像には、久世の横顔。診察しながら子どもに微笑みかける。

「私がいる……!?」

 手を振り、医院を後にする子どもと母親。

「私は並外れた力をもってますから……」
「力って……?」

 久世は否定したくなる気持ちを抑えて、訊いた。

「幼い頃のことですが……」

 小夜は伏し目がちになった。

 ◇

 水卜一族の異能――水鏡(みずかがみ)
 太古より朝廷の卜占を司ってきた異能一族たちは、座敷に居並んでいた。

 祭殿には、家宝の銅鏡。
 鉛色の鏡面に、灯火がゆらめいている。

 水卜一族の者が手をかざすと、鏡は白い光を放つ。
 鏡には、鉄の鳥が何羽も飛んでいた。
 当主の成斎はそれを見て目を閉じる。

「近き未来、帝国に鉄の鳥が盛んに飛ぶ」

 五歳の小夜は一番の下座で、自分の番がくるのを待っていた。

「未来を映し出す異能を持つ子どもらよ、こちらへ」

 兄や姉が順々に祭殿に上がる。
 そして、小夜の番。
 小夜がそっと手を伸ばした。

「!!」

 風圧が鏡の周りから放たれる。

「な、何だ――!?」

 灯火が順々に消えていく。
 一族の者たちの身体が宙に舞い上がり、飛ばされた。

「キャアアア――」

 ある者は畳に、またある者は襖を倒す。

女狐(めぎつね)!」
 
 ◇

「……水鏡の異能に、母の九尾の狐の力が加わった私は並外れた力を持ってしまって。でも、ご心配なく。だいぶ制御できるようになりましたから」

 久世は硬直したまま、こう言った。

「すまないが、理解ができません」

 眼鏡をかけ直して、ため息をつく。

「異能、あやかしの力……そんなもの科学で証明できますか?」
「え……? でも、帝国公認の…」
「再現性のない事象です」
「さっき、ここに異能を」

 久世は腕を組んだ。

「何か仕掛けがあるはずです。倫敦では舞台奇術(ステージマジック)が流行っていましたし、私も何度か拝見しました。面白かったですよ」
「あの……」

 それきりふたりは黙り込んだ。