水鏡の夫婦の契約結婚

水卜小夜(みうらさや)と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 令嬢は、畳に指をつけて頭を下げる。
 振袖が波打った。
 小柄な身体に、丸い瞳だけが不安そうに揺れている。

「小夜お嬢様。私は久世清崇(くぜきよたか)と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」

 久世は、同じく頭をたれた。
 水卜伯爵邸の広間。
 小夜は、父である伯爵の隣で身を縮めている。
 両家の父は高い声で笑い合った。

「私の娘を嫁にもらってほしいのです」

 水卜伯爵は、白髭の口角をつりあげる。

「大病院を設立されるのが目標だとか……」

 伯爵は声を立てて笑った。

「……ちょうど、事業の出資先を探していたのですよ!」

 久世は、眼鏡をかけ直す。

「……小夜を嫁にするならば、資本と人脈も惜しみません」

 扇をトンと、手の平の上でたたいた。
 小夜は押し黙って、袖をぎゅっと握りしめて見ている。

「私にはもったいないお言葉です、伯爵様」

 久世はそう言うと、小夜に目を向ける。小夜はその視線に気づくと小動物のように肩を震わせた。

「――お嬢様はいかがですか?」
「えっ……私ですか?」

 小夜はかすかな声で答える。

「……よろしくお願いいたします」

 両家の父が満足げに笑い合う声だけが、大広間に響いた。



 ふたりだけの大広間。張りつめたような静寂。
 席を外した両家の父は、もっぱら事業の話で盛り上がっていたのだ。
 久世は開いた障子から見える庭先に目をやっている。背筋を伸ばし、黙っている。

「あの……」

 小夜のかすれた声。久世は目を向けた。

「あの……き、清崇様」

 小夜はじっと上目遣いで見ている。

「お庭でも、ご覧になりますか……?」

 久世は患者に向けるような静かな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。ご案内していただけますか?」
「あ……はい」
「では、お手をどうぞ。お嬢様」

 ずっと正座をしていた小夜は、くらりと足をすべらせる。

「こちらへ。私につかまってください」

 物腰柔らかなエスコートは英国(イギリス)流。小夜は、久世に触れられると耳まで赤くした。

「す、すみません……」

 そのままエスコートする。ふたりは縁側に腰をおろした。

「……お嬢様」
「は、はい?」

 久世は、じっと見下ろす。やわらかな声音で言った。

「街では妙な噂も耳にします。失礼とは承知ですが、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「は、はい……何でしょう」

 小夜は口ごもる。

「お嬢様は、あやかしの令嬢とは本当なのですか?」

 小夜はハッと目を上げ、青ざめた。

「そ、それは……」

 ひんやりとした風が二人の間を通り抜けていく。

「……なぜ、それを」

 小夜は目を伏せる。袖で顔を隠した。

「……いいえ。夫となる方に、隠し事はよくありませんね。私の母は……九尾の狐・玉藻前(たまもまえ)の末裔だったのです……」

 小夜の大きな瞳から涙が流れる。

「私を産んで亡くなりました……」

  久世は顔をひきつらせた。

「そ、それは……無遠慮に聞いてしまい、申し訳ありません」
「表向きは正妻の子どもになっていますが……私の母は(めかけ)でした」

 久世は胸元のポッケからシルクのハンカチを取る。小夜の涙を拭う。

「では、お嬢様にその狐の力が?」
「私には、水卜の異能だけではなく……母の力も受け継がれてしまいました」

 異能を持つ華族と、あやかしの末裔。
 そんな噂を、帝国臣民なら誰もが一度は耳にしている。
 だが、実際にその力を見た者はほとんどいない。

「……そうですね……、夫となる清崇様には私の大切な家族を紹介しなければ」

 小夜は手を叩いた。

「クン!」

 ポンッと出た煙の中から、白い獣が身を翻がえして現れる。

「な、何――!?」

 久世が思わず畳に手をついた。
 犬とも猫とも判別がつかない動物が、小夜の膝にお座りしているのだ。
 金色の毛の混じった九つの尾。赤い瞳。
 
「天々です。どうぞよろしくお願いします」

 久世は驚愕する。

「天々は、母の形見の眷属のあやかしなのです」
「あ……ありえない!!」

 やっと出た久世の言葉に、小夜は小首をかしげた。

「清崇様?」

 久世は慌てて広間を飛びだす。

「……どうされたのかしら?」
「クン」 

 久世は心の中で絶叫していた。

「九尾の狐など、狐の変異種にそう名付けただけにちがいない」

 では、突然姿を現したあれは何だ?

「……科学では、説明がつかない」

 ――奇術師(マジシャン)
 そうでなければ、あれをどうやって理解したらよいものか。
 久世は長い廊下で、立ち尽くしていた。