「水卜小夜と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
令嬢は、畳に指をつけて頭を下げる。
振袖が波打った。
小柄な身体に、丸い瞳だけが不安そうに揺れている。
「小夜お嬢様。私は久世清崇と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
久世は、同じく頭をたれた。
水卜伯爵邸の広間。
小夜は、父である伯爵の隣で身を縮めている。
両家の父は高い声で笑い合った。
「私の娘を嫁にもらってほしいのです」
水卜伯爵は、白髭の口角をつりあげる。
「大病院を設立されるのが目標だとか……」
伯爵は声を立てて笑った。
「……ちょうど、事業の出資先を探していたのですよ!」
久世は、眼鏡をかけ直す。
「……小夜を嫁にするならば、資本と人脈も惜しみません」
扇をトンと、手の平の上でたたいた。
小夜は押し黙って、袖をぎゅっと握りしめて見ている。
「私にはもったいないお言葉です、伯爵様」
久世はそう言うと、小夜に目を向ける。小夜はその視線に気づくと小動物のように肩を震わせた。
「――お嬢様はいかがですか?」
「えっ……私ですか?」
小夜はかすかな声で答える。
「……よろしくお願いいたします」
両家の父が満足げに笑い合う声だけが、大広間に響いた。
◇
ふたりだけの大広間。張りつめたような静寂。
席を外した両家の父は、もっぱら事業の話で盛り上がっていたのだ。
久世は開いた障子から見える庭先に目をやっている。背筋を伸ばし、黙っている。
「あの……」
小夜のかすれた声。久世は目を向けた。
「あの……き、清崇様」
小夜はじっと上目遣いで見ている。
「お庭でも、ご覧になりますか……?」
久世は患者に向けるような静かな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ご案内していただけますか?」
「あ……はい」
「では、お手をどうぞ。お嬢様」
ずっと正座をしていた小夜は、くらりと足をすべらせる。
「こちらへ。私につかまってください」
物腰柔らかなエスコートは英国流。小夜は、久世に触れられると耳まで赤くした。
「す、すみません……」
そのままエスコートする。ふたりは縁側に腰をおろした。
「……お嬢様」
「は、はい?」
久世は、じっと見下ろす。やわらかな声音で言った。
「街では妙な噂も耳にします。失礼とは承知ですが、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「は、はい……何でしょう」
小夜は口ごもる。
「お嬢様は、あやかしの令嬢とは本当なのですか?」
小夜はハッと目を上げ、青ざめた。
「そ、それは……」
ひんやりとした風が二人の間を通り抜けていく。
「……なぜ、それを」
小夜は目を伏せる。袖で顔を隠した。
「……いいえ。夫となる方に、隠し事はよくありませんね。私の母は……九尾の狐・玉藻前の末裔だったのです……」
小夜の大きな瞳から涙が流れる。
「私を産んで亡くなりました……」
久世は顔をひきつらせた。
「そ、それは……無遠慮に聞いてしまい、申し訳ありません」
「表向きは正妻の子どもになっていますが……私の母は妾でした」
久世は胸元のポッケからシルクのハンカチを取る。小夜の涙を拭う。
「では、お嬢様にその狐の力が?」
「私には、水卜の異能だけではなく……母の力も受け継がれてしまいました」
異能を持つ華族と、あやかしの末裔。
そんな噂を、帝国臣民なら誰もが一度は耳にしている。
だが、実際にその力を見た者はほとんどいない。
「……そうですね……、夫となる清崇様には私の大切な家族を紹介しなければ」
小夜は手を叩いた。
「クン!」
ポンッと出た煙の中から、白い獣が身を翻がえして現れる。
「な、何――!?」
久世が思わず畳に手をついた。
犬とも猫とも判別がつかない動物が、小夜の膝にお座りしているのだ。
金色の毛の混じった九つの尾。赤い瞳。
「天々です。どうぞよろしくお願いします」
久世は驚愕する。
「天々は、母の形見の眷属のあやかしなのです」
「あ……ありえない!!」
やっと出た久世の言葉に、小夜は小首をかしげた。
「清崇様?」
久世は慌てて広間を飛びだす。
「……どうされたのかしら?」
「クン」
久世は心の中で絶叫していた。
「九尾の狐など、狐の変異種にそう名付けただけにちがいない」
では、突然姿を現したあれは何だ?
「……科学では、説明がつかない」
――奇術師。
そうでなければ、あれをどうやって理解したらよいものか。
久世は長い廊下で、立ち尽くしていた。
令嬢は、畳に指をつけて頭を下げる。
振袖が波打った。
小柄な身体に、丸い瞳だけが不安そうに揺れている。
「小夜お嬢様。私は久世清崇と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
久世は、同じく頭をたれた。
水卜伯爵邸の広間。
小夜は、父である伯爵の隣で身を縮めている。
両家の父は高い声で笑い合った。
「私の娘を嫁にもらってほしいのです」
水卜伯爵は、白髭の口角をつりあげる。
「大病院を設立されるのが目標だとか……」
伯爵は声を立てて笑った。
「……ちょうど、事業の出資先を探していたのですよ!」
久世は、眼鏡をかけ直す。
「……小夜を嫁にするならば、資本と人脈も惜しみません」
扇をトンと、手の平の上でたたいた。
小夜は押し黙って、袖をぎゅっと握りしめて見ている。
「私にはもったいないお言葉です、伯爵様」
久世はそう言うと、小夜に目を向ける。小夜はその視線に気づくと小動物のように肩を震わせた。
「――お嬢様はいかがですか?」
「えっ……私ですか?」
小夜はかすかな声で答える。
「……よろしくお願いいたします」
両家の父が満足げに笑い合う声だけが、大広間に響いた。
◇
ふたりだけの大広間。張りつめたような静寂。
席を外した両家の父は、もっぱら事業の話で盛り上がっていたのだ。
久世は開いた障子から見える庭先に目をやっている。背筋を伸ばし、黙っている。
「あの……」
小夜のかすれた声。久世は目を向けた。
「あの……き、清崇様」
小夜はじっと上目遣いで見ている。
「お庭でも、ご覧になりますか……?」
久世は患者に向けるような静かな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ご案内していただけますか?」
「あ……はい」
「では、お手をどうぞ。お嬢様」
ずっと正座をしていた小夜は、くらりと足をすべらせる。
「こちらへ。私につかまってください」
物腰柔らかなエスコートは英国流。小夜は、久世に触れられると耳まで赤くした。
「す、すみません……」
そのままエスコートする。ふたりは縁側に腰をおろした。
「……お嬢様」
「は、はい?」
久世は、じっと見下ろす。やわらかな声音で言った。
「街では妙な噂も耳にします。失礼とは承知ですが、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「は、はい……何でしょう」
小夜は口ごもる。
「お嬢様は、あやかしの令嬢とは本当なのですか?」
小夜はハッと目を上げ、青ざめた。
「そ、それは……」
ひんやりとした風が二人の間を通り抜けていく。
「……なぜ、それを」
小夜は目を伏せる。袖で顔を隠した。
「……いいえ。夫となる方に、隠し事はよくありませんね。私の母は……九尾の狐・玉藻前の末裔だったのです……」
小夜の大きな瞳から涙が流れる。
「私を産んで亡くなりました……」
久世は顔をひきつらせた。
「そ、それは……無遠慮に聞いてしまい、申し訳ありません」
「表向きは正妻の子どもになっていますが……私の母は妾でした」
久世は胸元のポッケからシルクのハンカチを取る。小夜の涙を拭う。
「では、お嬢様にその狐の力が?」
「私には、水卜の異能だけではなく……母の力も受け継がれてしまいました」
異能を持つ華族と、あやかしの末裔。
そんな噂を、帝国臣民なら誰もが一度は耳にしている。
だが、実際にその力を見た者はほとんどいない。
「……そうですね……、夫となる清崇様には私の大切な家族を紹介しなければ」
小夜は手を叩いた。
「クン!」
ポンッと出た煙の中から、白い獣が身を翻がえして現れる。
「な、何――!?」
久世が思わず畳に手をついた。
犬とも猫とも判別がつかない動物が、小夜の膝にお座りしているのだ。
金色の毛の混じった九つの尾。赤い瞳。
「天々です。どうぞよろしくお願いします」
久世は驚愕する。
「天々は、母の形見の眷属のあやかしなのです」
「あ……ありえない!!」
やっと出た久世の言葉に、小夜は小首をかしげた。
「清崇様?」
久世は慌てて広間を飛びだす。
「……どうされたのかしら?」
「クン」
久世は心の中で絶叫していた。
「九尾の狐など、狐の変異種にそう名付けただけにちがいない」
では、突然姿を現したあれは何だ?
「……科学では、説明がつかない」
――奇術師。
そうでなければ、あれをどうやって理解したらよいものか。
久世は長い廊下で、立ち尽くしていた。
