怪異対策課、はじめます。


『Happy Birthday to you――』

教室に歌声が響く。
クラス中の笑い声と拍手。

教壇の前では、一人の少女が震えていた。

『……っ』

『おめでとう』

誰かが笑う。

『次は貴方の番』

その声だけが教室に響いた。



欠伸を噛み殺しながら、実里は教室へ入った。
いつものようにリュックを机へ置き、教科書を取り出す。

「ねえ、聞いた?」
「何を?」

隣の席からひそひそとした声が聞こえてくる。

「昨日の怪しい男。また学校に来てるらしいよ」
「あぁ、青井奈子のこと聞いて回ってる人?」
「そうそう」
「警察じゃないんでしょ?」
「違うみたい」
「もう勘弁してほしいよね。散々事情聴取されたのに」
「……うん。本当に」

「……」

実里は教科書を開く手を止めた。

(やっぱり……あの人も奈子ちゃんのことを調べてる)

意を決して、隣の席の二人へ声をかける。

「……ねえ。その青井奈子って、誰?」
「……え?」
「……」

二人は揃ってきょとんとした表情で実里を見た。

(しまった……直球すぎた!!)

慌てて言葉を継ぎ足す。

「わ、私も昨日、その男の人に聞かれて……。でも、このクラスにはそんな名前の子いないでしょ? だから、他のクラスなのか、他学年なのか……全然分からなくて」

一瞬、二人は顔を見合せた。

「……知らない方がいいよ」

実里は息を飲む。

「え?」
「青井奈子のことは」
「……そ、それって、どういう――」
「はい、みんな席についてー。朝礼始めますよ」

先生の声と共に一日が始まった。
二人はもう実里を見ようとしなかった。




「何なのよ、もうー!!」

昼休み。
人気の少ない中庭の片隅で、実里は頭を抱えていた。

あれから何度も話の続きを聞こうとしたが二人はもう口を開いてくれない。
奈子の名前を出した途端、周りの生徒たちも同じだった。
誰もが口をつぐみ、視線を逸らす。
誰一人として、真実を教えてはくれなかった。

「何なのよ……」

パンを片手にベンチの上で足をばたつかせる。

「もう!」
「どうした〜?何か分かったか?」
「ぎゃあっ!?」

聞き覚えのある声に飛び上がる。
振り返ると、昨日の男が立っていた。

「うわ、ごめんごめん。驚かせた?」
「あ……昨日の不審者」
「ひどいなぁ。不審者から昨日は昇格したと思ったのに」

男は遠慮なく実里の隣へ腰を下ろした。

「で、なんでそんなバタバタしてんの?」
「…あ、これは…」
「誰も青井奈子について教えてくれない?」
「……え」
「そんな顔してる」

男はくすっと笑った。

「図星か」
「……奈子ちゃんの名前を出した途端、みんな何も話してくれなくて……」
「…まっ、そうだろうな」

男の言葉に実里は顔をあげた。

「どうして?そんなに聞かれたくないこと?」

男は一呼吸置いて話し出す。

「話したら最後だ」
「?」
「自分のしたことの重さを、認めることになる。だから誰も話さない」
「……」
「見ないふりはできても、無かったことにはならないからな〜」
「……」

実里は何も言えなかった。

「ところで、お前のクラスに休んでるやついるか?」
「……休んでる?」

実里は記憶をたどる。
転校してから、一度も姿を見ていない席。
毎朝、誰も座らない机。

「ひとりだけ……います」

実里は教室の一番後ろの窓際を思い浮かべた。

「ずっと空席の席が、一つだけ……」
「そうか」

男はそれ以上何も言わなかった。
けれど、その表情だけが少しだけ真剣になった気がした。





昼休みが終わり、教室には午後の気だるい空気が流れていた。
実里が教科書を机へ広げた、その時だった。

ガラッ。

教室の扉が開く。

「……え?」

誰かが小さく息をのむ。
教室中の視線が、一斉に入口へ向いた。

「………」

制服姿の女子生徒が立っていた。
初めて見る顔。
けれど彼女は周囲の視線など気にも留めず、まっすぐ教室の一番後ろへ歩いていく。

そして──

ずっと空席だった窓際の席へ、当たり前のように腰を下ろした。
教室は静まり返った。

(あの席……)

実里の胸がざわつく。
さっき男が聞いたばかりの席だった。

その時だった。

「……はっ、はぁ……っ」

教室の静寂を裂くように、荒い呼吸が響く。
クラス中の視線が、一人の女子生徒へ集まった。

「……っ、はぁ……」

胸を押さえ、肩を震わせる。
瞳には今にも零れそうな涙が滲み、呼吸をすることさえ苦しそうだった。

「…何?」

その言葉は苦しそうな女子生徒へ向けられていた。

「私が来たから?」
「はぁ…はっ」
「はぁ…本当に…何で青井はこんなヤツ庇ったんだろう」

その一言で教室の空気は一変した。

「こんなやつ庇う必要なかったじゃん」
「はぁ…はっ」
「ほんと意味わかんない」

教室が凍りついた。
誰も声を出せない。

「……やめて」

震える声だった。
胸を押さえた女子生徒が涙を零しながら首を振る。

「やめてよ……もう……」
「何が?」

本当に分からないという顔をした。

「なにその顔」
「……っ」
「被害者ぶってんの?」

女子生徒の肩が震える。

「青井が庇わなきゃよかっただけでしょ」

教室の空気が凍りつく。

「……」
「あの子、勝手に庇って勝手に死んだだけじゃん」

その瞬間だった。
いつもは屋上から動かなかった奈子が気づいたら教室の後ろ、窓際に立っていた。
ずっと空席だった席のすぐそば。
俯いていた顔が、ゆっくりと上がる。

「……奈子ちゃん」

思わず零れた声だった。

「……え?」

教室中の視線が、一斉に実里へ向く。

「……なんて?」

彼女の目が細くなる。

「……ぁ、いや……」

まずい…そう思った、その時だった。

ガラッ。

「授業始めます。みんな席について」

教師の声が教室に響く。
張り詰めていた空気が、一瞬だけほどけた。
彼女は実里を睨んだまま、ゆっくりと席へ腰を下ろす。
教師は教室を見回し、小さく眉をひそめた。

「……何かあったの?」

誰も答えない。
静寂だけが教室を包んでいた。

「……」

教師は教室を見回し、小さく息をつく。

「和泉さん、大丈夫?」

名前を呼ばれた和泉は肩を震わせたまま、小さく頷いた。

「……は、い」

声にならない返事だった。

「保健室へ行って休んできなさい」

その一言に、和泉は鞄も持たず逃げるように教室を飛び出していく。

バタン――。

扉が閉まる音だけが、妙に大きく響いた。
教師は教室を見渡し、どこか腑に落ちない表情を浮かべる。

「……授業を始めます。教科書を開いて」

実里は思わず教室の後ろを見ると奈子はまだそこに立っていた。
そして奈子はゆっくりと和泉の席へ歩み寄る。
その表情には怒りも憎しみもなかった。
ただ、悲しそうに…。





授業が終わり、実里は保健室へと急いでいた。
実里は和泉の様子が気になっていたのだ。

(和泉さんなら、何か話してくれるかも…)

急ぎ足で廊下を歩く。

「ねえ!」

その時大きな声で呼び止められ振り向いた。
そこには…。

「……」

主犯格と思われる彼女の姿があった。

「あんた転校生?」
「うん…」

彼女はじっと実里を見つめる。

「なんで、転校生が青井の事知ってんの?」

低い声だった。

「…昔の知り合いで…」

その瞬間。
彼女はふっと鼻で笑った。

「へぇ」

彼女一歩、実里へと近づく。

「運悪かったね」
「……え?」
「死んだ人間なんか知り合いだったら、ろくなことないよ」

その言葉に実里は怒りを覚えた。
誰よりも優しくて、強い奈子が何故そんな風に言われないといけないのか…一体彼女が何をしたと言うのだろう。

「なんで…」
「…は?」
「なんで、そんな酷いことが言えるの!?奈子ちゃんが何をしたって言うの!」

沈黙が二人を包む。

「……邪魔したから」

小さな呟きに、実里は思わず声を漏らす。

「……は?」

彼女はゆっくり顔を上げた。

「邪魔したの」

その目には怒りだけが宿っていた。

「あいつが……私の邪魔をした」
「……邪魔?」
「偽善者ぶって。今まで見て見ぬふりしてたくせに、急に正義の味方ぶって」

吐き捨てるように笑う。

「私に指図してきた」

実里は何も言えない。

「だから教えてあげたの」

彼女は笑った。

「そんなにヒーローになりたいなら」

一歩、実里へ近づく。

「次はあんたの番だって」

喉の奥が熱くなる。
気づけば視界が滲んでいた。

「…何それ…何…?その理由…」
「だから、私は悪くない…悪いの…青井だから」
「……っ」

実里は拳を強く握り締めた。
言い返したい…けれど、怒りで喉が震え、言葉にならない。

「……そう思い込まないと、生きていけないもんな」

聞き慣れた声が、廊下に静かに響いた。
廊下の奥からゆっくり歩いてきた男は、二人の間で足を止める。

「自分は悪くないって思い込まなきゃ、夜も眠れないか?」

彼女の表情が強張る。

「……誰?」
「学校から依頼を受けて来た」
「依頼?」
「去年の飛び降りの件でな」

彼女の肩がぴくりと震えた。
男はその反応を見逃さない。

「随分長いこと学校を休んでたらしいな」
「……っ」
「怖かったか?」

彼女は何も答えない。
男は静かに続ける。

「飛び降りた青井奈子が、今でも学校にいるって噂……知ってるんだろ?」
「…………」
「だから、学校に来られなかった」
「……そんなの、ただの噂でしょ」

男は笑わない。

「そう思うなら、どうして顔色が変わった?」
「……っ」
「お前視たんじゃないか?」

ビクッと身体を震わす彼女。

「青井奈子の幽霊」
「……っ!」

男の言葉を聞いた瞬間、彼女の脳裏にあの日の光景が蘇る。




『たくっ! なんでこんな時間まで拘束されなくちゃいけないのよ!』

学校に来ていた警察との事情聴取が終わった頃には、時計の針は十八時を回っていた。

青井奈子が飛び降りた花壇の周囲には、まだ規制線が張られている。

彼女は無意識に視線を向けたが、すぐ逸らした。
見たくなかった。
早く帰りたかった。
その時だった。

ドサッ。

重いものが地面へ叩きつけられる音。

『……え?』

反射的に振り返る。

そこには――制服姿の少女が、うつ伏せに倒れていた。

『……は……?』

ゆっくりと少女の体が霞んでいく。

そして次の瞬間。
屋上の縁に、また同じ少女が立っていた。

『……う、そ』

少女は何も言わない。
ただ、一歩踏み出す。

ドサッ。

また落ちる。

ドサッ。

また落ちる。

何度も…何度も…何度も。

まるで彼女だけに見せつけるように。

『ぁ……』

呼吸ができない。
耳鳴りがする。

『ぁぁぁぁぁぁぁ!!』

悲鳴を上げ、彼女は校門へ向かって駆け出した。
頭の中を、一つの名前だけが駆け巡った。
青井奈子。




何かを思いだしたように震え出す彼女。

「……っ」
「幽霊なんて居ない」

男の声が響く。

「……は?」
「あれはお前が作り出した地獄だ」
「……」
「お前が罪を認めない限りな」

男はそれだけ言って踵を返した。
実里は慌てて男を追いかける。

「待って!」

男は立ち止まらない。

「さっきのどういう意味?」
「……」
「奈子ちゃんはいるよ…?」

男は少し笑う。

「いるな」
「じゃあなんで幽霊なんていないって」

男は振り返る。

「俺が言ったのは、あいつが見てる幽霊の話だ」
「……え?」
「あれは青井奈子じゃない」
「え?」
「罪悪感ってのは、人間に一番よく効く呪いだからな」
「…呪い…?」
「だから放っといても勝手に苦しむ」

男は小さく肩をすくめた。

男は振り返らずに言った。

「俺の仕事はいじめっ子を改心させる事じゃない」
「………」
「もう誰にも届かなくなった声を聞くことだ」

そう言って男は笑った。
実里は一瞬止めた足で男を追いかけた。