昔から、そうだった。
私の周りには、いつも人がいた。
それが当たり前で、疑うことすらなかった。
『実里ちゃん、誰と話してるの?』
そう聞かれるまでは――。
女子生徒の声で賑わう朝の学校。
青い空に小鳥たちの声が響く。
実里はある場所を眺めていた。
「………」
次の瞬間、風を切るような音が響いた。
周囲の生徒たちは笑い合い、足を止めることもない。
誰も気づかない。
誰も振り返らない。
屋上から落ちた少女の姿も。
そこに残された想いも。
実里にしか視えない、もうこの世にはいない人の姿だった。
転校して二ヶ月が経った。
実里は毎朝、同じ時間に屋上を見上げていた。
そして今日もまた、少女は同じ場所に立つ。
何度も、何度も。
あの日の最後を繰り返す。
今までの経験上、自殺をしたらその瞬間を繰り返すというのはあながち間違いではないということだけは分かった。
授業中にふと窓に目をやると最後の瞬間をまだ繰り返している。
「…いつまでやるんだろう」
「え…?なんか言った?」
「ううん、何でもない」
隣の席のクラスメイトにそう言うと頷いて黒板に視線を戻した。
ノートに板書しながら、転校初日を思い出す。
屋上から飛び降りる姿は、初めこそ驚いた。
けれど、誰も悲鳴を上げなかった。
誰も屋上を見上げなかった。
そこでようやく気づいた。
幽霊なのだと――。
同じ制服を着ていることからこの学校の生徒で…少なくとも、最近までこの学校に通っていた生徒なのだと思った。
この学校は三年前に制服が変わり、その新しい制服を着ていたのだ。
それからクラスメイトの会話に耳を澄ますと…。
『そういえば去年のさ』
『屋上の…?』
『やめなよ、その話』
どうやら去年、この学校では飛び降り自殺をした生徒がいたらしい。
ここまで聞けば今でも飛び降り続ける彼女は去年亡くなったのだと分かる。
実里はペンを握った手に力が入った。
ポキッとシャーペンの芯が折れる。
白いノートの上で折れた芯だけが残る。
「……終わりじゃない」
小さく漏れた声は、誰にも届かない。
死んだら終わり。
そう思っていた頃が、実里にもあった。
けれど、実際は違う。
残された想いは、死んだ後もその場所に残り続ける。
◇
「…園芸委員?」
「そう、実里さん転入したばかりだから知らないと思うんだけどひとりひとつ委員会に入らないといけなくて…園芸委員しか空きがなくて」
申し訳なさそうに委員長が言葉を紡ぐ。
「月に1回、一週間交代で花壇の水やりをしなくちゃいけないんだけど…今日から一週間お願いしてもいいかな?」
「…分かった」
「いきなりでごめんね、詳しいことは廊下の園芸委員会のロッカーの中に注意事項書いたものがあるからそれを見て貰った方がいいかも!よろしくお願いします!」
そう言い残して委員長は去っていった。
実里は言われた通りに委員会のロッカーを開けた。
そこには水やり用のホース等が入っており注意事項や手順も丁寧に書いてあった。
さすが、女子校。
全てが丁寧である。
実里はホースを持ち花壇へと向かった。
照りつける太陽が頬を刺す。
実里は花壇を見つけると、足を止めた。
そして、ゆっくりと空を見上げる。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
ここだった。
少女が何度も、最後の瞬間を繰り返す場所。
誰も知らない、彼女の終わりの場所だった。
実里は最悪だと言わんばかりに頭をガシガシとかく。
「ここかぁ〜」
すると女子校では珍しい低い声が耳に響いた。
視線を向けると黒いシャツに黒いズボンに包まれた長身の男が何かを探すように空を仰いでいる。
見るからに不審者だった。
実里は危険を察知し気づかれないように校舎へ戻ろうと踵を返す。
「そこの君!」
実里はビクッと肩を震わせた。
ぎこちなく振り返るとサングラスをかけた男が笑った。
「最近、変なもの見なかった?」
ひやりと背中が冷たくなったのが分かった。
「…変な…もの…」
実里の言葉を男が待つ。
そして実里は指を指した。
男に―。
俺?とでも言うように自身を指さした男は撤回するように両手を挙げ弁解する。
「あ、いや……怪しい意味じゃなくて…いや、この格好で言っても説得力ないな」
男はたじたじになりながらもサングラスを外し、首から下げていた名札を翳す。
「学校から依頼を受けて来ました。少し確認したいことがあって」
そう言って男は笑った。
小さな雫が花弁を濡らしていく。
宝石のように光を含んだ雫はキラキラと光る。
「へぇ〜、最近転校して来たんだ」
「…はい」
男は距離を取り空を眺めながら話す。
「……この学校、妙な噂があるんだけど」
ピクっと体が反応した。
「屋上から飛び降りる生徒の話、聞いたことない?」
その言葉を聞いた瞬間、指先の力が抜けた。
散水ノズルのレバーから手を離す。
ピタリと水は止まった。
「……」
沈黙が流れる。
「…あり、ます」
男の表情が一瞬だけ変わった。
けれど、それはすぐに笑顔に戻る。
「具体的にどんな?」
「えっと、去年飛び降りて亡くなった生徒がいるとか…」
「去年か〜じゃあ、君はそれが誰か知らないよね」
「そう、ですね」
「だよね〜、ん〜他に聞くしかないなあ」
男が何かを考えている時、ドサッと重たい何かが落ちた音がした。
「………」
実里は息を飲んだ。
男は気づかず何か話している。
実里はそんな言葉は耳に入らなかった。
「…奈子ちゃ…ん?」
気づかなかった…。
いつも遠くから見ていた。
それが誰かなんて、気にも止めなかった。
だって…きっと知らない誰かだろうから…。
繰り返すその惨劇を初めて間近で見た。
顔がはっきり分かるような距離で…。
「…奈子ちゃん」
「…奈子ちゃん?」
男は実里の様子に気づき聞こえた名前を反芻する。
「亡くなったのは、青井奈子」
男は静かに実里の顔を凝視する。
「この学校の二年生です」
◇
『奈子は分かってるから』
あの日言ってくれた言葉をあの笑顔を忘れた日はない。
十年経った今でも。
十年ぶりにこの街へ戻ってきた時、どこかでまた会えるかもしれないと思っていた。
こんな形は望んでいなかった。
「へぇ〜、昔の友達ね〜」
「…はい」
「仲良かったの?」
男は淡々と実里と奈子の話を聞く。
戸惑いも何も感じられない。
「引っ越す前までは…引っ越してからは音信不通でしたけど」
「まあ、子どもならそうだよね」
男の気にもとめないそりゃそうだと言いたげな軽い雰囲気に何者なのかと実里も思うが詮索はしなかった。
「あの、そのさっき言ってた飛び降りる生徒の噂って?」
「あぁ…友達の君にこんな事言うのは酷だと思うけど」
男は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「いじめを苦に飛び降りた生徒が自身をいじめたヤツを探してるって噂聞いたことない?」
「…探してる?」
「そう、その青井さん?を校舎内で見たって噂が多くていじめに加担した生徒を探してるとか何とか」
「……」
「そのせいで学校を休む生徒や、転校を希望する生徒まで出てるらしい」
「……そんな」
「まあ、学校っていう場所は集団が故に不安を煽りやすいから。仕方がないとも言えるよ、この状況は」
男が話す言葉に彼は何者なのかという疑問を大きくなる。
「ちょっと!」
すると後者の方から大きな声が聞こえた。
「生徒への聞き込みは辞めて下さいと言いましたよね!?」
そこには怒り顔の女性教師の姿があった。
「あはは〜でもやっぱり生徒に聞かなきゃね〜」
「生徒たちに不安を与えないで下さい!それでなくとも生徒は不安を抱えています!」
「あ〜そうですね、すみません」
「もう、本当に辞めてくださいね。貴方もほら、水やりが終わったなら帰りなさい」
「…はい」
先生の言葉に実里は後ろ髪引かれる思いでその場を後にする。
その間も謎の男は笑顔で手を振っていた。
結局その男が何者なのか、聞き出すことは出来なかった。
◇
その日の夜、久しぶりに奈子ちゃんの夢を見た。
『実里ちゃん、泣いてるの?』
『……皆、嘘つきって言う』
『嘘?』
『嘘じゃないもん。本当にいるんだもん』
『うん』
『本当なのに……』
『うん、分かってるよ』
『……』
『実里ちゃんは嘘つかないもん』
『……奈子ちゃん』
『奈子は分かってるから』
そう言って笑う奈子ちゃんの笑顔は眩しかった。
薄らと覚醒する意識の中、ゆっくりと瞳を開けると頬が濡れていた。
「……何があったの…?」
届かない言葉。
「……なんで…」
今更聞いても遅い。
「……死んじゃたの?」
不毛な答えを探した。
もう彼女には答えられないその答えをただ知りたいと思った。
あの日、奈子ちゃんが何を思っていたのか。
どうして、ひとりで終わりを選んだのか。
もう届かない答えを探すように、実里はただ願った。
奈子ちゃんの本当の想いを――。
◇
暗い闇に月が浮かぶ。
「まさか、視えてるなんてなあ」
男は月を見上げ、ふっと笑った。
「……これは、思ったより早く片付きそうだ」
消え入るような声が闇夜に溶けた。



