比翼連理の翼を得て

 その日、私は自室に戻ると、休みでご飯はセルフサービスなのをいいことに、食堂に行くこともせずにひとりで布団を敷いて寝込んでいた。
 真智ちゃんがいなくなってから、狭かった部屋も少し広くなり、私のすすり泣く声だけが響いている。
 高藤くんは怖い。彼の得体の知れなさ……それこそ、私が八咫烏だと知って、まるで外堀を埋めるようにして私を籠絡しようとしていた手腕は意味がわからな過ぎて、本当に怖い。
 その彼の計画を真っ正面から壊したのは柘榴だったけれど。今の私は彼のことを信用することもできずに、ただひとりで泣いていた。
 そしてこのことをわざわざ呼び出して教えた鶴丸くんも、つばめちゃんも。なんでわざわざ教えてきたのか意味がわからなくって、それに怖がっていた。
 真相をある程度わかっていてなお、実家を脅迫されて口封じされていた九郎も、八咫烏のことを私に唐突に教えた雫くんも……意味がわからなくって嫌だった。
 そもそも。
 全部の真相を知っていたのに、どうして渡真利くんは全然教えてくれなかったの。
 真智ちゃんは訳わからないまま私を番にしたがり、私の中をさんざん踏み荒らしていなくなってしまった。
 もう、私はなにを信じればいいのかわからず、ぐっちゃりと眠ってしまい、目が覚めたのは夕方だった。
 窓から漏れる森の梢に遮られた柔らかい夕陽を受け、私はやっと目を覚ました。

「……起きたか」
「……柘榴」

 あれ、と思う。
 柘榴はもし私のところに訪問に来るなら、まず座敷牢の寮長に話を付けるし、そもそも柘榴は許可無く寝込みを襲う真似は絶対にしない。
 そう理解しているはずなのに、私の口はつるりとしゃべる。

「どうして私と契約したの。私が……私が托卵だったから? 私が八咫烏の羽化するの、ずっと待っていた訳?」
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、やっと気付いたか大馬鹿者が」

 ううん? と思う。
 柘榴は偉そうな口調でしゃべる割には、人を蔑むような語彙がない。それをするのは、むしろ山下寮の子たちだろう。
 ならどうして。どうして柘榴はこんなにひどいことを言うのだろう。
 違和感はあれども、私は勝手にしゃべり出す。

「どうして……! あんたは私が八咫烏で、魔力が芳醇だから、それ全部奪い取りたかったの? 魔力が多いのが、幻想種にとっては偉いってことの証明らしいね。そのため?」
「もちろんだ。我が鳳家は帝の守護役であり、矛であり盾。力があると誇示してなにが悪い?」
「あれだけ私にあれこれと言っていたの、あれは全部嘘? 私の根性が気に入ったとか、私のことを美しいと言ったのは、全部リップサービス? 信じられない……!」
「当たり前だ。お前みたいな下々も下々。施設育ちのどこの腹から生まれたかもわからぬ女に、どうして情けをかけなければならない? 利用できるからに決まっているだろうが」
「…………っ!?」

 私は勝手に泣いて怒っているものの、それを見ている私の自我は、どこかしらけきっていた。
 私の体が勝手に怒っているのに反して、私の自我はどうにも心が凪いで仕方がない。
 いや。私。柘榴はそんなこと言わないよ。
 あいつはたしかに偉そうな言動ばかりするよ。でもあいつ、思っている以上に人のこと好きだよ。あいつがホットレモネードつくってくれたのは、私が混乱している中、少しでも寝られるようにだし。
 あいつが爺やさんや小百合さん、佐代里さんみたいな人たちのことも大好きなのは、多分あいつのことを鳳家の嫡男ではなく、柘榴坊ちゃまと思って見ているからだと思うよ。
 多分、あいつは。鳳家の嫡男としてしか見られていなかったからこそ、幻想種のことも、鳳家のこともわかっていない私のことを気に入ってくれたんだと思う。
 あいつが私を守ってくれたのは、全部が全部嘘ではないと思うよ。
 そもそも渡真利くん、さんざん黙っていることを柘榴に言えって言ってくれていたじゃない。そして渡真利くんは私に起こる騒動のことを予見して、わざわざ身の守り方を教えてくれていた……そんなことしなくてもいいのにわざわざしてくれたのは、私がひとりでもちゃんと身を守れるようにだし、渡真利くんが柘榴の友達だからだし。
 うん?
 そりゃ私のややこしい現状知ったら危ないから助けようと思って、幻想種の調査をしていた鶴丸くんもつばめちゃんも警告するし、幻想種の権力に屈服してもなお、九郎は私のことを心配するに決まっているよね? 雫くんは知らない。あの子は知的好奇心のままに動いているっぽいから。
 あれ?
 私、どうしてもう誰も信用できない、高藤くんしか信じられないって思ったんだ?
 高藤くんが一番信用できないのに?
 私の体が勝手に柘榴と怒鳴り合っている中、だんだん私の自我は冷静になってきた。
 ……そうだ、これ。幻覚かなんかの魔法だ。でもここまで、人の夢を通して少しずつ少しずつ人に対する認識をずらしていく魔法なんて、ほぼ洗脳の一種であり、授業で習う類いのものではない。
 だとしたら……これは幻想種の持っている固有魔法で、柘榴の炎魔法や真智ちゃんの風魔法に近いもの。
 どうしよう、私の自我自体はこれが幻覚魔法だと気付いたものの、今の私では打開方法がない。そもそも幻覚魔法なんて呪いの一種だ。これをかけられた可能性があるのは、どう考えても社交界で高藤くんと話をしたとき……一瞬彼に目を奪われたときだけだ。
 魔眼の類いだったら、ますます今の私には手に負えない。だとしたら、私が対抗できるカードなんて、柘榴からかけてもらった防御魔法くらいしかない。
 私はなんとか怒鳴り合う体に介入し、自分の唇に意識を集中させた。あいつが私の唇に残したはずの防御魔法は……まだ途切れていない。
 私は……あんたの番なんでしょう? 柘榴、あんたは私のことを守ってくれる気があるんでしょう? 私を番にするって言っておいて、私が勝手に呪われたことをそのままにするなんて赦さない。
 私の気持ちを勝手に奪っておいて、守るって言っておいて、契約してから大変な目にばっかりに置いておいて、それを野放しにするなんて、絶対に赦さない。

「あんたなんか……私の番じゃない……! 番を解消しろ……!」
「私の番は柘榴ただひとりだ……! あんた私の番なんだったら、私の危機に真っ先に駆けつけなさいよ! 信じるって決めたんだから信じさせなさいよ……!」

 身勝手な言葉が、体から同時に飛び出す。
 それが吉と出るか凶と出るかは、今の私にはわからない。

****

 澄子が自身にかけられた呪いが発動し、必死に抵抗しているそれより少し前。
 幻想種の寮の区画で、柘榴は渡真利としゃべっていた。
 それぞれの寮には、それぞれ結界が張り巡らされている。ただでさえどこもかしこも貴族の出であり、それぞれが傍聴されたら困る情報を抱えているのだから、結界で盗聴を防ぐのは当然過ぎる判断であった。
 渡真利は柘榴の寮に手土産のおはぎを出し、それを見た爺やがそれに一番合う緑茶を淹れてくれたので、それを食べながら話をしていた。

「……なんや、とうとう高藤くんに宣戦布告されたん?」
「ああ。あいつは好かん。なんでこうも遠回り過ぎるんだ」
「せやね。まさか澄子ちゃん狙ってるからって、そこまで遠回りにするとは思てなかったわ」
「あれじゃあ澄子が可哀想過ぎる。月谷は骨がある男だが、実家を人質に取られたのならそりゃ身動きもできないし、相談もできまいよ」
「ありゃりゃ。柘榴くんからしてみれば、高藤くんよりも月谷くんのほうがええ男か」
「当たり前だ。八咫烏だと知ってもなお手元に置こうとする気概のある男のほうが、八咫烏だと知ったからこそ全力で澄子を籠絡する気だった男よりもマシだ……まあ、あれは俺様の番だ。誰にも渡さん」
「ふうん。一応確認するけど、柘榴くんは八咫烏の持っとるって言われとる魅了能力のせいで、自分の気持ちを操られてるとか思わん訳?」

 おはぎをヒョイパクして、緑茶をすする渡真利を、柘榴は嫌そうな顔で睨み付けた。
 柘榴の立場だと、なかなか友達というものはできにくい中、数少ない友達であり渡真利だが、言っていいことと悪いことはある。

「クドい。そもそも俺様が澄子を知ったのは入学当時からで、羽化する前からだから関係がない」
「せやねえ、ほんま一途やもん柘榴くんは」
「お前には負けるがな」

 身分違いな好きな子に、なんとか振り向いてほしくて、実家に帰るたびに通っているのを知っている柘榴がそう返すのに、渡真利はもじもじしているのを横目に、柘榴は振り返る。
 彼女の背筋が伸びているのを見かけたのは、図書館に本を返しに行くときだったか。
 特待生の奨学金で通っている以上、成績を落とせないからと、図書館の閉館時刻ギリギリまで図書館で勉強し、図書委員に「閉館です」と言われて閲覧席から追い出されるまで、ずっと机に齧り付いている姿勢。
 たまたまその日は予定が入っていなかった柘榴は、それを見ていた。
 同じ寮の人間とは、全く話が合わないようで、どうにも浮いていた。どうしてかと周りに聞いてみたら、施設出身ゆえに、流行の歌も芸能人も本も知らない彼女は、周りとなにひとつ話題が合うことがなく、せいぜい授業の話やら、小テストのヤマを確認するくらいしか、話題がなかったのだという。おまけに病院経営をしている医者の息子と番になったことで、ひどく嫉妬の視線を受けていた。
 柘榴からしてみれば、そんな中でもずっと背筋を伸ばして、教材を持って歩いている彼女がひどく美しく見えたのだ。
 しかし既に契約している以上、承諾なしに契約申し込みなんてできない。そもそも自分が下手に声をかけては彼女に迷惑がかかるのではないか。
 そう思ったら本当に遠くから見つめることしかできなかったのだ。

「柘榴くん柘榴くん、それやとストーカーやで」
「しかし……あれは俺様のことを知らないのに、どうすればいいのか……」
「ただの同級生やったら、普通に図書館で本の話でもしてええやろ」
「あれは成績をひとつも落とせないから必死で勉強をしているのに、そこで邪魔したら嫌われるのでは?」
「うん、せやなあ……なら、ほんまに彼女が困っとるタイミング見計らって出てったら、ちょっとは気ぃ向けてくれるんとちゃうのん? 知らんけど」
「知らんのか」
「うん、知らん」

 こうして、渡真利にはさんざん「ストーカー」と言われながらも、彼女の様子を見ていた。彼女は高海澄子という名前だということ。一般庶民としてはまずまず金持ちである月谷九郎と番ったばかりに、ひどく女子たちからやっかみが原因で嫌われていること。どうも彼女に気のある男はいるらしいが、彼女の邪魔にならないようにと番の九郎が牽制をかけて守っていたこと。
 彼女が困ってそうなタイミングで助けに行こうとしたら、九郎が率先して助けていたのだから、柘榴の出る幕などなかったが。
 どうも光の玉がちょろちょろ彼女を監視していることに気付いた。

「……むっ?」

 これだけ巧みに動かせる魔法は一般庶民が習う基礎教養魔法ではない。幻想種が持つ固有魔法だ。それが澄子をずっと監視していることに気付いた。
 それに柘榴はどうしたものかと考える。わざわざ正体を隠して彼女を見張っているのも気に食わないが、下手なことをして実家同士で抗争を起こすのも叶わないが。
 その光がよりによって、実践授業中の澄子の片翼を引き裂いたのだ。

「ああっ……!」

 ずっと監視魔法をかけていた柘榴は思わず授業中に悲鳴を上げ、当然ながら周りから白い目で見られたが。
 そこから澄子が坂道を転げ落ちるかのように落ちぶれていくのは見ていられなかった。
 しかも、気概があると思っていた九郎がなにかに脅迫され、契約を解除したとき、柘榴は焦った。
 明らかにあの光の主が犯人だが、下手に調査ができない。だが、このままでは澄子がその訳のわからない男にさらわれる。
 あの背筋の真っ直ぐな女が誰かにすがる様は見ていたくなかった。

(……全てを知ったら嫌われるかもしれない)

 元々人にさんざん利用されてきた柘榴は、初めて人に嫌われることを恐れた。柘榴視点では嫌われたほうが距離を稼げるからマシだったのだが。澄子から距離を取られるのは哀しいと思ったのだ。
 彼女を守ろう。嫌われても守ろう。彼女の綺麗な背筋を守るために。
 だからこそ、彼女の声に歓喜したのだ。
 柘榴のこれまでの回想はふっと途切れて、緑茶でおはぎを流し込んだ。

「どうしたん、柘榴くん?」
「澄子が呼んでいる。俺様に助けを求めている」
「防御魔法まだかけとったん」
「当たり前だ。あれが現れることはわかっていたからな。行ってくる」
「まあ、きばりやあ」

 渡真利に手を振られながら、柘榴は羽を広げた。
 鳳凰の翼は、真っ直ぐに座敷牢を目指していた。