私が思わず後ずさりしていると、高藤くんは穏やかにこちらに寄ってくる。
でも、赤いルビーの瞳はちっとも笑っていない。あれだけ赤々と燃えている色なのに、すっと冷えているのは何故なのか。
「どうなさいましたか? 高海さん」
「……ええっと……高藤くんと私は、なんというか違うというか……柘榴が待っていると思うから、失礼しますね」
「お待ちください」
手を掴まれ、私はそこでビリッとなにかを感じ取った。
……今の私は魔力がないせいで、魔力感知も働かなければ当然魔法だって使えない。なにをされたのかがわからないけれど、呪われたような怖気が走った。
「……今、なにをしたの」
「あれはいずれあなたを裏切ります」
「……なにが」
「あなたはあれと袂を分かつべきです。あなたは……あれとは幸せにはなれない」
その言葉のひとつひとつが、体に染み込もうとする。
それを拒むかのように、肌が発火したかのようにかっかと熱くなる……というか、発火している。
「ええっ!?」
「……ちい」
まるで私に触れた高藤くんから私を消毒するかのように、いきなり人体発火した……そうか、柘榴がかけた守護魔法、未だに効いてたんだ。
「俺様の番のなんの用だ、高藤」
「……鳳くん。いえ。彼女に警告をしたまでのことですよ」
「勝手なことばかり言うな。行くぞ澄子」
「……うん。高藤くんごめんね、私たち行くね」
「……ええ。お気を付けて。でも私はなにも諦めてはいませんから」
「いい加減にしろ。ここには陛下もいる。そんな場所でお前と遣り合う気はない」
「奇遇ですね。私もそんな恥知らずな真似はしません」
ふたりの間であからさまに嫌悪、憎悪、嫉妬……ありとあらぬる負の感情がぶつけ合われている。
私はそれから逃れたくて「柘榴、行こう」と必死に彼の手を引いて、その場を後にすることにしたんだ。
****
本来なら、そのまま寮に戻ってもよかったものの、柘榴が「今日は俺様のところに泊まれ」と言われてしまい、結局私はつばめちゃんから借りた魔道具の電話で連絡を入れることにしたのだ。
「ごめんね、今日はちょっと柘榴のところで泊まることになった。一応校内に戻ってきてはいるけど、このこと寮長にも伝えておいて」
『うん、わかった。社交界どうだった?』
「うーん? ご飯がよくわからない名前の料理ばっかりだったけど、どれもおいしかったなあ。最後に食べ損ねたデザート、名前聞いてなかったけど、多分大陸料理だと思うんだよね。今度図書館でレシピがないか調べてみるよ」
『アハハハハ……楽しかったのならよかった。鳳くんは多分無理強いはしないとは思うけど、やなことはちゃんとやだって言うんだよ?』
「いや、多分柘榴は人の寝込みは襲わないと思うよ」
『もーう、澄子ちゃんったら!』
そうやり取りをしながら、天馬の馬車に乗る。
柘榴はずっと不機嫌そうにしているのに「あのさあ」と声をかけた。
「あれは私のミスだから。あんまり怒らないで」
「いや、すまん。俺様が迂闊だった。あれがいるとわかっていたのに」
「……柘榴、もしかしなくっても、高藤くんのこと嫌い?」
「嫌いどころではない……俺様はあいつを赦さない」
普段偉そうな口調をしていても、基本的にいい奴の柘榴が、こんなに珍しく嫌悪感全面押しなのは初めて見る。
私は「そう」とだけ言った。
帰ったらまだ残っていた小百合さんと佐代里さんが、私が寮に泊まることを告げたらどよめいたあと、「綺麗に化粧を落としましょう!」「まだ若いですからあまり保湿をやり過ぎてもよくないですけど、スキンケアはいくらやってもいいですからね!」「あとよく眠れるようにバラ油使いましょうバラ油!」と私がひとりで入ろうとしていたお風呂に寄ってきて、コットンでものすごく丁寧に化粧を落とす、頭皮マッサージでものすごく丁寧に髪を洗う、フェザータッチで体を洗ってマッサージなど、あまりにも至れり尽くせりで茫然としながら、貸してもらった寝間着で風呂から上がった。
……なんかすごくいい匂いがするし、肌は化粧落としてもらってマッサージされたせいなのか、異様に肌がもちもちしている。私はいったいなにをされたんだ。
私が前に借りた部屋に戻ると、柘榴が同じく寝間着で来た。
「澄子」
「なによ」
「……あー、一緒に寝るか?」
なにかものすごく言いたそうにしてたもんなあ。私は下の階に爺やさんも小百合さん佐代里さんもいることを確認してから、顔を上げた。
「やらしいことしない?」
「しない」
「なんか私、高藤くんにされたみたいだけど、私だとわからない。助けて」
「わかった」
「ならいいよ」
そう言いながら、ふたりでベッドに座った。柘榴は私の髪に指を滑らせた。巻いてもらった髪はシャンプーですっかりと巻きが取れて元のストレートヘアに戻っている。柘榴の手櫛にされるがままになっている中、私は尋ねた。
「私が高藤くんに取られると思ったの?」
「あれはそういう奴だ。狡猾なんだ」
「そっか……私がなにされたのかわかる?」
「多分。一応俺の防衛魔術がまだ効いているが、それを崩されたらお前にも悪影響があると思う」
「それって補強できるの?」
私が尋ねると、柘榴はぶすくれた顔をして私を見下ろした。私の髪をといていた指も止まった。
「なによ」
「……これ以上触って、お前に嫌われたら怖い」
「キスまでならいいよ。それ以上したら、もう口聞かないけど」
「俺様だってそれ以上する気はないが!? まだ学生だが!?」
顔を真っ赤にしてそう言い出す柘榴に、私はほっとしてしまった。
高藤くんに向けていたのは、威嚇とかそんなんじゃない……あんまり考えたくなかったけど、あれは殺意だった。
あれは帝が同じ会場にいたから、どちらも止まってくれたけど。
……連理学園は残念ながら、帝のお膝元ではない。もしふたりが校内で対峙することになったらどうなるのか……幻想種に成り立ての真智ちゃんとの決闘とは桁違いな大事になるのは、間違いないと思う。
なんで高藤くんまで私にちょっかいかけてきたのかわからないけど。やだなあと思ってしまった。
一番嫌なのは、私を物扱いされるからではない。
柘榴の心根を変えないでほしいと思ったんだ。
こいつはいい奴だ。変なところで寂しがり屋だし、信頼している人たちには全面的に信頼を寄せる。こいつに向けられる情が案外心地いいと、私はもう知っている。
柘榴は私の顔を傾けると、キスをしてきた。前の解呪のためのキスよりも長かったと思ったら、角度を変えて、音を立てて何度も続けてきた。
そのまま押し倒されたものの、本当に抱き込まれただけで、それ以上なにもしてくることがなかった。重いし苦しいし、なんか硬かったけど、まあいいかと思って、そのまま眠りにつくことができた。
夢も見ないで、そのままぐっすりと眠ってしまったんだ。
****
「今晩は来てくれてありがとう、月谷くん」
「いや……別に呼んでくれてかまわなかったとはいえど……こんなところでいいのか?」
「はい。ここは結界が施されて防音処理が施されていますから。あとつばめさんが防音装置を作動させてくれていますから、結界に不備があったときも問題ありませんよ。二段構えです」
「はあ……」
澄子が社交界に出かけた日、座敷牢の図書館には、九郎と雫が訪問してきていた。
図書館には、日頃からここで幻想種の調査をしている鶴丸とその番のつばめ。九郎の番の雫は図書館に張り巡らされた結界を物珍しそうに眺めていた。
「すごいですね、迷家時代の結界が今もこれだけ健在だなんて」
「前に雨漏りがひどいときも、魔法修繕師さんがここの結界に魔力を注ぎ込んで自己修復機能で修繕してくれたんだ」
「ほほう! 結界に迷家時代の記録まで保存しているなんて!」
雫が嬉々として迷家時代からの結界と戯れているのに、九郎が頭を下げた。
「すまない。雫はあまりに神童だけど、あのテンションに誰も付いていけないからと、教師から俺に番を任せて性格矯正を任されたものの、本当に好き勝手ばかりして」
「いえいえ。座敷牢に住んでる人たちと似たり寄ったりですから、あまりお気になさらず。早速ですが本題に入ってよろしいですか? ……澄子さんと契約を切った経緯についてです」
「……彼女が授業中、本当に唐突に魔力を失った」
「それは澄子さんからも伺いました」
「でも連理の枝で契約をしていた俺には、それには違和感があった……実践授業中、本当に唐突に彼女の翼が消えたけれど、まるで俺には……彼女の片翼が落とされたように見えた。でも錯覚かもしれない」
「錯覚かもしれない……というのは?」
「……見ていたのは俺だけで、他の皆は『消えた』と言っていた。澄子は片翼が消失してからもずっと保健室でリハビリをしていたものの、とうとう魔力は戻ってこなく、魔法も使えなくなっていた」
九郎の声はぷるぷると震えていた。
つばめが「せめて飴でも食べて落ち着いて」と購買部で買った飴を勧める。水分の多いものはさすがに図書館に持ち込みは禁止だったが、飴くらいならばかまわない。
出された飴を九郎が手で転がしている中、鶴丸が尋ねた。
「なるほど……澄子さんの魔力消失事故ですが、僕はずっと事故ではなく、事件ではないかと疑っていましたが。疑惑が深まってきましたね」
「そうなのかな。私にはこれだけだとなんとも言えないけど」
「それでは月谷くん。今現在、幻想種は実家が特に爵位も立場もない真智さん以外、全員出払っています。今だったら、君に番解消を脅迫した方のこと、告げることも可能だと思いますが?」
「……っ!!」
九郎は息を呑んだ。隣で聞いていたつばめは悲鳴を上げる。
「ちょっと、鶴丸くん。それって……!」
「この間からたびたび月谷くんとお話をし、君のファンだって方々ともお話しましたけど、どうも皆の証言と君の行動に矛盾を感じておかしいと思っていたんです。君の性格上、魔力がなくなったくらいでは、絶対に澄子さんを見放すことはできません。基本的に連理学園の一般庶民は魔力をふたりひと組でなかったら使えません。一般庶民のほとんどは、魔力制御の方法を教わっていませんからね。そんな中、番が唐突に魔力を失った場合でも、君の性格を考えたら、ひとりで抱え込んで、ふたりで卒業を目指すはずです。違いますか?」
「そ、れは……」
「ああ、それ僕も疑問に思っていました」
ずっと結界の解析をして遊んでいた雫が口を挟んできた。
「九郎先輩、高海先輩に未練タラタラだから、ならどうして番解消したのかなあと。でも今の番の僕にも教えてくれないんですよ。ああ……だから、星影先輩は今日九郎先輩を呼んだんですねえ」
「おい、雫……」
「はい。君の性格を考えたら、魔力がなくなっただけでは澄子さんと番解消をするとは思えない。澄子さんは諦観がやけに強い方ですから、すぐ諦めてしまいましたけど。でも……ご実家を人質に取られていた場合、君の立場だったら自分の気持ちだけを優先できないのでは?」
「……っ!!」
九郎が息を呑んだ中、隣でつばめが悲鳴を上げた。
「ちょっと! それって……!」
「はい……澄子さんの一連の魔力消失事件、糸を引いているのは間違いなく幻想種ですから。でもひとつだけ疑問が残るんです。真智さんのように、幻想種は契約の上書きができるはずなのに、どうして澄子さんに直接会って番契約の上書きをしなかったのか。どうしてまどろっこしくも月谷くんと番解消なんて遠回しな手段を選んだのか……これは、しなかったのではなく、できなかったのではないかと思いました」
「はい?」
普通ならありえない話だった。
九郎はいくら優秀な生徒とはいえど、一般庶民だ。魔力はどう頑張っても幻想種には勝てない。一般庶民同士の番契約は、幻想種の手にかかればすぐに契約を上書きできてしまう。
それを犯人はしなかったのだ。
鶴丸はメガネのブリッジを押さえながら問いかけた。
「これは、澄子さんと契約していた月谷くんからでなければわからないかと思って聞きたかったんです。澄子さんは魔力がなくなったんじゃなくって……自分で魔力を出せなくなったんじゃないですか?」
でも、赤いルビーの瞳はちっとも笑っていない。あれだけ赤々と燃えている色なのに、すっと冷えているのは何故なのか。
「どうなさいましたか? 高海さん」
「……ええっと……高藤くんと私は、なんというか違うというか……柘榴が待っていると思うから、失礼しますね」
「お待ちください」
手を掴まれ、私はそこでビリッとなにかを感じ取った。
……今の私は魔力がないせいで、魔力感知も働かなければ当然魔法だって使えない。なにをされたのかがわからないけれど、呪われたような怖気が走った。
「……今、なにをしたの」
「あれはいずれあなたを裏切ります」
「……なにが」
「あなたはあれと袂を分かつべきです。あなたは……あれとは幸せにはなれない」
その言葉のひとつひとつが、体に染み込もうとする。
それを拒むかのように、肌が発火したかのようにかっかと熱くなる……というか、発火している。
「ええっ!?」
「……ちい」
まるで私に触れた高藤くんから私を消毒するかのように、いきなり人体発火した……そうか、柘榴がかけた守護魔法、未だに効いてたんだ。
「俺様の番のなんの用だ、高藤」
「……鳳くん。いえ。彼女に警告をしたまでのことですよ」
「勝手なことばかり言うな。行くぞ澄子」
「……うん。高藤くんごめんね、私たち行くね」
「……ええ。お気を付けて。でも私はなにも諦めてはいませんから」
「いい加減にしろ。ここには陛下もいる。そんな場所でお前と遣り合う気はない」
「奇遇ですね。私もそんな恥知らずな真似はしません」
ふたりの間であからさまに嫌悪、憎悪、嫉妬……ありとあらぬる負の感情がぶつけ合われている。
私はそれから逃れたくて「柘榴、行こう」と必死に彼の手を引いて、その場を後にすることにしたんだ。
****
本来なら、そのまま寮に戻ってもよかったものの、柘榴が「今日は俺様のところに泊まれ」と言われてしまい、結局私はつばめちゃんから借りた魔道具の電話で連絡を入れることにしたのだ。
「ごめんね、今日はちょっと柘榴のところで泊まることになった。一応校内に戻ってきてはいるけど、このこと寮長にも伝えておいて」
『うん、わかった。社交界どうだった?』
「うーん? ご飯がよくわからない名前の料理ばっかりだったけど、どれもおいしかったなあ。最後に食べ損ねたデザート、名前聞いてなかったけど、多分大陸料理だと思うんだよね。今度図書館でレシピがないか調べてみるよ」
『アハハハハ……楽しかったのならよかった。鳳くんは多分無理強いはしないとは思うけど、やなことはちゃんとやだって言うんだよ?』
「いや、多分柘榴は人の寝込みは襲わないと思うよ」
『もーう、澄子ちゃんったら!』
そうやり取りをしながら、天馬の馬車に乗る。
柘榴はずっと不機嫌そうにしているのに「あのさあ」と声をかけた。
「あれは私のミスだから。あんまり怒らないで」
「いや、すまん。俺様が迂闊だった。あれがいるとわかっていたのに」
「……柘榴、もしかしなくっても、高藤くんのこと嫌い?」
「嫌いどころではない……俺様はあいつを赦さない」
普段偉そうな口調をしていても、基本的にいい奴の柘榴が、こんなに珍しく嫌悪感全面押しなのは初めて見る。
私は「そう」とだけ言った。
帰ったらまだ残っていた小百合さんと佐代里さんが、私が寮に泊まることを告げたらどよめいたあと、「綺麗に化粧を落としましょう!」「まだ若いですからあまり保湿をやり過ぎてもよくないですけど、スキンケアはいくらやってもいいですからね!」「あとよく眠れるようにバラ油使いましょうバラ油!」と私がひとりで入ろうとしていたお風呂に寄ってきて、コットンでものすごく丁寧に化粧を落とす、頭皮マッサージでものすごく丁寧に髪を洗う、フェザータッチで体を洗ってマッサージなど、あまりにも至れり尽くせりで茫然としながら、貸してもらった寝間着で風呂から上がった。
……なんかすごくいい匂いがするし、肌は化粧落としてもらってマッサージされたせいなのか、異様に肌がもちもちしている。私はいったいなにをされたんだ。
私が前に借りた部屋に戻ると、柘榴が同じく寝間着で来た。
「澄子」
「なによ」
「……あー、一緒に寝るか?」
なにかものすごく言いたそうにしてたもんなあ。私は下の階に爺やさんも小百合さん佐代里さんもいることを確認してから、顔を上げた。
「やらしいことしない?」
「しない」
「なんか私、高藤くんにされたみたいだけど、私だとわからない。助けて」
「わかった」
「ならいいよ」
そう言いながら、ふたりでベッドに座った。柘榴は私の髪に指を滑らせた。巻いてもらった髪はシャンプーですっかりと巻きが取れて元のストレートヘアに戻っている。柘榴の手櫛にされるがままになっている中、私は尋ねた。
「私が高藤くんに取られると思ったの?」
「あれはそういう奴だ。狡猾なんだ」
「そっか……私がなにされたのかわかる?」
「多分。一応俺の防衛魔術がまだ効いているが、それを崩されたらお前にも悪影響があると思う」
「それって補強できるの?」
私が尋ねると、柘榴はぶすくれた顔をして私を見下ろした。私の髪をといていた指も止まった。
「なによ」
「……これ以上触って、お前に嫌われたら怖い」
「キスまでならいいよ。それ以上したら、もう口聞かないけど」
「俺様だってそれ以上する気はないが!? まだ学生だが!?」
顔を真っ赤にしてそう言い出す柘榴に、私はほっとしてしまった。
高藤くんに向けていたのは、威嚇とかそんなんじゃない……あんまり考えたくなかったけど、あれは殺意だった。
あれは帝が同じ会場にいたから、どちらも止まってくれたけど。
……連理学園は残念ながら、帝のお膝元ではない。もしふたりが校内で対峙することになったらどうなるのか……幻想種に成り立ての真智ちゃんとの決闘とは桁違いな大事になるのは、間違いないと思う。
なんで高藤くんまで私にちょっかいかけてきたのかわからないけど。やだなあと思ってしまった。
一番嫌なのは、私を物扱いされるからではない。
柘榴の心根を変えないでほしいと思ったんだ。
こいつはいい奴だ。変なところで寂しがり屋だし、信頼している人たちには全面的に信頼を寄せる。こいつに向けられる情が案外心地いいと、私はもう知っている。
柘榴は私の顔を傾けると、キスをしてきた。前の解呪のためのキスよりも長かったと思ったら、角度を変えて、音を立てて何度も続けてきた。
そのまま押し倒されたものの、本当に抱き込まれただけで、それ以上なにもしてくることがなかった。重いし苦しいし、なんか硬かったけど、まあいいかと思って、そのまま眠りにつくことができた。
夢も見ないで、そのままぐっすりと眠ってしまったんだ。
****
「今晩は来てくれてありがとう、月谷くん」
「いや……別に呼んでくれてかまわなかったとはいえど……こんなところでいいのか?」
「はい。ここは結界が施されて防音処理が施されていますから。あとつばめさんが防音装置を作動させてくれていますから、結界に不備があったときも問題ありませんよ。二段構えです」
「はあ……」
澄子が社交界に出かけた日、座敷牢の図書館には、九郎と雫が訪問してきていた。
図書館には、日頃からここで幻想種の調査をしている鶴丸とその番のつばめ。九郎の番の雫は図書館に張り巡らされた結界を物珍しそうに眺めていた。
「すごいですね、迷家時代の結界が今もこれだけ健在だなんて」
「前に雨漏りがひどいときも、魔法修繕師さんがここの結界に魔力を注ぎ込んで自己修復機能で修繕してくれたんだ」
「ほほう! 結界に迷家時代の記録まで保存しているなんて!」
雫が嬉々として迷家時代からの結界と戯れているのに、九郎が頭を下げた。
「すまない。雫はあまりに神童だけど、あのテンションに誰も付いていけないからと、教師から俺に番を任せて性格矯正を任されたものの、本当に好き勝手ばかりして」
「いえいえ。座敷牢に住んでる人たちと似たり寄ったりですから、あまりお気になさらず。早速ですが本題に入ってよろしいですか? ……澄子さんと契約を切った経緯についてです」
「……彼女が授業中、本当に唐突に魔力を失った」
「それは澄子さんからも伺いました」
「でも連理の枝で契約をしていた俺には、それには違和感があった……実践授業中、本当に唐突に彼女の翼が消えたけれど、まるで俺には……彼女の片翼が落とされたように見えた。でも錯覚かもしれない」
「錯覚かもしれない……というのは?」
「……見ていたのは俺だけで、他の皆は『消えた』と言っていた。澄子は片翼が消失してからもずっと保健室でリハビリをしていたものの、とうとう魔力は戻ってこなく、魔法も使えなくなっていた」
九郎の声はぷるぷると震えていた。
つばめが「せめて飴でも食べて落ち着いて」と購買部で買った飴を勧める。水分の多いものはさすがに図書館に持ち込みは禁止だったが、飴くらいならばかまわない。
出された飴を九郎が手で転がしている中、鶴丸が尋ねた。
「なるほど……澄子さんの魔力消失事故ですが、僕はずっと事故ではなく、事件ではないかと疑っていましたが。疑惑が深まってきましたね」
「そうなのかな。私にはこれだけだとなんとも言えないけど」
「それでは月谷くん。今現在、幻想種は実家が特に爵位も立場もない真智さん以外、全員出払っています。今だったら、君に番解消を脅迫した方のこと、告げることも可能だと思いますが?」
「……っ!!」
九郎は息を呑んだ。隣で聞いていたつばめは悲鳴を上げる。
「ちょっと、鶴丸くん。それって……!」
「この間からたびたび月谷くんとお話をし、君のファンだって方々ともお話しましたけど、どうも皆の証言と君の行動に矛盾を感じておかしいと思っていたんです。君の性格上、魔力がなくなったくらいでは、絶対に澄子さんを見放すことはできません。基本的に連理学園の一般庶民は魔力をふたりひと組でなかったら使えません。一般庶民のほとんどは、魔力制御の方法を教わっていませんからね。そんな中、番が唐突に魔力を失った場合でも、君の性格を考えたら、ひとりで抱え込んで、ふたりで卒業を目指すはずです。違いますか?」
「そ、れは……」
「ああ、それ僕も疑問に思っていました」
ずっと結界の解析をして遊んでいた雫が口を挟んできた。
「九郎先輩、高海先輩に未練タラタラだから、ならどうして番解消したのかなあと。でも今の番の僕にも教えてくれないんですよ。ああ……だから、星影先輩は今日九郎先輩を呼んだんですねえ」
「おい、雫……」
「はい。君の性格を考えたら、魔力がなくなっただけでは澄子さんと番解消をするとは思えない。澄子さんは諦観がやけに強い方ですから、すぐ諦めてしまいましたけど。でも……ご実家を人質に取られていた場合、君の立場だったら自分の気持ちだけを優先できないのでは?」
「……っ!!」
九郎が息を呑んだ中、隣でつばめが悲鳴を上げた。
「ちょっと! それって……!」
「はい……澄子さんの一連の魔力消失事件、糸を引いているのは間違いなく幻想種ですから。でもひとつだけ疑問が残るんです。真智さんのように、幻想種は契約の上書きができるはずなのに、どうして澄子さんに直接会って番契約の上書きをしなかったのか。どうしてまどろっこしくも月谷くんと番解消なんて遠回しな手段を選んだのか……これは、しなかったのではなく、できなかったのではないかと思いました」
「はい?」
普通ならありえない話だった。
九郎はいくら優秀な生徒とはいえど、一般庶民だ。魔力はどう頑張っても幻想種には勝てない。一般庶民同士の番契約は、幻想種の手にかかればすぐに契約を上書きできてしまう。
それを犯人はしなかったのだ。
鶴丸はメガネのブリッジを押さえながら問いかけた。
「これは、澄子さんと契約していた月谷くんからでなければわからないかと思って聞きたかったんです。澄子さんは魔力がなくなったんじゃなくって……自分で魔力を出せなくなったんじゃないですか?」



