その日、私は食事当番で厨房に立っていた。
今日の食事はカレーライス。皆でかまどに薪をくべながらつくるオーソドックスな料理に、私はわくわくしながら包丁を握っていた。
「そういえば、始業式の前に幻想種の人としゃべってたけど、あれ大丈夫だったの?」
つばめちゃんは綺麗にりんごを剝きながら尋ねる。それに私は苦笑いを浮かべた。
「まあいろいろ話したよ。渡真利くん……姑獲くんそこまで悪い人じゃなかったから、それにはほっとした」
「ふうん。でもまあ、これで明後日からの実践授業、澄子ちゃんは問題ないかあ。問題は真智ちゃんかなあ」
「そういえば。真智ちゃんは前に番いたって聞いていたけど、退学とかって……なにかあったの?」
さすがに私も、自分がと組送りになる前の出来事はよく知らないし、よそのクラスの出来事にもそこまで詳しくない。それにつばめちゃんは困ったように「うーん」と唸り声を上げた。
「たしか真智ちゃんの前の番の子、真智ちゃんとトラブルがあったらしいんだけど……その」
「うん」
つばめちゃんは他の皆が米を洗っていたり、薪を取りに行ったりしているのを見計らってから、ひそっと私の耳元で教えてくれた。
「怒って真智ちゃんが突き飛ばして階段から落としたらしくって……」
「……それは」
座敷牢にいるのは、大方三種類。
座学はできても実践が全然できないという、つばめちゃんや鶴丸くんみたいなパターン。
ニワトリとして、魔力が全然なくって座学で頑張るしかない、今の私みたいなパターン。
そしてどれだけ実力はあっても、集団行動に問題ありと判断されて素行改善のために座敷牢送りになるパターンだ。
幻想種の寮や教室なんかは魔法と使うのが当たり前な個人主義に対して、座敷牢では基本的に魔法の行使よりも細々とした当番や集団行動を義務づけられているのは、そもそも実践では点数をもらうことが不可能な私たちの内申点を上げるためというのに加え、素行に難ありとされた子たちの矯正を兼ねている。
そこで真智ちゃんの意外過ぎる話を聞いて、私はなんとも言えなくなった。
やけに心配性だし、悪気のない私のルームメイトが、そんな番を突き飛ばして……あれ。
「どうして退学になったの? 入院して治療……までならまだわかるんだけど」
「さあ? 私もそこまでは。でも付き合っていても不思議なんだよね。真智ちゃん全然悪い子じゃないし、なにがあって座敷牢送りになったのか。でもその辺りもあるせいなのか、真智ちゃんはなかなか次の番をつくろうとしないのだけは心配かなあ」
「あれ?」
そこで私は違和感を覚えた。
「私、普通に番にならないかって誘われたけど」
「あれ? 知らない」
私たちはますますもって「なんで??」と首を傾げてしまった。
思えば、私はルームメイトになってからまだ二週間そこいらとはいえど、真智ちゃんのことは本当になにも知らないと気付く。
体が弱いと聞いていたものの、食事当番の際に見ても食事は普通に食べている。アレルギーも好き嫌いもなし。掃除当番も特になにも言わずにこなしている。強いて言うなら、お風呂は最後にならないと絶対に入らないくらいで。
でも番が入院を越えて退学になったって、本当になにがどうしてそうなったんだろう。私はちっともわからなかった。
考えながらも、私たちはカレーをつくる。
私が野菜を炒めている間に、つばめちゃんは隣でリンゴと生姜をすりおろしてスパイスと小麦粉と一緒に炒めている。薪はガスと比べても火力が低いから、それを補うようにしているのが座敷牢の料理のようだった。
思えば小学校のときに林間学校で食べた料理はどれもこれも水がしゃばしゃばでそこまでおいしいと思わなかったけれど、火力が足りない分補う方法を考えればそうでもないんだなあと、ここに来てから痛感している。
「もうそろそろ今晩のご飯できそう?」
そう食堂にひょっこりと出てきた真智ちゃんに、私は「うん、できそうだよ」と答えた。真智ちゃんは目をパチパチとさせると、いきなりずいっと炒め終えてカレールーと一緒に鍋の中身をかき混ぜている私に顔を寄せてきた。カウンター越しカウンター越し、近い、近いってば。
「ど、どうしたの……真智ちゃん」
「澄子ちゃん、もしかして、鳳くんとなにかあった?」
それに私はギクッとした。
……先程柘榴とファーストキスを終えてきたなんてこと、わざわざ言うことじゃないからつばめちゃんにも言ってない。でも、どうしてそれを真智ちゃんがわかるんだ?
隣で見ていたつばめちゃんは尋ねる。
「どうして真智ちゃんはわかるの? 私は全然気付かなかったんだけど」
「なんとなく? 勘。私はもうすぐ授業はじまるし、澄子ちゃんが心配」
「なに、が……?」
思わずギクギクしつつ、どうしてわかるのか、それともカマかけたのかと勘繰っていたら、真智ちゃんは悪戯っぽい顔で笑う。
「幻想種って嫉妬深いから、それで澄子ちゃんが変なことにならないかって」
「……へ?」
「そうなの?」
「そういう噂。ご飯楽しみ」
振ってきたのは真智ちゃんなのに、一方的に話を打ち切られてしまい、私はなんとも言えない顔になりながらカレーをつくり終えた。
オーソドックスな福神漬けと一緒に食べるカレーライス。つばめちゃんのつくったルーが本当においしくって、いくらでも食べられるし実際に当番外の子たちは「おかわり」と言って鍋の中身を空っぽにしてしまった。
お腹いっぱいになりながら、私は首を捻っていた。
真智ちゃん、なにをそこまで心配しているんだろう。
いや、渡真利くんからも忠告されていたし「幻想種から狙われる」的なことは言っていたけれど……。真智ちゃんはそれを心配してくれている? いや。
どうにも小骨が引っかかったような違和感が拭えず、ずっと腑に落ちないでいた。
このとき、私はひどい勘違いをしていたことに、全く気付かなかった。
真智ちゃんはたしかに「幻想種は嫉妬深い」と言っていた。てっきり私は、柘榴のことを指しているのかと思っていたけれど、それこそが間違いなんだと、この時点では気付かなかった。
なによりも。私は渡真利くんにもさんざん警告された「幻想種は常識じゃ考えられない」ということについて、そこまで深く考えていなかったんだ。
****
「いいから、言うことを聞け。お前の秘密をバラされたくなければ」
鬱陶しいと心のそこから真智は思った。
真智が番を決めた訳ではなく、余った者同士で組んだら、ろくでなしだったという体たらくだった。
最初は自分の秘密をバラされたくない一心で、そこそこ言うことを聞いていた。
学校の課題は写させてあげたし、途中から面倒くさいと言い出したからノートをわざわざ彼の文字を模写して写してあげたし、実践授業のときも魔力の負担は真智にばかりかかっていたおかげで、毎回毎回魔力切れを起こして保健室に担ぎ込まれて寝なかったら次の授業を受けることができなくなっていた。
いい加減、自分の番が鬱陶しくなったのだ。
だからある日、我慢に耐えかねて呼び出したのだ。
「もう私たち、別れましょう?」
「……気持ち悪いこと言うな。なんだって別れようとか言うんだよ」
「でも、番解消しましょうだったら、あなた深刻さがわからないじゃない」
屋上。幻想種の住まう寮のような華やかで荘厳な雰囲気はなく、だからと言って劣等生のと組の教室群のような牧歌的で古臭い……趣のある風情もない、ごくごく普通な近代的な屋上で、真智は髪をたなびかせながら番を睨んだ。
「あなた、ニワトリでしょう? 私がほとんど魔力を出しているもの。おかげで何度も保健室に担ぎ込まれる羽目になって迷惑しちゃう」
「それがどうした。お前は黙って俺に魔力を出し続ければいいだよ」
「でも、ニワトリならニワトリで、ちゃんと先生に言えば座敷牢に入れてくれるし、実践授業ももろもろ免除してもらえるでしょう?」
「うるさい! ならお前のこと、バラすぞ……!」
いい加減、真智は鬱陶しくなった。
自分は交通事故で家族を失い、たまたま運良く親戚に拾われた身。たまたま魔力があり、親戚にも家族がいるのだから、身を立てるために連理学園に入ったというのに、よりによってこんな横暴な相手が番で、自分を脅迫する、屈服させようとする、挙げ句の果てに秘密を暴露してこようとする……こんなろくでなし。
死んでもかまわないじゃないか。
真智はそう考えるよりも先に、体が動いていた。
強い力で、番を突き飛ばして階段を転がり落としたのである。今は放課後、皆それぞれ寮に戻ったり部活に勤しんだりする時間で、わざわざ屋上にまで来ない。
真智はそれを放置して帰ろうとも思ったが、それより先にやらないといけないことがあった。
保険医に、真智は泣きながら訴えたのである。
「彼、私にひどいことをしようとして……!」
嘘は言ってない。だがそれで勝手に噂が広がったのである。
真智を襲おうとしたんじゃないのか。それで正当防衛だったんじゃないか。番は必死で「違う!」と言い張ったが、人の噂というのは、出回るのが早いのである。ましてや寮生活をしていたらどうしても新しい娯楽に飢える。
彼は連理学園の生徒の暇つぶしとして消費され、そして耐えきれなくなって退学した。
それを真智は薄く笑っていた。
真智が座敷牢に来たのも、この件で番が離れ、ほとぼりが冷めて新しい番が見つかるまでの緊急処置ということだったが。
そこで真智はたまたまニワトリになったからと、新しく座敷牢に送られてきた子を見て、気付いてしまった。
(あの子……欲しい)
真智にポツンと灯った淡い想いが、遅れに遅れた第二次性徴を促進させた。
ところで、幻想種は現実を浸食するものである。
かつて世界は卵の中にあったとされ、その卵を破り、世界を浸食しはじめたのが、はじまりの幻想種とされている。その話は国生み神話の中でも語られているし、歴史の授業を選考していれば知られている話だ。
「……やっと、羽化できた」
真智は恍惚の顔で笑っていた。
幻想種は現実を浸食する……幻想種はその性質上、貴族ではない民間からも、突然変異で生まれることがあり、魔力の質を変質させることがある。
幻想種は現実を蝕みはじめたとき、大概はろくでもない結末が待っている。
今日の食事はカレーライス。皆でかまどに薪をくべながらつくるオーソドックスな料理に、私はわくわくしながら包丁を握っていた。
「そういえば、始業式の前に幻想種の人としゃべってたけど、あれ大丈夫だったの?」
つばめちゃんは綺麗にりんごを剝きながら尋ねる。それに私は苦笑いを浮かべた。
「まあいろいろ話したよ。渡真利くん……姑獲くんそこまで悪い人じゃなかったから、それにはほっとした」
「ふうん。でもまあ、これで明後日からの実践授業、澄子ちゃんは問題ないかあ。問題は真智ちゃんかなあ」
「そういえば。真智ちゃんは前に番いたって聞いていたけど、退学とかって……なにかあったの?」
さすがに私も、自分がと組送りになる前の出来事はよく知らないし、よそのクラスの出来事にもそこまで詳しくない。それにつばめちゃんは困ったように「うーん」と唸り声を上げた。
「たしか真智ちゃんの前の番の子、真智ちゃんとトラブルがあったらしいんだけど……その」
「うん」
つばめちゃんは他の皆が米を洗っていたり、薪を取りに行ったりしているのを見計らってから、ひそっと私の耳元で教えてくれた。
「怒って真智ちゃんが突き飛ばして階段から落としたらしくって……」
「……それは」
座敷牢にいるのは、大方三種類。
座学はできても実践が全然できないという、つばめちゃんや鶴丸くんみたいなパターン。
ニワトリとして、魔力が全然なくって座学で頑張るしかない、今の私みたいなパターン。
そしてどれだけ実力はあっても、集団行動に問題ありと判断されて素行改善のために座敷牢送りになるパターンだ。
幻想種の寮や教室なんかは魔法と使うのが当たり前な個人主義に対して、座敷牢では基本的に魔法の行使よりも細々とした当番や集団行動を義務づけられているのは、そもそも実践では点数をもらうことが不可能な私たちの内申点を上げるためというのに加え、素行に難ありとされた子たちの矯正を兼ねている。
そこで真智ちゃんの意外過ぎる話を聞いて、私はなんとも言えなくなった。
やけに心配性だし、悪気のない私のルームメイトが、そんな番を突き飛ばして……あれ。
「どうして退学になったの? 入院して治療……までならまだわかるんだけど」
「さあ? 私もそこまでは。でも付き合っていても不思議なんだよね。真智ちゃん全然悪い子じゃないし、なにがあって座敷牢送りになったのか。でもその辺りもあるせいなのか、真智ちゃんはなかなか次の番をつくろうとしないのだけは心配かなあ」
「あれ?」
そこで私は違和感を覚えた。
「私、普通に番にならないかって誘われたけど」
「あれ? 知らない」
私たちはますますもって「なんで??」と首を傾げてしまった。
思えば、私はルームメイトになってからまだ二週間そこいらとはいえど、真智ちゃんのことは本当になにも知らないと気付く。
体が弱いと聞いていたものの、食事当番の際に見ても食事は普通に食べている。アレルギーも好き嫌いもなし。掃除当番も特になにも言わずにこなしている。強いて言うなら、お風呂は最後にならないと絶対に入らないくらいで。
でも番が入院を越えて退学になったって、本当になにがどうしてそうなったんだろう。私はちっともわからなかった。
考えながらも、私たちはカレーをつくる。
私が野菜を炒めている間に、つばめちゃんは隣でリンゴと生姜をすりおろしてスパイスと小麦粉と一緒に炒めている。薪はガスと比べても火力が低いから、それを補うようにしているのが座敷牢の料理のようだった。
思えば小学校のときに林間学校で食べた料理はどれもこれも水がしゃばしゃばでそこまでおいしいと思わなかったけれど、火力が足りない分補う方法を考えればそうでもないんだなあと、ここに来てから痛感している。
「もうそろそろ今晩のご飯できそう?」
そう食堂にひょっこりと出てきた真智ちゃんに、私は「うん、できそうだよ」と答えた。真智ちゃんは目をパチパチとさせると、いきなりずいっと炒め終えてカレールーと一緒に鍋の中身をかき混ぜている私に顔を寄せてきた。カウンター越しカウンター越し、近い、近いってば。
「ど、どうしたの……真智ちゃん」
「澄子ちゃん、もしかして、鳳くんとなにかあった?」
それに私はギクッとした。
……先程柘榴とファーストキスを終えてきたなんてこと、わざわざ言うことじゃないからつばめちゃんにも言ってない。でも、どうしてそれを真智ちゃんがわかるんだ?
隣で見ていたつばめちゃんは尋ねる。
「どうして真智ちゃんはわかるの? 私は全然気付かなかったんだけど」
「なんとなく? 勘。私はもうすぐ授業はじまるし、澄子ちゃんが心配」
「なに、が……?」
思わずギクギクしつつ、どうしてわかるのか、それともカマかけたのかと勘繰っていたら、真智ちゃんは悪戯っぽい顔で笑う。
「幻想種って嫉妬深いから、それで澄子ちゃんが変なことにならないかって」
「……へ?」
「そうなの?」
「そういう噂。ご飯楽しみ」
振ってきたのは真智ちゃんなのに、一方的に話を打ち切られてしまい、私はなんとも言えない顔になりながらカレーをつくり終えた。
オーソドックスな福神漬けと一緒に食べるカレーライス。つばめちゃんのつくったルーが本当においしくって、いくらでも食べられるし実際に当番外の子たちは「おかわり」と言って鍋の中身を空っぽにしてしまった。
お腹いっぱいになりながら、私は首を捻っていた。
真智ちゃん、なにをそこまで心配しているんだろう。
いや、渡真利くんからも忠告されていたし「幻想種から狙われる」的なことは言っていたけれど……。真智ちゃんはそれを心配してくれている? いや。
どうにも小骨が引っかかったような違和感が拭えず、ずっと腑に落ちないでいた。
このとき、私はひどい勘違いをしていたことに、全く気付かなかった。
真智ちゃんはたしかに「幻想種は嫉妬深い」と言っていた。てっきり私は、柘榴のことを指しているのかと思っていたけれど、それこそが間違いなんだと、この時点では気付かなかった。
なによりも。私は渡真利くんにもさんざん警告された「幻想種は常識じゃ考えられない」ということについて、そこまで深く考えていなかったんだ。
****
「いいから、言うことを聞け。お前の秘密をバラされたくなければ」
鬱陶しいと心のそこから真智は思った。
真智が番を決めた訳ではなく、余った者同士で組んだら、ろくでなしだったという体たらくだった。
最初は自分の秘密をバラされたくない一心で、そこそこ言うことを聞いていた。
学校の課題は写させてあげたし、途中から面倒くさいと言い出したからノートをわざわざ彼の文字を模写して写してあげたし、実践授業のときも魔力の負担は真智にばかりかかっていたおかげで、毎回毎回魔力切れを起こして保健室に担ぎ込まれて寝なかったら次の授業を受けることができなくなっていた。
いい加減、自分の番が鬱陶しくなったのだ。
だからある日、我慢に耐えかねて呼び出したのだ。
「もう私たち、別れましょう?」
「……気持ち悪いこと言うな。なんだって別れようとか言うんだよ」
「でも、番解消しましょうだったら、あなた深刻さがわからないじゃない」
屋上。幻想種の住まう寮のような華やかで荘厳な雰囲気はなく、だからと言って劣等生のと組の教室群のような牧歌的で古臭い……趣のある風情もない、ごくごく普通な近代的な屋上で、真智は髪をたなびかせながら番を睨んだ。
「あなた、ニワトリでしょう? 私がほとんど魔力を出しているもの。おかげで何度も保健室に担ぎ込まれる羽目になって迷惑しちゃう」
「それがどうした。お前は黙って俺に魔力を出し続ければいいだよ」
「でも、ニワトリならニワトリで、ちゃんと先生に言えば座敷牢に入れてくれるし、実践授業ももろもろ免除してもらえるでしょう?」
「うるさい! ならお前のこと、バラすぞ……!」
いい加減、真智は鬱陶しくなった。
自分は交通事故で家族を失い、たまたま運良く親戚に拾われた身。たまたま魔力があり、親戚にも家族がいるのだから、身を立てるために連理学園に入ったというのに、よりによってこんな横暴な相手が番で、自分を脅迫する、屈服させようとする、挙げ句の果てに秘密を暴露してこようとする……こんなろくでなし。
死んでもかまわないじゃないか。
真智はそう考えるよりも先に、体が動いていた。
強い力で、番を突き飛ばして階段を転がり落としたのである。今は放課後、皆それぞれ寮に戻ったり部活に勤しんだりする時間で、わざわざ屋上にまで来ない。
真智はそれを放置して帰ろうとも思ったが、それより先にやらないといけないことがあった。
保険医に、真智は泣きながら訴えたのである。
「彼、私にひどいことをしようとして……!」
嘘は言ってない。だがそれで勝手に噂が広がったのである。
真智を襲おうとしたんじゃないのか。それで正当防衛だったんじゃないか。番は必死で「違う!」と言い張ったが、人の噂というのは、出回るのが早いのである。ましてや寮生活をしていたらどうしても新しい娯楽に飢える。
彼は連理学園の生徒の暇つぶしとして消費され、そして耐えきれなくなって退学した。
それを真智は薄く笑っていた。
真智が座敷牢に来たのも、この件で番が離れ、ほとぼりが冷めて新しい番が見つかるまでの緊急処置ということだったが。
そこで真智はたまたまニワトリになったからと、新しく座敷牢に送られてきた子を見て、気付いてしまった。
(あの子……欲しい)
真智にポツンと灯った淡い想いが、遅れに遅れた第二次性徴を促進させた。
ところで、幻想種は現実を浸食するものである。
かつて世界は卵の中にあったとされ、その卵を破り、世界を浸食しはじめたのが、はじまりの幻想種とされている。その話は国生み神話の中でも語られているし、歴史の授業を選考していれば知られている話だ。
「……やっと、羽化できた」
真智は恍惚の顔で笑っていた。
幻想種は現実を浸食する……幻想種はその性質上、貴族ではない民間からも、突然変異で生まれることがあり、魔力の質を変質させることがある。
幻想種は現実を蝕みはじめたとき、大概はろくでもない結末が待っている。



