あの春の嘘を僕はまだしらないフリ

あれから、十年という月日が流れた。

心の病を乗り越え、無事に社会人になった僕は、あの病院のベンチでさくらと交わした約束を、ずっと守り続けていた。

「私がいない場所でも、君はちゃんと笑ってて」

辛いことがあっても、あいつの笑顔を思い出すと、不思議と前を向けた。

さくらは今頃、どこか遠くの街で元気に暮らしているのだろう。

ずっとそう信じて、僕は今日まで生きてきた。


――そんなある春の日のことだった。

実家の母から、一通の古い封筒が僕の元に転送されてきた。

『さくらの母です。長い間、嘘をついていてごめんなさい』

便箋を開いた瞬間、心臓がドクン、と嫌な音を立てた。

震える手で、文字を追う。

手紙には、信じられない事実がつつられていた。


さくらは、あの春に亡くなっていた。

あの病院のベンチで再会した、わずか数週間後のことだったという。

『あの子ね、あそこの病院でしか受けられない、特別な心臓の手術を控えていたの。』

頭を強く殴られたような衝撃が走る。

あの時、さくらが言葉を濁した理由。

小指を絡めたとき、ほんの少し震えていた指先。

別れ際、心なしか重そうに見えた、あの後ろ姿。

すべてのパズルが、最悪な形でカチリと嵌まっていく。

『あの子、病院のロビーで、消えてしまいそうなあなたを見つけた時ね。お医者さんに無理を言って病室を抜け出したの。』

『自分が死んだら、あなたが追って死んでしまうかもしれない。だから、私にこう言ったのよ。
「お母さん、私が死んでも、彼が大人になって、もう大丈夫だって思える日まで、絶対に本当のことを言わないで。」って』


視界が、急激に涙で滲んでいく。



『あの子の嘘のせいで、あなたをたくさん傷つけてしまったかもしれない。でもね、あなたのおかげで、さくらは最期まで「元気な幼馴染」のままで、幸せに旅立つことができました。本当にありがとう』

手紙を抱きしめたまま、僕は声を上げて泣いた。

僕を包んでいた優しい世界は、すべて、さくらが命を懸けてついてくれた「嘘」のぬくもりだった。

窓の外を見ると、満開の桜が、春の風に吹かれてひらひらと舞い散っている。

「……ありがとう、さくら」

涙を拭い、僕は空を見上げた。

あいつが命を懸けて守ってくれたこの命を、僕はこれからも、ちゃんと笑って生きていく。

僕の心の中で、さくらは、今もずっと優しく咲き続けているから。

(了)