幽霊が踊り続ければ

 照明の仕事がひと段落し、しばらく音響もナレーションもない時間となった。俺は飛び出すように調光室を出る。
外には誰もいなかった。救急箱は置いた場所から動いておらず、誰かが使ったような形跡もなかった。救急箱を掬い上げて反対側の袖へと走り出す。救急箱はガラガラと音を鳴らした。中身はぐちゃぐちゃになっているかもしれない。
 しばらく時間はあるが、もう少しでクライマックスだ。ヒロインを血が付いたまま立たせる訳にはいかなかった。もしかしたら百花にとって、この文化祭はあらゆる痛みで傷のような思い出になってしまうのかもしれない。それでも、せめて振り返った時にその傷を勲章のように美化できるようにしてやりたかった。
 着くと待機中の役者が数名休んでいた。その中で小柳が一人で壁にもたれていた。見渡すが百花の姿は見当たらない。足音を抑えることもせず走ってきた俺はさぞかしうるさかったのだろう、小柳はすぐこちらに気が付いた。百花だったら、と頭に過るが小柳でも良い。
「聞こえたぞ、さっきの...」
二人が離れてしまうのを止めたい一心で、思わず経緯も説明せずに話し始めてしまった。それでも、小柳は俺が何の話をしたいのか察してくれているようだった。彼の察しの良さに甘えてそのまま言葉を続ける。
「本当に、なかったことになったのか...?」


 この袖には百花はいない。先ほどまでいた反対側の袖には誰もいなかった。今、百花はどこにいるのだろうか。もしかしたらまたどこかへ逃げてしまったのかもしれない。そんなことを考えてしまうのが嫌だった。
 ダメもとで調光室のある袖へ戻ると、誰もいない空間の中で百花が外への扉の前に立っていた。彼女はドアノブを握ってじっと固まっていた。必死に何かに耐えているようだった。握ってはいるが、彼女は決してドアノブを捻らなかった。吸うのがやけに強い深呼吸をすると、ドアノブから手を離して小道具が置いてある長机まで歩いてくる。百花がこちらに気付いた。彼女の目は降りた前髪で窺えなかった。元気がない奴の前に元気がない奴が現れても調子は取り戻せないだろうと思い、できるだけ平静を装って声をかけた。
「次の出番まで、五分くらい?」
彼女は魂が抜けたようにゆっくりと頷く。ドアの方を一瞥して深呼吸をする。手を見ると拳を握っていた。制服の土汚れは払い落とされ、シミのようになっていた。破れたストッキングはもう履いていなかった。
「私、もう舞台立てない...」