幽霊が踊り続ければ

 百花がいなくなっちゃった。小柳からそれを聞いたのは彼女の出番のすぐ前のシーンだった。彼が言うには既に手の空いている人たちがこの体育館の周辺を総出で探し回っているとのことだった。フェンスの隙間からキャットウォークの下を覗くと、台本を持ったクラスメイトが小走りをしていくのが窺えた。スポットライトから数歩離れて舞台を確認すると、現行のシーンはもう終盤に差し掛かっていた。小柳は暗幕カーテンが垂れた壁に背中を傾け、体育館の天井を見上げていた。このままでは、主役の小柳が、そこにいるはずのヒロインに向かって独り言を言うシーンが完成してしまう。思い浮かべただけで悪寒がした。
「倉庫にもいなかったらしい」
小柳の向こうから兎のお面を被った幽霊姿の男子が駆け寄ってくる。「声が大きい...!」と声を細めながら言うと、同じように声を細めて「さーせん...!」と笑った。百花探しは本当に難航しているようだった。
 スポットライトの足元からスペアの台本を取り出し、現行のシーンまでペラペラとめくる。次のシーンに出る人はそろそろスタンバイする必要がある。台本からできるだけ出番の遠い役者を探した。幽霊だ。
「幽霊、出番まだ先だよな。ライト交代してくれる?」
幽霊の手を引くと、彼は「え~」と文句を言いながらスポットライトの取っ手を握った。
「で、仕事押し付ける鬼監督はどこ行くんすかー」
「ちょっと探してくる。小柳は次だよな。戻って準備しておいて」
忍び足で走り始めると、小柳が俺の腕を掴んで止めた。
「僕も一緒に行くよ」
「お、心当たりある感じ?」
「......ない」
「じゃあもう、小柳と鬼監督でBLするしかないナ」
このおしゃべり幽霊は後夜祭のキャンプファイヤーに焼べてやろう。余計なことを考えている暇はない、と意識を今に戻す。百花が不在のまま時が来ることには不安を感じつつも、見つからないことにはさほど心配はなかった。それに、見つからなかった場合のことを考えても、良い打開策は思い浮かばなかった。すぐ出番のある小柳の背中を押して準備を促す。
 それにしても小柳の「ない」に少しばかり含みを感じた。


 百花には昔から、心配事があると人気のない所へ逃げたがる癖があった。中学に入ってからは少しずつ逃げる頻度は減っていたし、状況を弁えるようにもなっていた。それでも、まだ抑えきれないことはあるのだろう。
 袖の裏口から体育館を出て走っていると、模擬店が並んでいるのが見える。生徒はもちろん、近所の高校生やその他老若男女で賑わっていた。本校がやや田舎だからなのかお年寄りも多い。一般の来校もできる今日、この学校内で一人になれる場所は少なかった。閉鎖された屋上への階段も、いつも鍵の開けっ放しな応接室も、今日は人がいるだろう。彼女が行くであろう場所には大体察しがついた。特に迷うこともなく職員室棟へ走った。棟の裏にはほとんど手入れがされていない小さな庭園のような場所がある。木々が不規則に並び、土の地面には木の根が這う足場の悪い場所だ。
 庭園に入ると遠くの方に制服の女子が見えた。木に手を添えながら歩いている。彼女が心を休めている間に、今日は他の皆がヒロイン不在に心労を抱えている。
「早く戻らないと小柳に嫌われるぞー」
そんな冗談を吐きながら近づくと、今の彼女の異質さに思わず脚が止まった。ワイシャツは大きく土汚れが付き、ところどころに落ち葉がついていた。少し足を引きずるスカートの裾から覗く膝は、ストッキングが破れて血が流れていた。次の言葉に詰まり、彼女を見たまま呆然とする。その間も、彼女は体育館の方向へ歩いていた。
 駆け寄ると、彼女はこちらに気付くが俯きがちに顔を逸らすだけだった。もたれる身体の肩に手を添える。近づくと、腕や膝の擦り傷がよりはっきりと見えた。咄嗟に保健室を思い浮かべる。しかし彼女の出番は刻一刻と迫っていた。隣を歩きながら考え込んでいると、彼女が口を開く。
「やっぱり、だめだった」
「急げばまだ間に合うって」
彼女はそうじゃない、というように首を横に振って続けた。
「ただ近くにいるだけで、一生何も変わらないまま終わるんだろうなって...」
百花の口から出た言葉は聞き覚えのあるものだった。俺は百花の秘密に気付いていた。その言葉は、三年になっても何も行動を起こさなかった百花に向かって俺が急かすように言い放った言葉だった。
「小柳くん、言葉に詰まってた。困らせただけだった」
「それは、悪いことしたな。ごめん」
そう言って少し立ち止ると、彼女は支えていた手をするりと抜け出し体育館の方へ一人で歩き続けた。
「おい!怪我、大丈夫なのか? ...って大丈夫な訳ないだろ」
「また、迷惑かけることになる」
「だったら最初から逃げるなよな。皆探すの大変そうだったぞ」
彼女は余計に下を向いた。余計なことを言ったかもしれない。
 保健室へ行った方が良いとどこか思いつつも、俺は舞台に戻る彼女の意思を尊重した。しかし、痛みを抑えながらの歩き方では到底間に合いそうにもない。気恥ずかしさはあるが、彼女の前に背を向けてしゃがんだ。彼女は少し躊躇うも、身を預けてきた。百花を背負い体育館へと走り始める。もちろん、人気の少ない道を通って。