未来を変える恋、はじめます。

 窓から四月の柔らかな春の日差しが差し込んでいた。白いタキシードに身を包んだ陽生は、何かおかしなところはないかと、控え室の鏡を見ながらネクタイや髪をいじったりしていた。
 今日の日を迎えるまでのことを思い起こすと、ふいに苦笑が漏れる。茉莉のドレスやブーケ選びに始まり、参列者の選定や席次の決定、式や披露宴で使う曲選びなどやることが盛りだくさんだったからだ。ここ数ヶ月の間、その準備に追われ、休日もろくに休めなかった。
(それもきっと……いつかいい思い出に変わるんだろうな。あのときは大変だったな、って笑って話せる日がきっと来る)
 高校一年生の文化祭の日に付き合い始めてから今日まで、自分は茉莉とともに歩んできた。そして、この先の人生も彼女とともに歩んでいくつもりだ。――たとえ、いつか遠い未来に死が二人を別つことがあろうとも。
 ふいに、こんこんと控え室の扉がノックされた。陽生はすっと居住まいを糺すと、どうぞと返した。
「茉莉様のお支度が整いました。――どうぞ、こちらへ」
 はい、と答えた自分の声が歓喜に震えるのを陽生は感じた。陽生は式場のスタッフに連れられて、部屋を出る。一歩床を踏み締める度に、胸が期待で溢れていく。
「――茉莉様。陽生様をお連れいたしました」
 アップスタイルにまとめた髪の上でふわふわと靡くヴェール。レースが何枚も重なり合い、繊細な刺繍が施されたドレスの裾はAライン状に大きく広がっている。それでいて、胸元はすっきりとまとめられ、清楚な美しさが引き立てられている。
 式場の入り口の前にウエディングドレス姿の茉莉が父親と共に立っていた。吹き抜けの天井から差し込む日差しを浴びて佇む彼女は、まるで絵画の中から抜け出してきたかのようだった。その美しさに陽生の目は釘付けとなる。
「茉莉――綺麗だ」
 そんな言葉が思わず口をついて出た。くす、と茉莉は嬉しそうに笑みを溢す。
「陽生くんもとっても素敵。よく似合ってるよ」
「……まあ、馬子にも衣装って言うからな」
「もう、照れちゃって。素直になれないところはいつになったら治るのかな」
「うるせえ。言ってろ」
 陽生が緊張しのぎに軽口を叩いていると、茉莉のそばに立つ彼女の父親が彼の名を呼んだ。陽生は軽口をひっこめると、神妙な面持ちで茉莉の父親へと向き直る。
「――はい」
「陽生さん。娘を――茉莉をどうかよろしくお願いします」
「はい。茉莉さんはおれが必ず幸せにします」
 ありがとう、と茉莉の父親は不器用な笑みを浮かべた。陽生は茉莉へとこう問いを投げた。
「茉莉。この十年間、お前は幸せだったか? ――今、お前は幸せか?」
「うん、とても。わたしは今、幸せだって胸を張って言える。あのときの選択は間違いじゃなかったって思える。――陽生くんは、わたしといて幸せ?」
「当たり前だろ。お前が――大事な人がそばにいるんだから」
 そのとき、壁際に控えていた式場のスタッフが、そろそろお時間ですと陽生たちに声をかけた。茉莉と離れるのを名残惜しく思いながらも、陽生は式場の扉の前に立つ。
 まもなくです、と扉の脇に控えるスタッフが陽生へと告げる。
「――新郎様のご入場です」
 アナウンスが響くと同時に、スタッフによって、式場の扉が開かれた。参列客の視線が陽生に集中する。陽生は緊張した面持ちで拍手を浴びながら歩き始めた。
「陽生、おめでとー!」
 陽生の結婚を寿ぐ朔也の声が拍手の中から聞こえた。声のした方に一瞥をくれると、陽生は祭壇の前へと一歩一歩進んでいった。
「――新婦様のご入場です」
 陽生が祭壇の前で足を止めると、再びアナウンスが響く。拍手の音は激しさを増す。茉莉が父親と寄り添い合いながらバージンロードを歩いて来る。「茉莉ぃー!」感極まったような女の声はおそらく心羽のものだ。あの夫婦は二十代半ばにもなったというのに相変わらず騒がしい。
 祭壇の前で茉莉の父親が彼女の手を陽生に託した。陽生と茉莉ははにかんだ笑みを交わす。何だか恋愛をろくに知らなかった高校生のあのころに戻ってしまった気分だった。
 緊張と高揚が混ざった空気の中、誓いの言葉を交わす準備が整うと、司会者によるアナウンスが響く。
「それでは、新郎陽生様、新婦茉莉様。これより、お二人の誓いの言葉を交わしていただきます。互いを愛し、尊重し、喜びも悲しみも分かち合い、支え合うことをここにいらっしゃる皆さまの前で誓っていただきます」
 遂にこのときが来た。陽生は背筋を伸ばすと、司会者の次の言葉を待つ。
「――陽生様。病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しいときも、茉莉様とすべての時を共に歩むことを誓いますか?」
「――はい、誓います」
 高校生のときから自分の心は決まっている。陽生は茉莉の手を握った。
「――茉莉様。病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しいときも、陽生様とすべての時を共に歩むことを誓いますか?」
「――はい、誓います」
 茉莉ははっきりと、確かな意思をもってそう口にした。
「お二人の誓いがここに結ばれました。この誓いを胸に、これからの人生を共に歩んでください」
 拍手と温かい歓声が式場を包む。春の木漏れ日のように暖かな感情が胸の内に広がっていくのを陽生は感じていた。柔らかな表情を見るに、きっと茉莉も同じ気持ちのはずだ。
「では、お二人はこれより、結婚の証として指輪を交換していただきます」
 司会者に促され、陽生は祭壇の上のリングピローで光る指輪を手に取った。そして、彼は茉莉の細い左手の薬指にそれを嵌めた。――大切なものを扱うように。
「――茉莉。これからもずっと、よろしくな」
「うん、陽生くん。――これからもずっと、一緒にいてね」
 満ち足りた笑顔で茉莉はそう言うと、もう一つの指輪をリングピローから取り、陽生の左手の薬指に嵌めた。それを見届けると、司会者はこう宣言した。
「では、指輪の交換をもって、結婚の誓いを形にいたしました。それでは、最後に誓いのキスを――」
 陽生はそっと茉莉の顔に手を添えると、そっと自分の口を近づけた。茉莉は目を閉じると小さく頷く。陽生はそっと自分の唇を彼女のそれに重ねた。
 会場内の歓声と拍手が一際大きくなる。それを聞きながら、陽生はこう思った。――幸せだ、と。