コイワズライ

 窓の外では昨日の夜から振り続く雨が、勢いを増して地面を叩いている。

「じゃあ宮本の第一志望はT大ってことで変わりはないな」

 はい、と答えた宮本颯太(みやもとそうた)に迷いはなく、瞳はまっすぐに慧を捉えている。
 品行方正。学業優秀。
 父親は大手製薬会社の役員と家柄も申し分ない。入学希望者向けに作られたポスターのモデルも務めており、生徒会長以上に学院の顔といっても良い生徒だった。
 問題ないな、と慧は頷く。颯太は三年生になってから体調を崩しがちで少し心配していた。颯太の担任を務めるのは初めてだが、一年生の時から学年一位の座を誰にも明け渡したことはなく、その優秀さは慧だけでなく学院中の人間が知るところだった。見えるところでも見えないところでも、相当努力をしているのだろう。その無理が祟っているのかもしれない。今も少し風邪気味なのか、時折咳をする様子が見られる。

「体調管理だけはしっかりすること。仮に直前の模試までずっと満点を取っていても、本番でコケたら全部終わり。それが受験だからな」
「良いんですか? 生徒にそんなプレッシャーかけるようなことを言って」
「これくらいのプレッシャー、宮本なら乗り越えられると思って言っている」
「買い被りすぎですよ」
「買い被られるような成績を残し続けた自分を恨むんだな」
「先生こそ、もし僕が受験に失敗したら、期待しすぎた自分のことを恨んでくださいよ」

 そんなことを言って失敗するつもりなどないのだろうと慧は確信していた。これで人生が決まる、というくらいに大学受験を神聖視する人間もいるが、颯太にはただの通過点。それくらいの余裕がなければ、いかに優秀といえども、この光栄学院で一位の座をキープすることなどできないだろう。

「大学生になったら何かやりたいことはあるか?」

 学院一優秀な男は最高学府に進んで何をするつもりなのか、慧は単純に興味があった。一般的にはサークル活動に精を出したり、バイトで金を貯めたり、そんな姿を思い描く生徒が多いだろうが、颯太ならばより具体的でその先の将来まで見据えた計画があるのではないかと思った。しかし、

「何もないです」

 颯太の口から出てきた言葉は意外なものだった。

「何もない?」
「はい。ダメですか?」
「いや、ダメではないが」
「T大に合格することが今の目標です。それ以外のことは考えられません」

 すみませんそろそろ帰らないと、と颯太が言った。面談の所要時間はとうに過ぎている。

「長くなってすまなかったな。天気も悪いし気をつけて帰れよ。傘は持ってるか?」

 慧は鞄の中からいつも持ち歩いている折りたたみ傘を取り出す。少し小さいが、ないよりはマシだろう。

「迎えに来てもらいますから大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 席を立ち教室を出て行く颯太の後ろ姿を見送る。
 優等生にしては意外な回答だった。颯太にはすでに長きにわたる将来のビジョンが見えているものだと思っていたが、どんなに優秀でもそこはさすがにまだ高校三年生。これが当たり前か。
 しかし、大学入学後にやりたいことがないからといって、高校教師である慧がそれを問題視する必要はない。慧の仕事は生徒が希望する進路を叶えられるようにサポートしてやることだ。
 その点、次の生徒は教師の手助けがほとんど必要のない颯太と違って、サポートしがいのある生徒だった。
 颯太が出て行ってすぐ、ガラガラと教室の後ろのドアが開く。

「よろしくー。ケイ先生」

 満面の笑みで入ってきた女子生徒を見て、慧の鼻から小さく息が漏れた。