コイワズライ

 颯太が倒れてから一週間が経った。今では退院し、鎮静剤を服用しながらではあるが以前と変わらずに学院に通っている。澄花とはこれまで同様会話をしているところは見られないが、どことなく二人の様子は以前よりも明るい。
 この一週間、慧は交認を追い詰めるための最後の準備をしてきた。光栄学院に赴任してから五年。とうとう決戦の時が迫っている。

「失礼します」

 理事長室では早智枝が机に座って書き物をしていた。大方またメディア出演の準備だろう。

「あなたでしたか。先日は大変でしたね」

 早智枝が指しているのは奏と二人、教審に招集されたことだとすぐにわかった。その件で早智枝と話をするのは初めてであり、「ご迷惑をおかけしました」と一先ず詫びておく。

「それで、実際のところはどうなんです? 笹尾先生とは」
「はい?」
「本当は付き合っているのですか? 他言はしませんよ。あなたには期待していますから、まだまだこの学院にいてもらわないと困ります」

 笑みを浮かべただけの早智枝の顔が、慧には歪んで見えた。期待されているのは傀儡としての役割なのだろうと思うと反吐が出る。

「いえ。教審で出た結論のとおり、交際はしておりません」

 以前よりも、奏との交際を隠すことに抵抗はなくなった。それはきっと、もう少し辛抱すれば二人で堂々と一緒にいられるようになるという自信が芽生えているからかもしれない。
 慧の返事を聞いた早智枝は満足そうに頷いた。

「それならまだ、麗奈にもチャンスがあるということですね」

 まだ諦めてなかったのかと慧は苦笑する。
 これ以上話を広げられないためにも、慧は本題に移る。

「生徒から交際申請がありましたので、申請書をお持ちしました。ご覧ください」
「また交認ですか。毎年のことですが、夏休み前の時期はやはり活発ですね。開催は……終業式の前の日ですか」

 ため息をつきながら、早智枝は老眼鏡を外して慧から渡された申請書に目を通す。

「宮本颯太……あの学年一位の秀才ですか。最近倒れたと聞きましたが大丈夫なんですか?」
「少し体調を崩しておりますが、問題ありません」

 颯太からはコイワズライのことを無闇に他言しないでほしいと言われている。クラスメイトたちに心配をかけたくないという思いと、色眼鏡で見られることなく澄花との交際を勝ち取りたいという思いの両方があるのだろう。もっとも、慧の目の前にいる交認のトップは甘んじて交際を承認するようなお人好しではない。

「彼は将来の日本を支えていくべき若者ですから、あなたも良く観察しておいてください。女子生徒の方は……藤咲澄花、ですか。あまり聞かない名前ですが」

 そう言うと早智枝は添付資料の一つである成績表に目を通し始めた。しかし、それもすぐに終わる。

「駄目ですね、これは。永島先生、二人ともあなたのクラスの生徒のようですが」
「仰るとおりです」
「私はあなたの情に流されず、淡々と物事を判断するところを買っていますが、たまには生徒に優しく寄り添っても良いのですよ」
「どういうことですか?」

 慧ならば自分の言葉を当たり前に理解すると思っていたのだろう。疑問をぶつけられたことを訝しがりながらも、早智枝は答える。

「藤咲澄花の成績では認可が下りないのは明らかでしょう。入学してから学年トップの座を譲ったことがない生徒の相手が、この程度の順位では。あまりにも釣り合いがとれていません。自分が受け持つ生徒なのですから、傷つく前に止めてあげても良いのですよ」
「そうですね。生徒が傷つくのは私の本意ではありません。しかし、今回は大丈夫です」
「ほう。随分と自信があるようですね。まさか、あなたは二人が交際するに値すると?」

 慧は答えなかった。交際するに値するかどうか。その質問自体が愚かなものだ。

「当日は理事長も特段予定がないようですので、ご出席をお願いします」

 慧は一礼して踵を返す。
 準備は整った。後は一週間後を待つばかりだ。

「永島先生」

 部屋を去ろうとした慧を、早智枝が不意に呼び止めた。

「あなた、何か企んでいますか?」

 冷たい声だった。ゆっくりと、慧は振り返る。
 そこには心臓を抉るような眼差しで慧を睨む早智枝の姿があった。