コイワズライ

「先生にそんな過去があったとは知りませんでした」

 慧は経過観察のため入院していた颯太に栞のことを話した。ベッドの上で体を起こしながら黙って聞いていた颯太だったが、慧が言わんとしていることを理解したのか、話が終わると徐に口を開いた。

「後悔するって先生は言いたいんですよね?」
「そうだ」

 今の颯太は昔の慧と同じ選択をしようとしている。大切に思っているが故に近づかない。自分の存在が命を縮めているという可能性があれば、当然の選択だ。慧はそう思っていた。
 しかし、今は違う。

「栞と一緒にいることで栞は死に近づいていく。だから栞のためを思って離れた。俺はずっとそう言い聞かせていた。でも違うんだ。あの時の俺は栞が苦しむ姿を見たくなかっただけだ。栞のことなんか考えてなかった。自分のために栞から逃げたんだ。なあ、宮本。お前にそういう気持ちは全くないと言い切れるか?」

 これから颯太はどうするべきなのか。正解は誰にもわからない。どんな選択をしても後悔する結果になるかもしれない。できることはただ一つ。現実から目を背けることなく向き合い、自分の意志で行動を選択することだけだ。

「俺とお前は違う。病気で苦しむのはお前だ。でも、もし藤咲のために距離を置こうとしているなら、それが本当に藤咲のことを考えた結果なのか、それだけはもう一度考えてみてくれ」

 自分は酷い人間だ。颯太だって死を宣告され、何もかも投げ出したくなっているかもしれない。そんな人間にかつて現実から逃げ出した人間が「逃げるな」と言っている。
 こんな無責任な人間は出て行けと言われてもおかしくない。しかし、颯太が口にしたのは教師に対する罵倒ではなく、愛する人への切実な想いだった。

「俺は藤咲さん……澄花のことが好きです」

 そう零すと白いシーツを力一杯握りしめる。

「苦しかった。同じ高校に入学して、三年間ずっと同じクラスだったのに一緒にはいられない。交認に認められるって確証も、認めさせようとする勇気もなかった。どうせ人生は長い。だから、卒業したら一緒にいようって約束したのに。まさか、自分が死ぬことになるなんて思わなかった。僕はどんなに苦しんでも良い。でも自分の気持ちを優先させて澄花と一緒にいても、残されるのは澄花だ。僕は澄花を傷つけるようなことはしたくない。一緒にいたいですよ。ずっと一緒に。それなのに……なんで……」

 ようやく本音が聞けた。きっと必死で自分の思いを殺していたのだろう。

「ずっと一緒にいたい、か。よかったな」

 慧はドアの方を振り返る。

「え?」

 颯太はハッと顔を上げる。
 ゆっくりと、ドアの陰から澄花が姿を現した。その目は赤く潤んでいる。

「どうして……」
「二人きりで話をさせたら、お互いに本音を言わないと思ってな」

 澄花はその場から動かない。鼻をすする音だけが病室に響く。
 しばらく沈黙が続いた後、意を決したように息を大きく吐くと澄花は怯えるような目で颯太を見据えた。

「私も、一緒にいたい」

 絞り出した声はか弱く、しかし真っ直ぐに颯太の元に届く。澄花はゆっくりと颯太に近づくと、愛する人の膝に顔を伏せて泣いた。颯太は「ごめん」と澄花の小さな頭にそっと手を置き、愛おしむように撫でた。
 それを見て、慧は何も言わずに病室を去る。
 きっと迷っただろう。それでも澄花は颯太と共にいることを決断した。

 ──やっぱりダメだよ。

 颯太に気持ちを伝えに行こうと慧が促しても、澄花は二の足を踏んだ。颯太が倒れてから時間が空いて落ち着きを取り戻すと同時に、澄花は自分の感情を捨てようとしていた。
 颯太が自分を想っていればこそ、颯太は苦しむことになる。
 どんなに周囲が口先だけで気にするなと言っても、それを簡単に受け入れることはできないだろう。
 だから慧は淡々と事実だけを告げた。

 ──宮本の頭の上に数字が見えている間は、何があっても死なない。

 澄花だけが知っている死へのカウントダウン。それは死が確定しているという絶望を孕むと同時に、それがゼロになるまでは絶対に生きているという担保にもなる。
 それがゼロになるまでは、どんなに肉体的に苦しんでも生きている。

 ──でも……。

 澄花の言いたいことはわかった。一緒にいることで心拍が高くなり、発作に襲われる回数は増えるだろう。自分が颯太を苦しめることには変わりはない。それでも。

 ──距離を置くことで宮本の肉体的な苦痛は多少和らぐかもしれない。それでも結局は精神的に辛い思いをさせるんじゃないか?

 慧の話を聞いた澄花は、悩んだ末に颯太に会いに行くことを決めた。
 これで本当に良かったのか。慧はうっすらと薬品の匂いが漂う院内を歩きながら自問する。
 自分がしたことは、本当に二人の生徒の幸せを願ってしたことなのだろうか。
 栞から逃げ出し、後悔した自分。そんな過去の姿を二人に投影し、自分が選びたかった道を選択させたことで、自分が過去をやり直した気になっているだけなのではないか。
 慧はすれ違う患者やナースに気取られないように小さく首を横に振る。どうするべきだったかなんて、正解はわからない。自分がこれからできることは、一緒にいることを決断した二人が少しでも堂々と日向の道を歩けるようにすることだけだ。