コイワズライ

「実は俺、彼女がいるんです」

 下を向いてナポリタンの湯気を浴びながら、慧は直哉に告白した。
 何を自分だけ幸せになっているんだ。
 そう言われるのが怖くて、顔を上げることができなかった。
 しかし、直哉は「そうか」と言っただけで、洗った食器の水分を拭き取るのに夢中になっている。
 慧は思わず顔を上げた。ナポリタンを巻きつけるフォークがかちり、と皿を鳴らす。

「何だよ?」

 初めて会った日と同じ目つきで慧のことを睨んでいる。

「いや、何か言われるのかと思って」
「何かって?」
「それは……どんなやつなんだとか、芸能人だと誰に似てるんだとか」
「誰に似てんだ?」
「いや、誰にも似てないですけど」
「なんだよそれ」

 まあ、言われてもわかんねえけどよ、と直哉は笑う。

「まあ、気にすんなよ」
「気にするって?」
「お前も幸せになって良いんだぞ」
「え?」
「くだらないこと考えるな。お前は勝手に背負いすぎだ。お前の人生はお前のものだ」

 きっと、と直哉は言った。

「栞もそう思ってるはずだ」
「栞も……」

 本当にそうだろうか。直哉に言われて免罪符を与えられた気になるのは、自分の都合の良い解釈ではないだろうか。背負いすぎどころか、もっとたくさんのものを、栞が味わうはずだった喜びや悲しみを目一杯背負わなければいけないのではないか。

 ──ずっと一緒にいたいよ。

 それがあの雨の日、栞から逃げ出した自分の宿命だと思っていた。

「だから、別に無理して顔を出さなくて良いんだぞ。用事がある時だけ来てくれれば、それで良い」

 突き放すように直哉が言った。

「それは……そうすると、マスターが寂しいんじゃないですか?」
「お前ごときが俺の寂しさを埋められると思ってるのか?」
「どうですかね? 少なくとも間は埋められます」
「ナルシストめ」

 直哉は背を向けて、水気がなくなったコーヒーカップを食器棚にしまおうと扉を開ける。

「それにしても、これからは惚気話が増えるってことか? 嫌になるな」
「だと良いですけど」
「なんだよ、何かあるのか?」

 カップを持つ手が止まり、直哉が再び慧を見た。

「実は二人の恋は引き裂かれそうなんです。ロミオとジュリエットのように」

 慧は奏との無断交際が生徒会に知られ、学院を追放されるかもしれないことを説明した。

「お前、さっきの俺の格好良い瞬間を何だと思ってるんだ?」
「格好良い瞬間って、そんなのありました?」
「あっただろ。『お前も幸せになって良いんだぞ』から、しばらくの間。幸せになる許可を出して早々に破局危機を伝えられる身にもなってみろ」
「その程度が格好良い瞬間だなんて、ナルシストですね」
「ぶん殴るぞ」

 直哉のゴツゴツした拳が振り上げられたので、慧は慌ててなだめる。

「お前、これからどうすんだ?」
「もちろん、大人しく辞めさせられたりはしませんよ。まだ学院での目的も果たしてませんし」
「今はどうでもいい、そんなことは」直哉はぴしゃりと言い切る。「今はちゃんと彼女と向き合え。どうするか、彼女とは話し合ったのか?」
「はい。ちゃんと決めました」

 一人じゃなく二人で。奏と一緒にこのピンチを乗り越えると慧は決めた。

「……そうか。なら良い」

 それから慧が店を出るまで、直哉は何も言わなかった。