コイワズライ

「よう」

 黙々と勉強に励んでいる生徒たちから注目を浴びつつ、慧は颯太の目の前に座る。机には現代文の教科書が開かれていた。

「どうしたんですか? 駄目ですよ、先生が図書室に来たら。おかげで空気が悪くなったじゃないですか」
「そんなこと言うなよ。ちょっと顔を見にきただけだ」
「ちょっと顔を見るためだけに受験生の大切な時間を奪うなんて、教師とは思えませんね。僕の顔なら教室にいる時にちゃんと焼き付けておいてください」
「おいおい、担任にそんな冷たい態度をとるもんじゃないぞ」
「どうせ来るなら生物を勉強している時にしてくださいよ」

 颯太は片手で現代文の教科書を持ち、慧の前でひらひらとさせる。

「今必要なのは笹尾先生です」

 奏の名前が出てきたことで慧の心臓が跳ねた。意図したことではないだろうが、やはり颯太と澄花は繋がっていて自分と奏の関係も筒抜けなのだろうかと疑いたくなる。

「なんだ、宮本は『奏派』か?」

 動揺を悟られないように平静を装って慧は問う。
 光栄学院の生徒、特に男子の間には「奏派」と「麗奈派」の二大派閥が存在する。ともに教師の中では生徒に年齢が近く、現代文を教える者同士。人気が二分するのも無理はない。

「門馬先生の授業もわかりやすいですが、笹尾先生の作者に寄り添った解釈の方が好きですね」
「なんだ、授業の話か」
「ちなみに容姿も笹尾先生の方が好みです」

 慧は感心した。颯太が二十歳を過ぎたら一緒に美味い酒が飲めるかもしれない。
 そして、ここに来た目的を果たすために、うってつけの話題になったと思った。

「宮本も女に興味があるんだな」
「『頑張れ』ですら人を傷つける時代なんです。そういうあからさまにトゲのある発言は気をつけた方が良いですよ」
「悪い悪い。なあ、今まで交認に申請しようと思ったことはないのか?」
「ありませんよ。大体、どうして誰かと付き合うのに先生の許可が必要なんですか? おかしいと思いますよ。あ、僕は生徒だから多少の制度批判は多めに見てもらえますよね?」
「交認のメンバーに対して良い度胸だな。まあ、今回だけは大目に見てやる」

 もちろんあと何度同じ事を言おうが、慧が問題にすることはない。

「でも宮本は逆に大変かもしれないな。そういう相手がいたとしても、お前が優秀すぎて相手の生徒が釣り合うと判断されるにはかなりハードルが高い」
「釣り合うとか、そんなこと人に判断されたくないんだけどな」颯太がつぶやく。「そんな相手いないから良いですけど」
「そうなのか?」
「そうです」

 嘘か本当か。

「人に判断されたくないんだけどな」というのは特定の誰かに好意を寄せていて、その人物を思い浮かべて発した言葉のようにも思える。そうだとしたら、客観的に見て颯太とは学業面で開きがある相手だと言うことになるが、それは澄花だけではなく多くの女子生徒に当てはまることだ。それが澄花なのかどうか、確証を得たい。

「宮本を信頼して話すんだけどな」

 慧は声をひそめて颯太に近づく。

「実は藤咲から相談を受けてるんだ」
「え?」
「どうも交認への申請を考えているらしい」

 金縛りにでもあったように、颯太の動きがピタリと止まった。
 その様子を見て慧は確信した。ろくに会話のないただのクラスメイトの話題に対する反応ではない。やはり、二人の間には誰も知らない何かがある。

「どうしてそんなことを僕に?」
「藤咲の相手がまあまあ優秀なやつでな。このまま申請を上げても通りそうにないんだ」

 本当はまあまあどころか学院始まって以来の秀才だが。

「そこで宮本の知恵を借りたいと思ってな」
「特定の生徒に便宜を図ろうとしてるんですか?」
「違うよ。申請が通る状態になってから申請してほしいだけだ。生徒思いだろ?」

 正直な気持ちだった。そうなってくれれば、奏との関係が明るみになることを恐れて、制度崩壊の糸口を掴めないままに交認で危ない橋を渡らなければならない理由はなくなる。

「申請しなければ良いと思います」

 颯太は言った。

「卒業してから自由に付き合えば良いんですよ」

 そう言うと、颯太は再び現代文の教科書と向き合い始めた。
 これ以上話すことはない。そんな意思表示だと慧は受け取った。
 慧は最後に「藤咲のことをどう思う?」と訊いてみた。

「あまり話したことがないのでわかりませんね」

 それだけを言うと、颯太はカリカリとシャープペンシルを持つ手を動かし始めた。下を向き教科書を睨んでいる。
 その険しい表情の奥にどんな感情が潜んでいるのか、慧は窺い知ることはできなかった。