三十年以上前。
早智枝の一存で設置された交認に対し、生徒側からは猛反発があった。
──何故恋愛を教師が制限するのか。
そんな声を鎮めるために、早智枝が設置したのが教審だった。
教師が生徒の、生徒が教師の交際をそれぞれ管理することで、表向きは対等な関係を作ったというわけだ。
しかし実際のところ、思春期真っ盛りで恋愛を高校生活の中心に据える生徒も数多いるのに対し、教職員同士で恋愛関係になるケースはそこまで多くない。教審が数年に一度開催されるかどうかの頻度であるのに対して、交認は年に数回、それも夏休みや文化祭、クリスマスといったイベントの直前には交際申請が殺到し、週に複数回開催されることもある。生徒側は管理されているという実感はあるだろうが、教師の中で教審のことを気にかけている人間はそれほどいないだろう。
設置以来、この二つの機関の規程は一度も改定されておらず、未認可交際が発覚した場合の処分についてはそれぞれの規程に明記されている。
つまり、本来必要な教審での認可を得ずに交際している慧と奏はそれが明るみに出た瞬間、この学院を去らなければならないことになる。
「私は別にこの学院にはこだわってないよ? 教師はどこでもできるし」
奏は最悪のケースを想定してフォローしてくれたのだろう。慧だってこだわりはない。しかし交認を廃止するまでは、この学院を去るわけにはいかなかった。
「そうだ! いっそのこと、バラされる前に教審に申請するっていうのはどうかな? それで認可してもらえれば、何も問題ないでしょ」
「それは……やっぱり無理だ」
奏の言うことは理にかなっているが、そう簡単には踏み切れない理由があった。
「そんなに嫌われてるの? 生徒会長に」
「嫌われてるな。間違いなく」
交際を始める時にも一度だけ、教審に対して申請をしようという提案が奏からあったが、慧はそれを断った。慧は当時の生徒会副会長で現在の生徒会長、すなわち教審の審議部長を務める東堂一郎《とうどういちろう》との間に確執がある。自分たちの交際が認可されるとはどうしても思えなかった。
「八方塞がりだね」
言葉とは裏腹に奏はどこか楽天的だった。
「慧くんが何もしなくても、理事長が藤咲さんたちのことを認めてくれたら良いけどね。難しいよね」
「……まあ、どうするか、もう少し考えてみるよ」
特に妙案は浮かばないが、慧はとりあえずそう答えるしかなかった。
「あ、そういえば」と奏が話題を変える。
「来週なんだけど」
少し気恥ずかしそうにしたことで、慧は奏が何を話したいのかすぐにわかった。
「誕生日だよな。また同じケーキを買って、同じ料理を食べよう」
「あ、うん。そうだよね」
奏の声が曇ったことで、慧の心臓がチクリと痛む。
奏は年に一度の誕生日を画面越しではなく、同じ空間で祝いたいと思っている。もちろん、それは慧も同じだった。自分だって、できることならば学院にいる時間以外でも、少しでも一緒にいたい。しかし、今はまだそうすることはできなかった。
外で会うと誰に見られるかわからない。それであればと、こうして毎日画面越しに夕食をともにするのが二人の日課であり、慧のせめてもの罪滅ぼしだった。
それが付き合っていると呼べるのか。恋人であれば、多少の危険を冒してでも触れ合いたいと思わないのか。
この学院を変えることができたら、必ず堂々と一緒にいられるようになる。慧はそう信じている。
「いつか必ず一緒にお祝いしよう」
「うん。楽しみにしてる」
奏は努めて明るく振る舞うと、気を紛らわそうとしているのか再びスマートフォンを操作し始める。
いつまでも、奏に我慢をさせるわけにはいかない。
少しでも早く交認を廃止するために動かなければ。
心の中で一人決意したところで、慧は今回の澄花の脅迫が何かのきっかけにはならないだろうかと考えた。
これはあくまで恋愛に限った話しだが、光栄学院の生徒は三パターンに分類できる。
・パターン①:交際を申請する生徒。
・パターン②:交際を申請しない生徒。
・パターン③:未認可交際に走る生徒。
お互いの気持ちを秘密裏に確かめ合ったカップル予備軍たちがどのパターンを選択するのか。成績が認可の判断基準であることはある意味わかりやすく、生徒も自分たちにどれくらいの可能性があるのかというのは申請する前に予想がつく。
絶対に認可が下りるという自信があれば迷わずにパターン①を選択する。
五分五分であればどのパターンも想定できる。一か八か申請するか、卒業まで我慢するか、バレないと高をくくるか。
絶対に認可が下りないと思っている場合は、パターン①を選択することだけはあり得ない。負け戦に飛び込んでも何のメリットもないからだ。
そういう意味では、澄花はあり得ない選択をしようとしている。
たしかに、慧の未認可交際という交渉材料を手に入れてはいるが、それだってリスクはある。
いくら交認の審議会長代理といっても、慧に決定権はない。認可が下りる保証はどこにもない。それどころか、慧が脅しに屈せず、澄花の要求をはねのける可能性もある。それだけで済めば良いが、慧が澄花に脅迫されたことを他の教師たちにバラして退学などの処分を科そうとしたら、一転して澄花の立場が危うくなる。
澄花の選択はリスクだらけだ。それなのに何故、そこまでして在学中に認可を得るという形での交際を望むのか。
──ただ『一年以内に死ぬ人がわかる』だけなんです。
やはり、そういうことなのか。
澄花の言葉を思い出した、その時だった。
「え? ウソ?」
突然、奏が驚きの声を上げた。
「どうした?」
「この子、知ってる?」
ぐいとスマートフォンが突き出され、パソコンの画面に奏のスマートフォンに映された少女の画像が映る。それは澄花に教えてもらったアイドルグループのセンターだった少女だった。
慧は唾を飲み込む。
「その子が、どうかしたのか?」
「死んじゃったんだって。もう一年以上闘病中だったみたい」
──そのアイドルは今日、死ぬんです。
頭の中で澄花の言葉が蘇る。
こんなにも思考を止められる一日は人生で初めてだった。
早智枝の一存で設置された交認に対し、生徒側からは猛反発があった。
──何故恋愛を教師が制限するのか。
そんな声を鎮めるために、早智枝が設置したのが教審だった。
教師が生徒の、生徒が教師の交際をそれぞれ管理することで、表向きは対等な関係を作ったというわけだ。
しかし実際のところ、思春期真っ盛りで恋愛を高校生活の中心に据える生徒も数多いるのに対し、教職員同士で恋愛関係になるケースはそこまで多くない。教審が数年に一度開催されるかどうかの頻度であるのに対して、交認は年に数回、それも夏休みや文化祭、クリスマスといったイベントの直前には交際申請が殺到し、週に複数回開催されることもある。生徒側は管理されているという実感はあるだろうが、教師の中で教審のことを気にかけている人間はそれほどいないだろう。
設置以来、この二つの機関の規程は一度も改定されておらず、未認可交際が発覚した場合の処分についてはそれぞれの規程に明記されている。
つまり、本来必要な教審での認可を得ずに交際している慧と奏はそれが明るみに出た瞬間、この学院を去らなければならないことになる。
「私は別にこの学院にはこだわってないよ? 教師はどこでもできるし」
奏は最悪のケースを想定してフォローしてくれたのだろう。慧だってこだわりはない。しかし交認を廃止するまでは、この学院を去るわけにはいかなかった。
「そうだ! いっそのこと、バラされる前に教審に申請するっていうのはどうかな? それで認可してもらえれば、何も問題ないでしょ」
「それは……やっぱり無理だ」
奏の言うことは理にかなっているが、そう簡単には踏み切れない理由があった。
「そんなに嫌われてるの? 生徒会長に」
「嫌われてるな。間違いなく」
交際を始める時にも一度だけ、教審に対して申請をしようという提案が奏からあったが、慧はそれを断った。慧は当時の生徒会副会長で現在の生徒会長、すなわち教審の審議部長を務める東堂一郎《とうどういちろう》との間に確執がある。自分たちの交際が認可されるとはどうしても思えなかった。
「八方塞がりだね」
言葉とは裏腹に奏はどこか楽天的だった。
「慧くんが何もしなくても、理事長が藤咲さんたちのことを認めてくれたら良いけどね。難しいよね」
「……まあ、どうするか、もう少し考えてみるよ」
特に妙案は浮かばないが、慧はとりあえずそう答えるしかなかった。
「あ、そういえば」と奏が話題を変える。
「来週なんだけど」
少し気恥ずかしそうにしたことで、慧は奏が何を話したいのかすぐにわかった。
「誕生日だよな。また同じケーキを買って、同じ料理を食べよう」
「あ、うん。そうだよね」
奏の声が曇ったことで、慧の心臓がチクリと痛む。
奏は年に一度の誕生日を画面越しではなく、同じ空間で祝いたいと思っている。もちろん、それは慧も同じだった。自分だって、できることならば学院にいる時間以外でも、少しでも一緒にいたい。しかし、今はまだそうすることはできなかった。
外で会うと誰に見られるかわからない。それであればと、こうして毎日画面越しに夕食をともにするのが二人の日課であり、慧のせめてもの罪滅ぼしだった。
それが付き合っていると呼べるのか。恋人であれば、多少の危険を冒してでも触れ合いたいと思わないのか。
この学院を変えることができたら、必ず堂々と一緒にいられるようになる。慧はそう信じている。
「いつか必ず一緒にお祝いしよう」
「うん。楽しみにしてる」
奏は努めて明るく振る舞うと、気を紛らわそうとしているのか再びスマートフォンを操作し始める。
いつまでも、奏に我慢をさせるわけにはいかない。
少しでも早く交認を廃止するために動かなければ。
心の中で一人決意したところで、慧は今回の澄花の脅迫が何かのきっかけにはならないだろうかと考えた。
これはあくまで恋愛に限った話しだが、光栄学院の生徒は三パターンに分類できる。
・パターン①:交際を申請する生徒。
・パターン②:交際を申請しない生徒。
・パターン③:未認可交際に走る生徒。
お互いの気持ちを秘密裏に確かめ合ったカップル予備軍たちがどのパターンを選択するのか。成績が認可の判断基準であることはある意味わかりやすく、生徒も自分たちにどれくらいの可能性があるのかというのは申請する前に予想がつく。
絶対に認可が下りるという自信があれば迷わずにパターン①を選択する。
五分五分であればどのパターンも想定できる。一か八か申請するか、卒業まで我慢するか、バレないと高をくくるか。
絶対に認可が下りないと思っている場合は、パターン①を選択することだけはあり得ない。負け戦に飛び込んでも何のメリットもないからだ。
そういう意味では、澄花はあり得ない選択をしようとしている。
たしかに、慧の未認可交際という交渉材料を手に入れてはいるが、それだってリスクはある。
いくら交認の審議会長代理といっても、慧に決定権はない。認可が下りる保証はどこにもない。それどころか、慧が脅しに屈せず、澄花の要求をはねのける可能性もある。それだけで済めば良いが、慧が澄花に脅迫されたことを他の教師たちにバラして退学などの処分を科そうとしたら、一転して澄花の立場が危うくなる。
澄花の選択はリスクだらけだ。それなのに何故、そこまでして在学中に認可を得るという形での交際を望むのか。
──ただ『一年以内に死ぬ人がわかる』だけなんです。
やはり、そういうことなのか。
澄花の言葉を思い出した、その時だった。
「え? ウソ?」
突然、奏が驚きの声を上げた。
「どうした?」
「この子、知ってる?」
ぐいとスマートフォンが突き出され、パソコンの画面に奏のスマートフォンに映された少女の画像が映る。それは澄花に教えてもらったアイドルグループのセンターだった少女だった。
慧は唾を飲み込む。
「その子が、どうかしたのか?」
「死んじゃったんだって。もう一年以上闘病中だったみたい」
──そのアイドルは今日、死ぬんです。
頭の中で澄花の言葉が蘇る。
こんなにも思考を止められる一日は人生で初めてだった。
