その人が屋敷に来た日、空は少しだけ曇っていた。
いつもより静かな朝。
いつもより整いすぎた廊下。
そのすべてが、あとになって思えば“始まり”だったのかもしれない。
「本日より、貴女にお仕えします」
初めて会ったその人は、とても丁寧で、とても静かで──
そして、理由もなく少しだけ怖かった。
―Side:律―
その日の朝、屋敷へ向かう途中の道で、声がした。
「兄ちゃん若いねぇ、あのお屋敷の次の使用人かい?」
「はい」
「歳は十九ってとこかい……あそこはな、ちょっと訳ありでね」
男は笑いながら続ける。
「あのお嬢様さ、元ご令嬢だって話だよ。家族みんな追い出して、屋敷に一人」
「一体どんな性悪様なんだか」
「今までの使用人、みんな逃げてるらしいぜ」
その言葉を聞いても、その人の表情は変わらなかった。
(興味がない)
ただ、それだけ。
「……兄ちゃん、あんたそっち側の人間だね」
「まるで死神様だよ」
その言葉にも、彼は振り返らない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、興味がない。
帰属的に歩く速度だけが変わらない。
そして屋敷の前に立った時、空気が一変した。
古い鉄の門。
静かな庭。
誰も歓迎しない場所。
扉が開く。
そこにいたのは──少女だった。
光の少ない部屋の中で、
まるで“そこにいることだけが仕事”みたいに座っている。
こちらを見る青い瞳の少女は、まだ何も知らない。
「……あなた、誰?」
その声だけが、やけに鮮明だった。
その瞬間、世界の輪郭が少しだけ変わる。
「本日から新しい使用人兼護衛を致します…名を」
“██”、かつての名が脳裏によぎる。
(…██は、もう死んだ。俺は“執事”だ)
「“律”と申します」
ただ、それだけ。
本来なら、そこに説明は必要ない。
執事としての形式で十分だった。
それなのに、その言葉だけが喉の奥に残った。
彼女は小さく瞬きをして、
すぐに視線を逸らす。
けれど──
その名前だけは、なぜか消えなかった。
「律」
誰もまだそう呼んでいないその音が、
この屋敷の中で初めて意味を持った瞬間だった。
その瞬間を高くそびえ立つ木の上から見ている褐色肌の青年が一人。
「“律”ねぇ……んな堅苦しい名前」
「お前には似合わねぇよ…“██”」
──それが、この物語の始まりだった。
いつもより静かな朝。
いつもより整いすぎた廊下。
そのすべてが、あとになって思えば“始まり”だったのかもしれない。
「本日より、貴女にお仕えします」
初めて会ったその人は、とても丁寧で、とても静かで──
そして、理由もなく少しだけ怖かった。
―Side:律―
その日の朝、屋敷へ向かう途中の道で、声がした。
「兄ちゃん若いねぇ、あのお屋敷の次の使用人かい?」
「はい」
「歳は十九ってとこかい……あそこはな、ちょっと訳ありでね」
男は笑いながら続ける。
「あのお嬢様さ、元ご令嬢だって話だよ。家族みんな追い出して、屋敷に一人」
「一体どんな性悪様なんだか」
「今までの使用人、みんな逃げてるらしいぜ」
その言葉を聞いても、その人の表情は変わらなかった。
(興味がない)
ただ、それだけ。
「……兄ちゃん、あんたそっち側の人間だね」
「まるで死神様だよ」
その言葉にも、彼は振り返らない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、興味がない。
帰属的に歩く速度だけが変わらない。
そして屋敷の前に立った時、空気が一変した。
古い鉄の門。
静かな庭。
誰も歓迎しない場所。
扉が開く。
そこにいたのは──少女だった。
光の少ない部屋の中で、
まるで“そこにいることだけが仕事”みたいに座っている。
こちらを見る青い瞳の少女は、まだ何も知らない。
「……あなた、誰?」
その声だけが、やけに鮮明だった。
その瞬間、世界の輪郭が少しだけ変わる。
「本日から新しい使用人兼護衛を致します…名を」
“██”、かつての名が脳裏によぎる。
(…██は、もう死んだ。俺は“執事”だ)
「“律”と申します」
ただ、それだけ。
本来なら、そこに説明は必要ない。
執事としての形式で十分だった。
それなのに、その言葉だけが喉の奥に残った。
彼女は小さく瞬きをして、
すぐに視線を逸らす。
けれど──
その名前だけは、なぜか消えなかった。
「律」
誰もまだそう呼んでいないその音が、
この屋敷の中で初めて意味を持った瞬間だった。
その瞬間を高くそびえ立つ木の上から見ている褐色肌の青年が一人。
「“律”ねぇ……んな堅苦しい名前」
「お前には似合わねぇよ…“██”」
──それが、この物語の始まりだった。
