悪役ヒロインは今日も正義を嗤う

黒瀬凛という名前を知らない生徒は、この学校にほとんどいない。

もっとも、それは良い意味ではなかった。

「ねえねえ聞いた?あの子、また先生と揉めたらしいよ」

「よく授業サボってるよね」

「あの子とは関わらない方がいいよ」

そんな声があちこちから聞こえてくる。

そう、黒瀬凛は校内でも有名な存在だった。

『問題児』

『不良』

『危険人物』

生徒たちは好き勝手に彼女を呼ぶ。

なかには、校外の不良グループとつながりがあるだとか、退学寸前になったことがあるだとか、どこからともなく現れた根も葉もない噂まで広まっていた。

もちろん、そのほとんどは真実ではない。

しかし噂というものは、一度生まれてしまえばすぐに広まり、簡単には消えない。

そして人は、真実かどうかよりも自分にとって面白いと思う話を信じたがる。

だから今日も、凛の姿を見た生徒たちは避けるように自然と道をあける。

けれど当の本人は全く気にしていなかった。

ポケットに手を入れたまま廊下を歩き、向けられる視線にも無関心な顔をしている。

慣れているのだ。

好奇の目にも、怯えた目にも。

「黒瀬」

凛は教室へ入ろうとしたところで、後ろから声をかけられた。

振り返ると学年主任の教師が立っている。

「今日はちゃんと授業に出るんだろうな?」

「さあ」

「『さあ』じゃないだろ」

 教師は呆れたように眉をひそめた。

「お前な、もう少し真面目に学校生活を送れないのか」

「考えときます」

「考えるんじゃなくて実行しろ」

大きなため息を残し、教師は先に教室へ入っていく。

その様子を見ていたクラスメイトたちが、小声で囁き合った。

「また怒られてる」

「やっぱりなんか怖いよね」

「私は絶対関わりたくない」

聞こえていたが、凛は何も反応しない。

いちいち反応していたらきりがないとわかっているからだ。

どうせ誰も聞く耳を持たない。

人は誰だって自分が信じたいものしか信じない。

だったら好きに言わせておけばいい。

凛は自分の席に腰を下ろし、窓の外へ視線を向けた。

春の風が校庭を吹き抜けていく。

遠くから運動部の掛け声が聞こえた。

どうやら朝練をしているらしい。

「好きに言わせておけばいい」

凛は誰にも聞こえないほど小さく、そう呟いた。

その横顔は、みんなに噂されるような不良には見えなかった。

どこか寂しげな、そんな雰囲気を纏っている。

けれど、それに気付く者はまだ誰もいなかった。