「……大丈夫です」
宙は首を横に振り、窓の外を見た。車はメゾネットタイプのアパートの前に停められている。
「もう着いたんですか?」
「ああ」
「じゃあ、行きましょう」
首輪に巻いたタオルを触って確かめ、宙は車の外へ出た。
――早く飼い主に会いたい。会って、何があったのか確かめたい。
久瀬も続いて車から降り、二人で飼い主の家へ向かう。インターフォンを鳴らすと、中から足音が聞こえてきた。控えめにドアを開けて顔を出したのは、二十代後半くらいの眼鏡をかけた男性だ。
「こんにちは。警察です。いくつか伺いたいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」
「警察……?」
警察手帳を見せられ、男は困惑したようにこちらを見た。久瀬はプレートの入った袋をポケットから出し、男に差し出す。
「まず、こちらに見覚えがないか、ご確認いただけますか?」
言いながら、久瀬はじっと注意深く男を見つめている。男はプレートを見て、小さく喉を鳴らした。
「……知りません」
「裏面の住所は、こちらのお宅で合っているかと思いますが」
「知りませんよ。……前に住んでた人のじゃないですか?」
プレートから目を逸らし、男は自分の肘の辺りを摩る。
「こちらに引っ越されたのはいつですか?」
「……四年前かな」
男が答えると、久瀬は淡々とした口調で「そうですか」と頷く。
「実はお宅に伺う前、こちらの物件について管理会社に確認させていただきました。この物件はペット飼育可ですが、飼育には事前申請が必要だそうですね。……ご入居時にペットの申請をされていたか、確認しても?」
プレートをポケットに仕舞いながら、久瀬が尋ねる。男はぐっと言葉を詰まらせた。
「『今は』飼ってないって言ったんです。もう死んだんですよ!」
声を荒げて男が言う。
「では、あなたが『コタロウ』の飼い主ということですね?」
「……はい、そうです」
落ち着きなく指先で肘を叩きながら、男が答える。その瞬間、胸がざわつくような、嫌な感覚がした。
「でも、もう死んでるんです。だから、それも要りませんし、もう帰ってくれませんか?」
苛立ちを露わにする男を見て、久瀬は次の質問を探すように、顎へ手を遣った。宙はとっさに久瀬の腕を掴み、前へ進み出る。
「――違う」
「三井?」
「久瀬さん、違う。この人は飼い主じゃないです!」
宙の胸は確信で満ちていた。
頭を撫でるあたたかな手。川原に弾けた笑い声と笑顔。そばにいると約束してくれた、切なくて優しい声。
どれも、この男とは似ても似つかない。
「は……はぁ!? 何なんだ、お前!」
男はドアを大きく開け、一歩足を踏み出した。久瀬は男の足元――玄関に並んだ靴へ目を遣り、ふと気付いたように口を開いた。
「それ、女性の靴ですよね」
「……っ!」
「もしかして、同居されてる方がいらっしゃるのでは?」
久瀬が尋ねると、男は黙ってドアを閉めようとした。とっさに久瀬がドアを掴み、それを止める。宙は身を乗り出し、ドアの間から叫んだ。
「飼い主さん! コタロウの飼い主さん、いますか!?」
「くそ……っ、うるさい!」
男がカッとなった様子で、ドアを開けて宙に殴りかかってきた。反射的に腕で顔を庇おうとする。
しかし、それよりも久瀬が動くのが早かった。
殴ろうとした男の腕を掴み、外壁に押し付けると、もう片方の腕も掴んで背中の後ろで捻り上げる。
「痛っ……!」
「これ以上暴れれば、公務執行妨害に当たります」
さすが警察官だ。一瞬で制圧してしまった。
男は歯を食いしばり、久瀬を睨んでいる。
「あの……」
ふいに、ドアの向こうから声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に、宙は小さく息をのみ、閉まりかけていたドアを開ける。
「今……誰か、コタロウって言いましたか?」
玄関の向こうにある階段を降りて、女性が近づいてくる。肩甲骨の下辺りまである、長い髪。優しげな目元。初めて会うはずなのに、とても懐かしい気がした。
「久瀬さん、プレートどこですか?」
「……右のポケットだ」
男を拘束したまま久瀬が答える。宙は久瀬のスーツのポケットから袋に入ったプレートを取り出した。
「これ……あなたが飼ってた犬が着けてたものですよね?」
「そうです。どこでこれを?」
宙の差し出したプレートを見て、女性が驚いたように目を見開く。
「東京で、首輪と一緒に見つかったんです。そばには柴犬が一匹でいたそうです」
「東京……? どうして?」
「それは、彼に直接聞いた方が早いかと」
久瀬が言って、男から少し身体を離す。腕は掴んで背中に押しつけたままだ。
玄関から身を乗り出し、その光景を目にした女性が息をのんで両手で口を押さえる。
「耕祐! どうしたの!? あなたは……?」
「警察です」
「警察……?」
女性はまだ事態が掴めない様子で、久瀬と男を見比べる。
「あの、いい加減放してください。俺、何もしてないじゃないですか」
男は急に被害者ぶった態度で、久瀬に訴えた。思わず「はあ?」と顔をしかめた宙に対し、久瀬は表情を変えないまま腕を放した。だが、男からは離れず、いつでも再び拘束できる位置を保っている。
「いった……」「力強すぎだろ」とぶつぶつ呟く男を無視して、久瀬は女性に警察手帳を見せ、「遺失物管理課の久瀬です」と名乗った。警察のくせに、嘘つきだ。久瀬は嘘ではなく『特異』を省略しただけだとしらばっくれそうだが。
「お名前をお伺いしても?」
「原麗奈です。……彼は佐野耕祐」
女性――原は戸惑いながら答えると、佐野に向き直った。
「耕祐……どういうことなの? コタロウは長野の叔父さんのところにいるんだよね?」
「…………」
「もしかして、旅行中に脱走したとか? 今すぐ電話して確かめてよ」
佐野は黙ったまま俯き、久瀬に掴まれた腕を摩っている。原は焦れたように佐野の腕を掴んだ。
「ねえ、何か言ってよ!」
「――うるさいな! 俺はお前のためを思って、捨ててやったのに!」
かっとなったように、佐野が原の手を振り払う。原は呆然と佐野の顔を見つめた。
「捨てた……? 何、言ってるの? 叔父さんに預けるって言ったじゃない」
「仕方ないだろ。あんな年寄りの犬、面倒見るの大変だし」
佐野は原から目を逸らし、小さく笑った。
「麗奈だって、面倒だから預けていいって言ったんだろ? 今さら一人だけ善人ぶるなよ」
「お前な……!」
「三井」
反射的に割って入ろうとした宙を、久瀬が止める。原は顔を歪めて視線を落とした。
「……確かに、私はあの子から逃げた」
苦しげに言って、シャツの胸元をぎゅっと握りしめる。
「あの子の目がどんどん悪くなって、耳も遠くなって……いつか、私の前からあの子がいなくなる日を思うと、怖くて」
「なら――」
「でも、捨てていいなんて言ってない! あの子は、私の家族だったの。あなたが勝手に捨てていい命じゃない!」
顔を上げた原の目には涙が浮かんでいた。佐野は怯んだように半歩後ずさる。
「あの子の最期から、逃げるべきじゃなかった。苦しくても、怖くても……ちゃんと向き合うべきだった」
原の頬を涙が伝い落ちる。宙は目を伏せ、タオルの上から首輪にそっと触れた。
首輪からは何の反応もない。……コタロウは今、無事でいるのだろうか。
「……原さんにご確認いただきたいものがあります」
ふと、それまで成り行きを見守っていた久瀬が、スマートフォンを取り出した。画面をタップして一枚の写真を表示させると、原に差し出す。
写真には、コンクリートの床に敷かれた毛布の上に蹲る、一匹の柴犬の姿があった。
その姿を目にした瞬間、原の目が大きく見開かれる。
「コタロウ……この子、コタロウです! この写真、どこで撮ったんですか!? コタロウは今どこに――」
「落ち着いてください」
久瀬は詰め寄ってくる原を片手で制した。
「この犬は今、都内の保健所で保護されています。保護された時は脱水症状があり、少し弱った様子だったそうですが、治療を受け、今は落ち着いているそうです」
――病院を出る前、久瀬はどこかに電話を掛けていた。相手は浜松たちだと思っていたが、管理会社や保健所にも確認を入れていたらしい。
久瀬の言葉に、原の肩からゆっくりと力が抜ける。
「……よかった……」
両手で顔を覆い、ぽつりと呟く。それから小さく息を吸うと、涙を拭って玄関ドアのフックに掛けられていた車の鍵を手に取った。
「今すぐ迎えにいきます」
「では、保健所まで同行します」
スマホをポケットに仕舞い、久瀬が踵を返す。原はスニーカーを突っかけてその後に続こうとした。
「おい、麗奈!」
けれど、それを止めるように、佐野が腕を掴む。原は強く拳を握り締め、振り返った。
「私が戻るまでに、荷物をまとめて出ていって」
「お……お前、本気で言ってるのか? 俺はお前のためにやったんだぞ!」
動揺した様子で、佐野が声を震わせる。原は唇を噛んで俯いた。
「私のためじゃない。あなたが邪魔だっただけでしょ?」
「結婚の話だってしてたのに――俺よりも犬の方が大事だって言うのか!? 現実見ろよ!」
原は一度深呼吸して、自分の腕を掴む佐野の手を掴んだ。
「ごめんなさい。……家族を大切にできない人とは、一緒に生きていけない」
言いながら、自分の腕を放させて顔を上げる。原の目に迷いはなかった。
「なんで……たかが犬一匹で」
くしゃり、と自分の髪を掴み、佐野が呟く。
「ご存知ないのかもしれませんが、動物の遺棄は犯罪です」
重い沈黙に、淡々とした久瀬の声が響いた。
「……は?」
「こちらで関係部署に引き継ぎますので、ご自身のしたことに、しっかり向き合ってください」
佐野の顔がさっと青ざめる。原は目を伏せ、佐野に背を向けた。
「……さよなら」
宙は首を横に振り、窓の外を見た。車はメゾネットタイプのアパートの前に停められている。
「もう着いたんですか?」
「ああ」
「じゃあ、行きましょう」
首輪に巻いたタオルを触って確かめ、宙は車の外へ出た。
――早く飼い主に会いたい。会って、何があったのか確かめたい。
久瀬も続いて車から降り、二人で飼い主の家へ向かう。インターフォンを鳴らすと、中から足音が聞こえてきた。控えめにドアを開けて顔を出したのは、二十代後半くらいの眼鏡をかけた男性だ。
「こんにちは。警察です。いくつか伺いたいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」
「警察……?」
警察手帳を見せられ、男は困惑したようにこちらを見た。久瀬はプレートの入った袋をポケットから出し、男に差し出す。
「まず、こちらに見覚えがないか、ご確認いただけますか?」
言いながら、久瀬はじっと注意深く男を見つめている。男はプレートを見て、小さく喉を鳴らした。
「……知りません」
「裏面の住所は、こちらのお宅で合っているかと思いますが」
「知りませんよ。……前に住んでた人のじゃないですか?」
プレートから目を逸らし、男は自分の肘の辺りを摩る。
「こちらに引っ越されたのはいつですか?」
「……四年前かな」
男が答えると、久瀬は淡々とした口調で「そうですか」と頷く。
「実はお宅に伺う前、こちらの物件について管理会社に確認させていただきました。この物件はペット飼育可ですが、飼育には事前申請が必要だそうですね。……ご入居時にペットの申請をされていたか、確認しても?」
プレートをポケットに仕舞いながら、久瀬が尋ねる。男はぐっと言葉を詰まらせた。
「『今は』飼ってないって言ったんです。もう死んだんですよ!」
声を荒げて男が言う。
「では、あなたが『コタロウ』の飼い主ということですね?」
「……はい、そうです」
落ち着きなく指先で肘を叩きながら、男が答える。その瞬間、胸がざわつくような、嫌な感覚がした。
「でも、もう死んでるんです。だから、それも要りませんし、もう帰ってくれませんか?」
苛立ちを露わにする男を見て、久瀬は次の質問を探すように、顎へ手を遣った。宙はとっさに久瀬の腕を掴み、前へ進み出る。
「――違う」
「三井?」
「久瀬さん、違う。この人は飼い主じゃないです!」
宙の胸は確信で満ちていた。
頭を撫でるあたたかな手。川原に弾けた笑い声と笑顔。そばにいると約束してくれた、切なくて優しい声。
どれも、この男とは似ても似つかない。
「は……はぁ!? 何なんだ、お前!」
男はドアを大きく開け、一歩足を踏み出した。久瀬は男の足元――玄関に並んだ靴へ目を遣り、ふと気付いたように口を開いた。
「それ、女性の靴ですよね」
「……っ!」
「もしかして、同居されてる方がいらっしゃるのでは?」
久瀬が尋ねると、男は黙ってドアを閉めようとした。とっさに久瀬がドアを掴み、それを止める。宙は身を乗り出し、ドアの間から叫んだ。
「飼い主さん! コタロウの飼い主さん、いますか!?」
「くそ……っ、うるさい!」
男がカッとなった様子で、ドアを開けて宙に殴りかかってきた。反射的に腕で顔を庇おうとする。
しかし、それよりも久瀬が動くのが早かった。
殴ろうとした男の腕を掴み、外壁に押し付けると、もう片方の腕も掴んで背中の後ろで捻り上げる。
「痛っ……!」
「これ以上暴れれば、公務執行妨害に当たります」
さすが警察官だ。一瞬で制圧してしまった。
男は歯を食いしばり、久瀬を睨んでいる。
「あの……」
ふいに、ドアの向こうから声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に、宙は小さく息をのみ、閉まりかけていたドアを開ける。
「今……誰か、コタロウって言いましたか?」
玄関の向こうにある階段を降りて、女性が近づいてくる。肩甲骨の下辺りまである、長い髪。優しげな目元。初めて会うはずなのに、とても懐かしい気がした。
「久瀬さん、プレートどこですか?」
「……右のポケットだ」
男を拘束したまま久瀬が答える。宙は久瀬のスーツのポケットから袋に入ったプレートを取り出した。
「これ……あなたが飼ってた犬が着けてたものですよね?」
「そうです。どこでこれを?」
宙の差し出したプレートを見て、女性が驚いたように目を見開く。
「東京で、首輪と一緒に見つかったんです。そばには柴犬が一匹でいたそうです」
「東京……? どうして?」
「それは、彼に直接聞いた方が早いかと」
久瀬が言って、男から少し身体を離す。腕は掴んで背中に押しつけたままだ。
玄関から身を乗り出し、その光景を目にした女性が息をのんで両手で口を押さえる。
「耕祐! どうしたの!? あなたは……?」
「警察です」
「警察……?」
女性はまだ事態が掴めない様子で、久瀬と男を見比べる。
「あの、いい加減放してください。俺、何もしてないじゃないですか」
男は急に被害者ぶった態度で、久瀬に訴えた。思わず「はあ?」と顔をしかめた宙に対し、久瀬は表情を変えないまま腕を放した。だが、男からは離れず、いつでも再び拘束できる位置を保っている。
「いった……」「力強すぎだろ」とぶつぶつ呟く男を無視して、久瀬は女性に警察手帳を見せ、「遺失物管理課の久瀬です」と名乗った。警察のくせに、嘘つきだ。久瀬は嘘ではなく『特異』を省略しただけだとしらばっくれそうだが。
「お名前をお伺いしても?」
「原麗奈です。……彼は佐野耕祐」
女性――原は戸惑いながら答えると、佐野に向き直った。
「耕祐……どういうことなの? コタロウは長野の叔父さんのところにいるんだよね?」
「…………」
「もしかして、旅行中に脱走したとか? 今すぐ電話して確かめてよ」
佐野は黙ったまま俯き、久瀬に掴まれた腕を摩っている。原は焦れたように佐野の腕を掴んだ。
「ねえ、何か言ってよ!」
「――うるさいな! 俺はお前のためを思って、捨ててやったのに!」
かっとなったように、佐野が原の手を振り払う。原は呆然と佐野の顔を見つめた。
「捨てた……? 何、言ってるの? 叔父さんに預けるって言ったじゃない」
「仕方ないだろ。あんな年寄りの犬、面倒見るの大変だし」
佐野は原から目を逸らし、小さく笑った。
「麗奈だって、面倒だから預けていいって言ったんだろ? 今さら一人だけ善人ぶるなよ」
「お前な……!」
「三井」
反射的に割って入ろうとした宙を、久瀬が止める。原は顔を歪めて視線を落とした。
「……確かに、私はあの子から逃げた」
苦しげに言って、シャツの胸元をぎゅっと握りしめる。
「あの子の目がどんどん悪くなって、耳も遠くなって……いつか、私の前からあの子がいなくなる日を思うと、怖くて」
「なら――」
「でも、捨てていいなんて言ってない! あの子は、私の家族だったの。あなたが勝手に捨てていい命じゃない!」
顔を上げた原の目には涙が浮かんでいた。佐野は怯んだように半歩後ずさる。
「あの子の最期から、逃げるべきじゃなかった。苦しくても、怖くても……ちゃんと向き合うべきだった」
原の頬を涙が伝い落ちる。宙は目を伏せ、タオルの上から首輪にそっと触れた。
首輪からは何の反応もない。……コタロウは今、無事でいるのだろうか。
「……原さんにご確認いただきたいものがあります」
ふと、それまで成り行きを見守っていた久瀬が、スマートフォンを取り出した。画面をタップして一枚の写真を表示させると、原に差し出す。
写真には、コンクリートの床に敷かれた毛布の上に蹲る、一匹の柴犬の姿があった。
その姿を目にした瞬間、原の目が大きく見開かれる。
「コタロウ……この子、コタロウです! この写真、どこで撮ったんですか!? コタロウは今どこに――」
「落ち着いてください」
久瀬は詰め寄ってくる原を片手で制した。
「この犬は今、都内の保健所で保護されています。保護された時は脱水症状があり、少し弱った様子だったそうですが、治療を受け、今は落ち着いているそうです」
――病院を出る前、久瀬はどこかに電話を掛けていた。相手は浜松たちだと思っていたが、管理会社や保健所にも確認を入れていたらしい。
久瀬の言葉に、原の肩からゆっくりと力が抜ける。
「……よかった……」
両手で顔を覆い、ぽつりと呟く。それから小さく息を吸うと、涙を拭って玄関ドアのフックに掛けられていた車の鍵を手に取った。
「今すぐ迎えにいきます」
「では、保健所まで同行します」
スマホをポケットに仕舞い、久瀬が踵を返す。原はスニーカーを突っかけてその後に続こうとした。
「おい、麗奈!」
けれど、それを止めるように、佐野が腕を掴む。原は強く拳を握り締め、振り返った。
「私が戻るまでに、荷物をまとめて出ていって」
「お……お前、本気で言ってるのか? 俺はお前のためにやったんだぞ!」
動揺した様子で、佐野が声を震わせる。原は唇を噛んで俯いた。
「私のためじゃない。あなたが邪魔だっただけでしょ?」
「結婚の話だってしてたのに――俺よりも犬の方が大事だって言うのか!? 現実見ろよ!」
原は一度深呼吸して、自分の腕を掴む佐野の手を掴んだ。
「ごめんなさい。……家族を大切にできない人とは、一緒に生きていけない」
言いながら、自分の腕を放させて顔を上げる。原の目に迷いはなかった。
「なんで……たかが犬一匹で」
くしゃり、と自分の髪を掴み、佐野が呟く。
「ご存知ないのかもしれませんが、動物の遺棄は犯罪です」
重い沈黙に、淡々とした久瀬の声が響いた。
「……は?」
「こちらで関係部署に引き継ぎますので、ご自身のしたことに、しっかり向き合ってください」
佐野の顔がさっと青ざめる。原は目を伏せ、佐野に背を向けた。
「……さよなら」

