異失物管理番号:⬛︎⬛︎-⬛︎⬛︎⬛︎

 宙の喉が、ひゅっと鳴る。中野は青ざめて「み、三井さん、怪我は!?」と尋ねた。
 念のため、首を指でなぞって確かめるが、どこも切れていない。
「大丈夫です」
「そうか、よかった……」
 中野と小脇がほっと肩の力を抜く。
「一度分駐所へ戻りたいのですが、彼はこちらで預かっても?」
「え」
 久瀬の言葉に弾かれたように顔を向ける。
「はい、もちろんです」
「よろしくお願いします」
「えっ、えっ?」
 久瀬と中野たちの顔を見比べながら、一人狼狽える。この場で何とかしてくれるんじゃないのか。久瀬は「行くぞ」と宙に声を掛け、さっさと歩き出した。
「ま、待ってください!」
 慌てて久瀬の後を追いかける。久瀬は繁華街の近くまで戻り、路肩に停めてあった黒色のセダンに乗り込んだ。宙が助手席に座ると、エンジンが掛かる。
 静まり返った車内に、エンジン音だけがやけに大きく響いた。居心地の悪さと妙な緊張感に、もぞもぞと座り直しながら、隣の久瀬を見る。
「えっと……分駐所って?」
「異管は警察内部でも、一部の人間しか存在を知らない。だから外に分駐所を置いて、そこを拠点に活動している」
「へー、なんか秘密組織っぽくてかっこいいですね。久瀬さんとこの分駐所は、どこにあるんですか?」
「神楽坂」
 久瀬がハンドルを回し、車が滑らかに動き出す。
「結構遠いですね〜。あ、曲とかかけます?」
 緊張を誤魔化すようにペラペラと喋りながら、スマートフォンを操作する。久瀬は赤信号に車を止めると、宙のスマートフォンを掴んで自分のポケットに入れた。
「ちょっ、何で取るんですか!」
「お前、自分の状況分かってるのか?」
「え……状況って? これから分駐所に行って、これ外すんですよね?」
「…………」
 首輪を指して尋ねると、久瀬は小さくため息をついて前に向き直った。信号が青に変わり、再び車が動き出す。
「えっ、何で黙るんですか? ちょっと、久瀬さん? ねえ!」
 何度も声をかけ、顔を覗き込むが、久瀬は宙を見ようともしない。そのまま、分駐所に着くまで、久瀬は黙ったままだった。





 久瀬が車を停めたのは、神楽坂の表通りから一本入った路地裏にあるビルの駐車場だった。三階建てのレトロな赤レンガのビルで、一階は駐車場になっている。
「ここ、本当に警察の分駐所なんですか?」
「表向きには、IT系ベンチャー企業のビルということになっている」
 きょろきょろと周囲を見回しながら、車を降りて久瀬の後を追う。外観は年季が入っていたが、中に入ると空気が変わった。リノベーションされているのか、設備はどれも新しい。エレベーターに乗り、二階で降りると、フロアのドアを開けて中に入った。
 木目調のフローリングに、アッシュグレーのデスクや棚が並んでいる。窓際には観葉植物が置かれ、まるで今どきのおしゃれな企業のオフィスのようだ。
「あの、本当の本当に警察の分駐所で合ってます?」
「うちのトップの趣味だ」
 ため息をついて、久瀬はスーツのジャケットを脱いだ。
 異管のトップ……どんな人だろうか。警察の偉い人と聞くと、真面目で怖そうなイメージだが、この分駐所の印象とは合わない。
「えー、浜松さん知らないんですか?」
「ううん……娘たちが見ていた気もするが」
 デスクの並んだ方から、ふと声が聞こえた。久瀬は声のした方へと歩いていく。
「男の子にも女の子にも、すっごく人気だったんですよ。月曜の朝はいつもこのアニメの話で盛り上がってて――」
「戻りました」
 久瀬が言って、ジャケットを雑にオフィスチェアに掛ける。向かいのデスクに座っていた、スーツ姿の男女がこちらに気づいて顔を上げた。女は二十代半ばくらいで、猫っぽい吊り目が印象的な黒髪の美人。男は五十歳前後だろうか、ガタイがよく、腕まくりしたシャツからは日焼けした肌が覗いている。
「あ、その子が首輪取れなくなった子ですか?」
「三井宙くんだったか」
 二人に向かって「お世話になります」とペコっと頭を下げる。
「ねぇ、三井くんは『おかえりワンワン』知ってるでしょ? 大学生なら、世代だもんね」
「え?」
 猫目美人がこちらへ駆け寄りながら、尋ねる。宙は視線を彷徨わせつつ、後頭部を掻いた。
「あー……あれですよね? 海外赴任してたワンワンさんが日本に帰ってきて、海外生活とのギャップに葛藤しながら成長するハートフルストーリー」
「何言ってるの? 全然違うよ。ほらこれ、『<おかえり>のある場所が、あなたのお家』ってやつ」
 スマートフォンを顔の前に突き出され、表示されたイラストを見る。犬耳らしきものが頭に生えた茶髪の少年が、赤い屋根の家を背景に、うさぎやネズミ耳の生えた人たちに囲まれているイラストだ。少年の首には黒い首輪が嵌っている。
「ほら、思い出した?」
 まるで、知っているのが当然のことのように尋ねられる。
 もしかすると、本当は知っているのかもしれない。けれど、その記憶を宙は『覚えていない』。
「……いやー俺、埼玉出身なんで時差あったかも」
「ないよ! というか、時差関係ないし」
 笑いながら言うと、猫目美人は口を尖らせる。
「秋田」
 ふいに、久瀬が話を遮るように低い声で言った。振り向くと、久瀬は猫目美人をじっと睨んでいる。
「あー……すみません。茶髪に黒い首輪って聞いたら、思い出しちゃって……浜松さんが」
「俺が!?」
 どうやら猫目美人は秋田、ガタイのいい日焼け男性は浜松というらしい。罪をなすりつけられた浜松は、『開いた口が塞がらない』を体現しながら、秋田を見ている。
 久瀬は腕を組んで、二人を見た。
「ひとまず、状況を報告しても?」