異失物管理番号:⬛︎⬛︎-⬛︎⬛︎⬛︎

「イカン?」
「何ですか、それ」
 宙と小脇が尋ねるが、中野は答えず、こちらに背を向けてスマートフォンを取り出した。
「……はい、そうです。イシツブツの可能性があります」
 小声で話す声が、微かに聞こえてくる。
 イシツブツとは、遺失物――落とし物のことだろうか。けれど、ただの落とし物を指すにしては、中野の声はやけに深刻だった。
「ちょうど近くに来てたらしい。迎えに行ってくるから、ちょっと待ってろ」
「はぁ……」
 中野が慌ただしく交番を出ていく。鍵開け職人ならぬ、首輪外し職人でもいるのだろうか。椅子に座って待っていると、しばらくして、中野はスーツ姿の男を一人連れて戻ってきた。二十代後半くらいだろうか。切れ長の目に、すっと通った鼻筋。俳優でもやっていそうな顔立ちなのに、表情がなさすぎて近寄りがたい。
「彼です。三井宙くん。落ちてた首輪を着けて外れなくなった子」
 中野が言うと、スーツの男は宙――正しくは宙の首輪に目を向けた。無言で歩み寄ってくる男に、宙は慌てて立ち上がる。身長は百八十センチ前後だろうか。宙とあまり変わらない。
「座ったままでいい。気分は?」
「え?」
「それを着けていて、具合が悪くなったりはしてないか?」
 椅子に座った宙の前に片膝をつき、男が尋ねる。
 何だ。ちょっとぶっきらぼうだけど、意外といい人そうだ。
「大丈夫です」
「そうか。何か異常を感じたら、すぐに言え」
 そう言って、男は振り返り「何か挟むもの……タオルかハンカチはありますか?」と尋ねた。小脇が「持ってきます」と小走りでカウンターの奥へ向かう。
「あの〜、お兄さん誰なんですか? 首輪外す専門の業者さん?」
「そんな業者いるわけないだろ。お前みたいな間抜けはそういない」
 ……前言撤回。感じ悪いな。
 むっと口を尖らせるが、言い返せる立場ではない。
 男は首輪と宙の首の間に、受け取ったタオルを挟んだ。
「いいか。少しでも首が絞まったら右手を挙げろ」
「は……はい」
 宙が頷くと、男は「触るぞ」と首輪のベルトに手を掛けた。ゆっくりとした動作でベルトを動かす。
「――ゔっ」
 ぐっ、と喉の締まる感覚がして手を挙げる。男はすぐにベルトから手を離した。
 一瞬のことで、タオルも間に挟まっていたから、苦しさはあまり感じなかった。けれど、妙な不快感が胸に残る。
「どうでしたか?」
 中野がおずおずと尋ねる。
「……間違いなさそうです」
「やっぱりですか! いやぁ、実は十年くらい前、練馬の交番にいたときに、届いた物がイシツブツだったことがあって――」
 男の言葉に、中野が少し興奮した様子で話し出す。男は聞いているのかいないのか、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出し、「すみません、本部に報告しても?」と尋ねた。
「ああ、はい。もちろんです」
 男はスマートフォンを耳に当て、こちらに背を向けた。
「あのー、イシツブツって何なんですか? これ、外せないんですか……?」
「いやいや、大丈夫だ」
 心配になって尋ねると、中野が安心させるように宙の肩を叩いた。ちらりと電話中の男を見て、「ちょっと待ってろ」と奥のデスクからハサミを持ってくる。
「き……切るんですか?」
「ああ。前に見たときも、異管の人が壊して処理してたんだ。こういうのは、普通の落とし物とは違うからな」
 蛍光灯の光が反射して、ハサミの刃が鈍く光る。近づく刃を見て、背筋に悪寒が走った。
「大丈夫、首が締まる前に切ってやるから」
 思わず身を引こうとした宙を、中野が制する。首に巻かれていたタオルを抜かれ、冷たい刃の背が首に当たった。
「――やめろ! 切るな!」
 電話をしていた男が、こちらに気づいて叫ぶ。だが、それよりもハサミの刃が首輪を挟むのが早かった。
 その瞬間、全身に鳥肌が立ち、首輪がきつく締まる。耐えがたいほどの不安と恐怖、そして――首輪を壊されることへの拒絶感。
 宙は中野を突き飛ばし、椅子から転げ落ちた。
「かはっ……はっ、はぁ」
 首輪を掴み、必死で息をする。心臓が早鐘を打ち、視界が涙で滲む。
「す、すまん。大丈夫か」
 中野が宙に近づこうとする。
「く、るな……っ!」
 宙は叫び、ふらつきながら立ち上がった。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 訳も分からないまま、ただ拒絶感だけが胸に湧き上がってくる。
「おい、いったん落ち着い――」
「来るな!」
 とっさに腕を振ると、カウンターに置いてあったペン立てが倒れ、床にペンが散らばる。中野たちが怯んだ隙に、交番の外へ駆け出した。
「ちょっと、三井さん!」
「おい!」
 背後から叫ぶ声が聞こえたが、足は止まらなかった。人混みを掻き分け、薄暗い脇道へ入る。喧騒が遠ざかり、静かな通りにコンクリートを蹴る足音が響いた。息が苦しい。焦りで足がもつれる。
 しばらく走り、脇道を抜けると急に目の前が開けた。人気のない川沿いの遊歩道。暗い水面に夜の街の灯りが反射して、時折きらきらと輝いている。
 その光を見つめているうちに、波立っていた気持ちが凪いでいく。確かめるように首輪を指でなぞり、深く息をついた。
「――見つけた」
「うわーっ!?」
 ふいに背後から聞こえた声に、飛び上がる。振り返ると、交番で会ったあの男がいた。スーツの袖を捲り、肩で息をしている。
「……っ」
「おい――待て!」
 また走り出そうとした宙を、男が制止する。その瞬間、金縛りにあったように身体の動きが止まった。
「な、なんで……」
 宙は困惑して自分の身体を見下ろした。男は小さく息をつき、宙に近づいてくる。
「よく躾られてたんだな」
「俺のこと犬だと思ってる!?」
「お前じゃなく、その首輪の持ち主だ」
 男は淡々と答え、宙の前で足を止めた。じっと観察するようにこちらを見つめ、
「よし」
 短く言った。その瞬間、身体の硬直が解けた。深く息をつき、その場にへたり込む。
「な……何なんだ」
「それは、ただの首輪じゃない。『異失物』だ」
「遺失物って、落とし物の……?」
 男を見上げて尋ねる。男は小さく首を横に振る。
「違う。特異遺失物――通称、異失物」
「何ですか、それ。聞いたことないですけど」
 宙は眉間に皺を寄せた。
「無用な混乱を避けるため、表向きには存在を明かされていないからな」
 男は宙に向かって手を伸ばした。その手を取って、ゆっくりと立ち上がる。
「物には使っている者の感情が残る。それが執着であれ、愛情であれ……憎しみであれ、感情が強いほど痕跡は深く残る」
 宙の首輪を見つめて、男は続ける。
「そして、蓄積した思念は、ある条件下で怪異へと変わる。それが異失物だ」
「か……怪異?」
 呟く声が掠れる。宙は乾いた笑いを溢した。
「い……いやいや、ホラー映画じゃあるまいし」
「なら、その首輪。どう説明する?」
 尋ねられ、言葉に詰まる。そのとき、こちらへ走ってくる足音が聞こえた。
「三井さん!」
「よかった、見つかったんですね」
 小脇と中野だ。中野は安堵した様子で表情を緩め、こちらに近づいてくる。
「大丈夫か。さっきは悪かっ――」
「彼に近づかないでください」
 鋭い声だった。中野は小さく息をのんで足を止める。
「命令形で話しかけるのも厳禁です」
 男が言って、宙を庇うように前に立つ。小脇は顔を強張らせ、腰の警棒に手をやった。
「あの、失礼ですがあなたは?」
 中野が慌てたように「おい、小脇」と腕を叩く。男は手を上げて中野を止めた。
「構いません。……こちらも、名乗らず失礼しました」
 そう言うと、スーツの内ポケットから黒いレザーの手帳を取り出す。
「警察庁刑事局特異遺失物管理課の久瀬隼人です」
 驚いて男――久瀬の顔を見る。業者じゃなくて、警察官だったのか。
 小脇は困惑したように振り向いて中野を見た。
「特異遺失物管理課なんて、聞いたことないですけど……」
「秘匿部署だからな」
 中野が答える。久瀬は警察手帳をポケットに戻し、中野に向き直った。
「異失物を無闇に破壊するのは危険です。今後は異管に任せてください」
「で、でも、練馬のときは壊してましたよ」
 戸惑ったように中野が言う。
「確かに、異管が異失物と認定したものは、危険物として破壊処理が認められます。ですが、実際に破壊するのは、調査を終えて必要だと判断された場合のみです」
 久瀬は振り返り、宙の首輪へ目を向ける。
「過去に今回のような拘束型の異失物を切ろうとした事例があります。……そのとき切れたのは異失物ではなく、装着者のほうでした」