四畳半の狭いワンルームに、スマートフォンの軽快なアラームが鳴り響く。宙は薄目を開けてスマホを掴み、アラームを切った。
「んー……」
横になったまま、うんと伸びをする。勢いよく身体を起こすと、ベッドから降りてカーテンを開けた。早朝の柔らかな光を浴び、大きく息を吸う。
今日は特異遺失物管理課――異管のインターン初日だ。昨夜は早めにベッドに入ったが、そわそわしてあまり眠れなかった。
付けっぱなしにしていた部屋の電気を消し、食パンをトースターに入れてコップに牛乳を注ぐ。牛乳を飲みながらテレビをつけると、朝の情報番組はエンタメ情報のコーナーに入ったところだった。
「なんと、あの大人気アニメ『おかえりワンワン』のリメイクが発表されました!」
弾んだ声でアナウンサーが話すと同時に、特報映像が流れ出す。首輪を着けた犬耳の少年が泣いたり笑ったり、崖から落ちそうになったりする様子が次々と映し出される。そのどれも、宙には見覚えがなかった。
スタジオにいる宙と同い年の人気アイドルは「俺の世代で知らない人はいないですよ!」と興奮気味に話す。
チン、とトースターの鳴る音がした。宙は焼けた食パンを出して齧りながら、スマホを手に取った。未読のチャット通知が何件か並んでいる。画面をスクロールして――ふと、三日前に届いた母からのチャットに指が止まる。
『夏休みはいつ帰ってくるの?』
表示されたメッセージの一部を読み、既読をつけようか迷った末、チャットアプリを閉じた。しばらくスマホを握りしめたまま、暗くなった液晶画面を見つめる。それからふと、顔を上げて備え付けのデスクへ目を向けた。
デスクの上に置かれた卓上時計を見て、宙はとっさに食パンを落としかけた。
「――は!? 時間やば!」
余裕のある時間に起きたはずなのに。いつの間にそんなに時間がたっていたんだ。
慌てて食パンを口に詰め込み、牛乳で流し込む。クローゼットから適当に黒のデニムとTシャツを選んで着ると、ショルダーバッグを掴み、キャップを被って寮の部屋を飛び出した。
神楽坂にある分駐所までは、寮を出てから一時間かかる。途中、人身事故の遅延に巻き込まれそうになったが、電車を乗り換えて迂回し、なんとか指定された時間の五分前に分駐所に着いた。インターホンを鳴らして名乗ると、職員が迎えに来て三階の会議室へ案内される。
「失礼しまーす……」
ドアをノックして入ると、ノートパソコンを開いてキーボードを叩いていた篠原が手を止める。
「三井くん、一週間ぶりだね。元気にしてた?」
「はい」
篠原は机を挟んだ向かいの席に座るよう、宙を促す。宙は会釈して席に着いた。
「メールにも書いたけど、インターンを始める前にちょっとだけ面接させてもらうね」
「はい、よろしくお願いします」
笑顔で答えた宙に、篠原は困ったような笑みを浮かべて首を傾げた。
「こっちから勧誘したのに、ごめんね? 一応、特殊な部署だし上が色々うるさくて」
「いえ、大丈夫です。俺、面接得意なんで!」
「あはは! それは楽しみだな」
おかしそうに笑って、篠原は「じゃあ、まずは自己紹介からお願いしようかな」と宙を見た。
「東武学院大学法文学部法経学科三年生の三井宙です。ゼミでは民法を専攻してます。大学入学してからずっと、中華料理屋でアルバイトをしてたけど、店長のおじいちゃんが最近腰やってお店休んでるので、アルバイト探し中でした。よろしくお願いします!」
「中華料理、いいね。ホール担当?」
「ホールと厨房どっちもやってました。チャーハン作るのが一番得意です!」
そのあとは長所と短所、大学で学んでいること、趣味や特技といった、面接でよく聞かれるような質問が続いた。空気も和やかで、気楽に答えていた宙だったが、ひと通り質問を終えると、篠原の表情が少し真剣なものになった。
「きみは異失物の記憶を見たよね?」
「はい……たぶん」
「そういった異失物への感応性を見せる人は、確認されている範囲では皆、過去に異失物に深く干渉された経験を持つんだ」
異失物に干渉。そんな記憶はない――そう言おうとして、はっと息をのんだ。
「……何か心当たりがあるみたいだね」
こちらを見る篠原の瞳は、すべてを見透かしているかのようだ。追及されるかと思ったが、篠原はそれ以上は踏み込まず、机の上で両手を組んだ。
「今の話を踏まえて、きみは『異失物』をどう思ってる?」
「……まだ、よく分かりません」
視線を落とし、ポツリと呟くように答える。
「ただ……異失物は悪い影響もあるかもしれないけど、あの『首輪』は壊さなくてよかったって思ってます」
持ち主に返すことはできなかったけれど、あの首輪はコタロウと原にとって、大切な想いの詰まったものだから。
今自分の中にある、素直な気持ちを伝えると、篠原はにっこりと笑った。
「うん。合格」
「えっ、今のでですか?」
「今のでだよ。分からないことを、分かったふりしない。けっこう大事だからね」
篠原はパソコンを閉じて、隣の椅子に置いていた鞄から書類の入ったファイルを取り出す。
「あの……俺からも、質問いいですか?」
「どうぞ。何かな?」
「もし、異失物の記憶を見たのが俺の力だったとして……他に、似たような力を持ってる人はいるんですか?」
純粋な好奇心から尋ねると、篠原は微笑んで頷いた。
「いるよ。僕も、その一人だ」
「篠原さんも?」
驚いて聞き返した宙に、篠原はファイルを置いてもう一度頷く。
「僕たちはそういう力を持った人間を、感応者と呼んでいる」
ペンを取り、ファイルに挟まっていた紙を一枚取り出して『感応者』と書いた。
「僕の場合は、異失物に残った感情の強さが分かるんだ。怒り、恐怖、執着、愛情。どの感情がどれくらい強く残っているか。だから本部での最終的な危険度判定に関わることが多い」
「あっ! もしかして、あのときコタロウの首輪に触ってたのって、感情の強さを調べてたんですか?」
袋から出して、少し手に持っただけで首輪を戻していた。たったあれだけで、どうして異失物が記憶を見せたんじゃないと分かったのか不思議だったが……。
「そう。もし首輪そのものに、装着者へ過去を追体験させるほどの干渉力があるなら、蓄積された感情も、それに見合うだけ強いものになっているはずなんだ。……でも、あの首輪から感じたのはⅢ級相当の強さだった」
だから、宙が感応者だと考えたのか。だが、宙自身はまだ、自分がそんな特別な力を持っているとは信じがたい。
「感応者って、けっこう多いんですか?」
「いや、いま警察組織の中にいるのは、僕と京都にもう一人だけだよ」
篠原は答えて、じっと宙を見つめる。
「それもあって、僕はきみにとても興味がある」
「……それ『も』?」
含みのある言い方に、首を傾げる。篠原はにこりと笑い、ファイルから書類の束を取り出した。
「ひとまず、夏休みの間よろしくね。たくさんあって悪いけど、とりあえずこれに目を通してサインしてもらっていいかな」
「はっ、はい!」
ペンと一緒に書類の束を渡される。守秘義務や勤務形態について説明を受け、秘匿部署らしい書類の多さに内心悲鳴を上げながらサインを済ませると、宙は篠原とともに二階のオフィスへ向かった。
「んー……」
横になったまま、うんと伸びをする。勢いよく身体を起こすと、ベッドから降りてカーテンを開けた。早朝の柔らかな光を浴び、大きく息を吸う。
今日は特異遺失物管理課――異管のインターン初日だ。昨夜は早めにベッドに入ったが、そわそわしてあまり眠れなかった。
付けっぱなしにしていた部屋の電気を消し、食パンをトースターに入れてコップに牛乳を注ぐ。牛乳を飲みながらテレビをつけると、朝の情報番組はエンタメ情報のコーナーに入ったところだった。
「なんと、あの大人気アニメ『おかえりワンワン』のリメイクが発表されました!」
弾んだ声でアナウンサーが話すと同時に、特報映像が流れ出す。首輪を着けた犬耳の少年が泣いたり笑ったり、崖から落ちそうになったりする様子が次々と映し出される。そのどれも、宙には見覚えがなかった。
スタジオにいる宙と同い年の人気アイドルは「俺の世代で知らない人はいないですよ!」と興奮気味に話す。
チン、とトースターの鳴る音がした。宙は焼けた食パンを出して齧りながら、スマホを手に取った。未読のチャット通知が何件か並んでいる。画面をスクロールして――ふと、三日前に届いた母からのチャットに指が止まる。
『夏休みはいつ帰ってくるの?』
表示されたメッセージの一部を読み、既読をつけようか迷った末、チャットアプリを閉じた。しばらくスマホを握りしめたまま、暗くなった液晶画面を見つめる。それからふと、顔を上げて備え付けのデスクへ目を向けた。
デスクの上に置かれた卓上時計を見て、宙はとっさに食パンを落としかけた。
「――は!? 時間やば!」
余裕のある時間に起きたはずなのに。いつの間にそんなに時間がたっていたんだ。
慌てて食パンを口に詰め込み、牛乳で流し込む。クローゼットから適当に黒のデニムとTシャツを選んで着ると、ショルダーバッグを掴み、キャップを被って寮の部屋を飛び出した。
神楽坂にある分駐所までは、寮を出てから一時間かかる。途中、人身事故の遅延に巻き込まれそうになったが、電車を乗り換えて迂回し、なんとか指定された時間の五分前に分駐所に着いた。インターホンを鳴らして名乗ると、職員が迎えに来て三階の会議室へ案内される。
「失礼しまーす……」
ドアをノックして入ると、ノートパソコンを開いてキーボードを叩いていた篠原が手を止める。
「三井くん、一週間ぶりだね。元気にしてた?」
「はい」
篠原は机を挟んだ向かいの席に座るよう、宙を促す。宙は会釈して席に着いた。
「メールにも書いたけど、インターンを始める前にちょっとだけ面接させてもらうね」
「はい、よろしくお願いします」
笑顔で答えた宙に、篠原は困ったような笑みを浮かべて首を傾げた。
「こっちから勧誘したのに、ごめんね? 一応、特殊な部署だし上が色々うるさくて」
「いえ、大丈夫です。俺、面接得意なんで!」
「あはは! それは楽しみだな」
おかしそうに笑って、篠原は「じゃあ、まずは自己紹介からお願いしようかな」と宙を見た。
「東武学院大学法文学部法経学科三年生の三井宙です。ゼミでは民法を専攻してます。大学入学してからずっと、中華料理屋でアルバイトをしてたけど、店長のおじいちゃんが最近腰やってお店休んでるので、アルバイト探し中でした。よろしくお願いします!」
「中華料理、いいね。ホール担当?」
「ホールと厨房どっちもやってました。チャーハン作るのが一番得意です!」
そのあとは長所と短所、大学で学んでいること、趣味や特技といった、面接でよく聞かれるような質問が続いた。空気も和やかで、気楽に答えていた宙だったが、ひと通り質問を終えると、篠原の表情が少し真剣なものになった。
「きみは異失物の記憶を見たよね?」
「はい……たぶん」
「そういった異失物への感応性を見せる人は、確認されている範囲では皆、過去に異失物に深く干渉された経験を持つんだ」
異失物に干渉。そんな記憶はない――そう言おうとして、はっと息をのんだ。
「……何か心当たりがあるみたいだね」
こちらを見る篠原の瞳は、すべてを見透かしているかのようだ。追及されるかと思ったが、篠原はそれ以上は踏み込まず、机の上で両手を組んだ。
「今の話を踏まえて、きみは『異失物』をどう思ってる?」
「……まだ、よく分かりません」
視線を落とし、ポツリと呟くように答える。
「ただ……異失物は悪い影響もあるかもしれないけど、あの『首輪』は壊さなくてよかったって思ってます」
持ち主に返すことはできなかったけれど、あの首輪はコタロウと原にとって、大切な想いの詰まったものだから。
今自分の中にある、素直な気持ちを伝えると、篠原はにっこりと笑った。
「うん。合格」
「えっ、今のでですか?」
「今のでだよ。分からないことを、分かったふりしない。けっこう大事だからね」
篠原はパソコンを閉じて、隣の椅子に置いていた鞄から書類の入ったファイルを取り出す。
「あの……俺からも、質問いいですか?」
「どうぞ。何かな?」
「もし、異失物の記憶を見たのが俺の力だったとして……他に、似たような力を持ってる人はいるんですか?」
純粋な好奇心から尋ねると、篠原は微笑んで頷いた。
「いるよ。僕も、その一人だ」
「篠原さんも?」
驚いて聞き返した宙に、篠原はファイルを置いてもう一度頷く。
「僕たちはそういう力を持った人間を、感応者と呼んでいる」
ペンを取り、ファイルに挟まっていた紙を一枚取り出して『感応者』と書いた。
「僕の場合は、異失物に残った感情の強さが分かるんだ。怒り、恐怖、執着、愛情。どの感情がどれくらい強く残っているか。だから本部での最終的な危険度判定に関わることが多い」
「あっ! もしかして、あのときコタロウの首輪に触ってたのって、感情の強さを調べてたんですか?」
袋から出して、少し手に持っただけで首輪を戻していた。たったあれだけで、どうして異失物が記憶を見せたんじゃないと分かったのか不思議だったが……。
「そう。もし首輪そのものに、装着者へ過去を追体験させるほどの干渉力があるなら、蓄積された感情も、それに見合うだけ強いものになっているはずなんだ。……でも、あの首輪から感じたのはⅢ級相当の強さだった」
だから、宙が感応者だと考えたのか。だが、宙自身はまだ、自分がそんな特別な力を持っているとは信じがたい。
「感応者って、けっこう多いんですか?」
「いや、いま警察組織の中にいるのは、僕と京都にもう一人だけだよ」
篠原は答えて、じっと宙を見つめる。
「それもあって、僕はきみにとても興味がある」
「……それ『も』?」
含みのある言い方に、首を傾げる。篠原はにこりと笑い、ファイルから書類の束を取り出した。
「ひとまず、夏休みの間よろしくね。たくさんあって悪いけど、とりあえずこれに目を通してサインしてもらっていいかな」
「はっ、はい!」
ペンと一緒に書類の束を渡される。守秘義務や勤務形態について説明を受け、秘匿部署らしい書類の多さに内心悲鳴を上げながらサインを済ませると、宙は篠原とともに二階のオフィスへ向かった。

