狐に嫁入り 溺愛浪漫譚〜冷たい結婚のちに甘々溺愛

次に案内されたのは甘味処《フルーツパーラー》だった。

二人で個室のような席に座っている。
木の質感と赤を基調とした店内には彩色硝子《ステンドグラス》の窓があしらわれ、電笠《ランプシェード》の薄明かりが心を落ち着かせ、まるで時が止まったような空間となっている。

それなのに落ち着かない。
わたしの心臓は早鐘を打ったまま止まる気配すらない。
その原因はもちろん。

「あ、あの……なぜ隣にお座りになっているのでしょう?」
「ん? 水菓子を楽しむためだが? 日向。早く口に入れろ」
「は、はい」

柔らかい布張りの腰掛け(ソファ)に座るわたしなのだけれど。
斜め後ろからわたしに覆い被さるように怜弥様が腰掛けている。

密着しすぎていて落ち着かない。
落ち着くわけがない。
まったく心が落ち着かないんです!

「まだか?」
「た、ただいま」

口に運べと怜弥様が催促してくる。

西洋から輸入され帝都の農家によってこの地の気候に合うように品種改良された果実。
冷やして半身にした果肉がくり抜かれ、お皿のようになった皮の中に、丸くくり抜かれた甜瓜《アールスメロン》や彩り豊かな果物がぎっしりと詰まっている。

銀の匙(スプーン)を差し込んで甜瓜《アールスメロン》を怜弥様のお口に放り込む。
咀嚼するその口がわたしの首筋に当てがわれて、ごくりと飲み込む振動が肌に伝わる。

「甘いな。日向は甘い」

ひう。

何をおっしゃるのです。
首に……首にひんやりとした感触が……。
それは紛れもなく怜弥様の唇で……。

「口を開けろ」
「ひゃい!」

銀の匙(スプーン)を奪われてわたしの口を開けと言う。
それはたった今、怜弥様の唇に触れたもので……。
こんなことをしても良いのでしょうか?

何も考えられず口を開く。
はくりと頬張る。
砂糖で甘くなっているぶどう酒に浸された桃が甘々しく瑞々しい。
これが大人の味というものでしょうか?

「日向。俺はお前に出会えて幸せだ」

ひう。

ぎゅっと抱きすくめられた。
心臓がぎゅううううっとなります。
もう、もう。耐えられません。
これは話題を変えなくては。

「れ、怜弥様。今後はどうなさるのでしょうか。わたしとしては葵のことが気がかりで……」

「そうだな。高輪と久世の協力関係があるとは言え、日向の妹になぜ固執するかも調べないといかんが。おそらくは清浄の炎の異能に関与しているのだろう。異能を取り込みたいのか、それとも何かを灼きたいのか。あるいは両方か」

話題を変えることに成功はしたけれど。
姿勢がまったく変わっていません。
むう。

「取り込むと言うと?」
「文字通り喰らうこともあるやも知れぬ。鬼ならばな」

鬼は人を喰うこともある。
「腹を満たすだけでなく異能の力を取り込むこともある」と説明された。
だとしたら妹を早く取り返さないと……。

「そうと決まったわけではないし、奴は人の身だ。異能を取り込むとしても相応の儀式が必要。短期間で容易くできることではない。それよりも日向。あの女給《ホールスタッフ》を見ろ」
「はい」

三つ編みにリボン。和装にひだ飾り(フリル)のある白い西洋前掛け(エプロン)姿の女子に目をやると、その頭に黒いもやのようなものが憑いていた。
その形はまるで鼠のようで。
鬼は時に獣の形をしていることもあるとか。

「穢れですね。まだ小さな厄のようでございます」
「視ることにだいぶ慣れたな。あれを祓ってやるといい。試しに丁度良いだろう」

わたしを抱きすくめたままに指示をする怜弥様。
お屋敷に籠っている間に色々と怜弥様から教わっていたことで見識が増えていた。

「わ、分かりました」

わたしの瞳は黒々しく大きく丸く輝いているはず。
だけれどもその異形は他のものには見えてないもの。
異能の現象を隠すべっ甲の丸眼鏡をかけているから。今日は屋敷を出てからずっと眼鏡をかけている。こうすれば巻木綿(包帯)で瞳を隠さなくて済むと怜弥様がご用意してくださったのだ。

女給《ホールスタッフ》を瞳に捉えて……唇を軽く開く。

「にゃー」

猫の鳴き声をあげた。
人の耳にはまったくの猫の声に聞こえると怜弥様もギンコさんも言う。
そうそう。
ギンコさんも銀色の毛皮が美しいお狐様でした。

「?」

女給《ホールスタッフ》が頭に手をやってきょろきょろと不思議そうにしている。
なんだかとってもお顔が晴れやかになっているご様子。
その穏やかな表情を見てほっとひと息をつく。

あれから更に怜弥様が文献をお調べになられて知ることになった異能の力。
ある国では猫は神聖な存在とされているそう。

「見事に祓えたな。黒の瞳よりも強力で効果が早い。さぞや頭が軽かろう。放っておけば病になったか気でも狂ったか。日向の異能<招福>に加えて、<笑福>という稀有なものが備わっているとは驚いた」

「笑うと書いて福を招くことかと思いますが、まさか鳴き声で厄を祓うことができるなど思いもしませんでした」

「まったくだ。福を招く方の日向の異能<招福>と、高輪からもらった嫁入りの支度金のおかげで事業も投資も順調だ。上月の懐《ふところ》事情も政《まつりごと》も上向いてきている。これならばそう遠くないうちに再興できるやもな。油揚げも遠慮なく買えるな」

そうだったのですね。それで最近は色々とお買い物になられることも多かったということ。納得です。

「献立に増やしたいと思います。ですがそれは一重に怜弥様のお力によるものです」
「ふ。日向。俺だけの招き猫のおかげだよ。それにしても猫撫で声が可愛いものだな」

ひう。

抱きすくめられたまま、わたしの頭に手を回して怜弥様のたくましい胸に引き寄せられてしまった。

まさかわたしが招き猫だなんて思いもしませんでした。
ですが、猫撫で声などしてません。
断じてしてません。

「お、お願いします。このままでは心臓が破裂してしまいます」
「そうか? では破裂するまで続けよう」

悪戯っぽい笑顔にまたも鼓動が跳ねる。
ぎゅっと目を瞑る寸前に見えたお顔の呪い紋が痛ましい。

唇に感じる艶やかで甘やかな感触に胸がときめいた。
初めての口づけ。
確かに重なる想いがわたしを甘く蕩《とろ》かしていく。

半個室で人の視線がないとはいえ、狐の耳と尾を隠すことなく揺らしています。
もふっとした尻尾がわたしの腰に回されてさらに揺れている。
このままでは……貯古齢糖《ちょこれいと》のように甘く甘く溶かされてしまいます。
思わず……猫撫で声をあげてしまいそうになるわたしがいます。

怜弥様の瞳が優しく穏やかに、それでいて悪戯っぽく、わたしの瞳と混じり合う。

わたしの素敵な旦那様。

怜弥様に抱きしめられて、彩色硝子《ステンドグラス》から降り注ぐ陽の光にわたしの瞳が七色に輝くような思いでした。

怜弥様に科せられた鬼の呪いを祓い、お屋敷でゆっくりと過ごせる日が訪れますように。
そして、いつか。
妹と和解し、笑顔で向かい会えたらと願わずにはいられません。

わたしの名は日向、妹の名は葵。
きっと両親から願いを込められて名付けられた双子の名前。

お日様に照らされて笑顔のように見上げる向日葵のように。
強く生きていきたい。





〜〜〜 第一章 完 〜〜〜