「耐えがたかったそうだ。無能の異形と言われた姉の手で自らが成長するという事実がな」
「そんなことないわ! わたしの異能はわたしのものよ! お姉様のせいじゃない! あんな、あんなに! 高輪の家があんなにも早く急成長をすることにお父様もお母様も疑問を持ちもしないで自身の手柄と喜ぶばかり! それが無能のお姉様の異能によるものなんて露とも疑わずに! それなのにわたしばかりがもて囃されて! 悔しかったのよ! どれだけわたしが惨めな思いをしてきたと思って!」
泣き叫んでひれ伏す妹が哀れなほどに縮こまっていた。
「葵様……」
まさか妹がわたしに対してそんなことを思っていたなんて。
少しでもその思いをわたしに伝えてくれていたなら……もっとお互いに笑い合えていたはず。幼い頃は確かに二人で笑い会えた時があったのだから。何も知らなかった幼い頃は。
でも、未来へ繋がるはずの妹の必死に努力する思いをわたしが奪っていたのではとも思う。
わたしが……無感情となってただただ日々を生きるためだけに過ごしていたから。妹の思いに気づいてあげられなかったわたしはなんて愚かな姉なんでしょう。
「というわけだ。私のためにもその『招福』は返してもらいたいのだよ」
「なんと言おうとも高輪が日向にしてきたことは許されん。日向は俺の手で守る」
わたしを後ろに遠ざけて怜弥様が今にも斬りかかろうと刀を上段に構えている。
怜弥様のお顔に刻まれた呪い紋は発動していない。
わたしの異能の力が間違いなくお役に立っている。
「血の気が多いことだ。力づくとは望まぬところ。他の方法でその娘をもらうとしよう」
「なんだと? ならば、今ここで貴様を斬って捨ててやろう」
怜弥様のお身体から何か白い光のようなものが微かに光っている。そのお声は自身に満ちているようだった。
「ふ。大した気迫と神霊力だ。だが良いのか? 連れの男は心配ではないのかな?」
「なんだと? 凌恂をどうした?」
「気になるならば外へ行けばいい」
「……例え凌恂に何があろうと貴様を捨てはおけぬ」
和光様から決して視線を外さない怜弥様の首筋に汗が伝っていた。
「ならば戦うか? だが、私は戦わんよ。話の間に印は結び終えた。葵ともどもお暇しようではないか」
「なに?」
ばさりと二重回しが男の両腕によって開かれる。
黒い手袋同様に二重回しの内側にも不可思議な紋様と難解な文字が刻まれていた。
そしてその両手の指が合わさって次々に特殊な形が結ばれていく。
「開けよ、隔てる門よ」
和光様の発する言葉の後。
隣の空間に黒い小さな穴がぽっかりと開いた。水面が揺蕩うように波打つ黒い穴。瞬きをする間に人の大きさほどの楕円になっていく。そして素早く妹を抱き上げる和光様。
「きゃあ!」
「葵様!」
悲鳴をあげる妹を抱えて今まさに飛び込まんと琺瑯《エナメル》の靴を駆っていた。
「逃がさん! 黒焔の薔薇よ!」
白い尾の先端の黒い毛から黒い焔が燃え上がる。
そこから黒く燃えるような蔓薔薇が伸びて妹を抱える和光様を縛り上げようとするけれど、するりと黒い軌跡を二重回しが描いて、黒い水面へと二人が飛び込んでいた。
ちゃぷんと音を立てて。
「待て! ……と言っても遅いか。空間転移ができるとはな」
黒い水面がぱしゃりと飛沫をあげて床に落ちると霞のように消えていく。
「怜弥様、一体何が……」
妹の告白に驚きもしたけれど、怜弥様と和光様のやりとりも気になった。一体何がどうなっているのでしょう。
「久世和光は帝と帝都に仇なす奸賊だ。古術に長けていながら忌まわしき鬼に魅入られた男。帝国軍を始め帝都は今、あの男の手に落ちようとしていると言っても過言ではない。このまま捨ておけば帝に反旗を翻す軍事革命が起こるだろう。その先に待っているのは世界大戦だ。止めなくてはいけない」
白い炎の刀が揺らいで蜃気楼のように消えていく。
わたしを見つめる怜弥様の瞳に決意の色が現れていた。
わたしにできること。
ほんの少しでもお役に立てるのであれば力になりたい。
怜弥様の隣に立って。
わたしの心に新しい想いが芽生えていた。
「凌恂様はご無事でしょうか?」
和光様に連れ去られた妹のことが心配ではあるけれど、黒い水面のようなものも消えて追いかけようもない。
今すべきことは身近な人の安否を確かめることと思う。
「忘れていた。まあ死んでも死なんような存在だからな。ヴァンパイアは」
先ほどまでは心配の色が浮かんでいたのに憎まれ口をおっしゃってる。
怜弥様はたまにお人が悪い時があります。
怜弥様の古い親友である凌恂様は危険を冒してまでわたしたちにご協力いただけましたのに。
「そんな顔をして。心配か?」
少し、不満が顔に出ていたようです。
「はい。先祖返りとおっしゃってましたが吸血鬼は本当に不死身なのでしょうか?」
「いや……ヴァンパイアでも真祖ではないから不死身ではないし弱点もある。老化は遅いと思うが、急ごう」
つまり死んでしまうこともあるということですね。
やはり凌恂様が心配なご様子で急ぎ足になった怜弥様に手を引かれ階段を降りていきます。
階段には気を失った警備の兵が倒れ、通路には暗示にかかったままの軍人が虚な眼で中空を眺めています。怜弥様の当て身と凌恂様の魔眼の犠牲になった者たちを尻目に帝国軍病院の玄関に向かう。
そして瞳に映る光景は凄惨なものだった。
血に塗れた何人もの軍人が横たわっている。そして玄関の大扉には……
「凌恂!」
「凌恂様!」
瞼は閉じられることなく、開いた瞳孔に生気はなく、吸血鬼の牙が覗く口から吐血し、白い軍服は赤い鮮血で濡れ、軍刀が手からこぼれ落ち床に転がっている。開いた大扉に腰を下ろすように背がもたれていた。
周囲には何人もの倒れた軍人。それぞれ小銃と短銃が手にされ、床には銀色の弾丸が転がっていた。
銀は致命になりうると怜弥様から聞いていた。
死、という一文字しか脳裏に浮かばないほどの光景に体が震えてしまう。
「凌恂様! 怜弥様! 凌恂様が!」
「心臓が止まっている……凌恂……すまん」
心音を確認する怜弥様のお顔は絶望に満ちたものだった。
瞼に手をかけて生気のない瞳を隠すと凌恂様を抱きしめて怜弥様が涙を流している。
「わたしが妹に会いたいなど我儘を言わなければこんなことには……」
涙が頬を伝う。
わたしの涙は枯れていなかった。凌恂様の死を前にして悲しい思いが胸を締めつける。凌恂様の白く青ざめたお顔から目が離せず、その手を胸に抱きしめていた。
「わたしのために……申し訳ございません……」
「それなら謝罪の代わりに僕とデエトしてくれるかい?」
「え?」
凌恂様の手がわたしの両手を強く握り返していたことに理解が追いつかない。
「ふざけるな。日向は俺のものだ」
「うわ!」
怜弥様が抱えていた凌恂様をどんと弾き飛ばすと、ぐいとわたしの肩が抱き寄せられた。凌恂様の前でそのようなことをされては……。
ですがどういうことでしょう?
「ひどいなあ怜弥。蘇った僕になんてことをするんだい?」
「ふん。死んだと思ったが生きてたか。さすがにヴァンパイアだけあってしぶとい」
安堵の表情を浮かべているのに憎まれ口を叩いていらっしゃる。そんな表情がとても可愛らしい。
「いや。僕も死んだと思ってたよ。もしかしたら、いや、間違いなく日向さんの異能<招福>のおかげだね」
「確かに赤く輝いているな。赤は健康長寿。定義はわからんが吸血鬼にも効果があるようだ」
「銀の弾丸で突き抜けた穴が治っていってるよ」
目の前で凌恂様の傷がどんどん治ってる。
異常に早く回復されることに驚いてしまいます。わたしの異能が役に立ったのであれば。本当に良かった。
「というわけで日向さんにデエトを申し込んで……何も白炎刀で斬りつけることはないだろう?」
怜弥様が凌恂様のおでこを斬ろうとしましたが、白炎刀を白刃どりされてます。
そこまでされなくても……。
「まったく。女と見れば人の妻にまで口説き始めるのか。そんなことだから皇《すめらぎ》から見放されるんだ」
「え? 皇……様? それは帝様の……」
妻という単語に心臓の音が一段と高くなりつつ、皇という単語にも驚いてしまった。
皇といえば、この国の長たる帝直系の名字。ということは凌恂様は……
「日向さん。何も気にしないでくれていいよ。怜弥の言った通り一族からは放蕩者として扱われているからね。だからこそ、こうして怜弥と行動を共にしていられる訳だし」
帝の血筋が先祖返りの吸血鬼……という事は帝様はもしや……。
「あんまり詮索はしない方がいいからね」
「凌恂のいう通りだ。さあ我が家に帰ろう」
お二人が立ち上がり、わたしに手を差し伸べている。
けれども放っておけないことがあります。
「いえ。少しだけお時間をくださいませ」
「なんだ?」
怜弥様の問いには答えずに、倒れる軍人たちを一人一人瞳に捉えていく。死んでさえなければきっと。
「ふ。日向は優しいな」
一通り終わったところで、不意に怜弥様に後ろから優しく抱きすくめられる。わたしの首筋に怜弥様のお顔が……近くて。
心臓の鼓動がとびきり跳ねて体が固まってしまう。
くう。
心臓に悪いのでやめてほしいです。
呆れ顔をする凌恂様がすぐ隣にいるのにこれはなんの拷問でしょうか?
ですが、ぬくもりが心地よくて。
そして、心の中にたくさんの複雑な思いを抱えたまま、帝国軍病院を後にした数日。
ずっと屋敷から出ることはなかった。
「そんなことないわ! わたしの異能はわたしのものよ! お姉様のせいじゃない! あんな、あんなに! 高輪の家があんなにも早く急成長をすることにお父様もお母様も疑問を持ちもしないで自身の手柄と喜ぶばかり! それが無能のお姉様の異能によるものなんて露とも疑わずに! それなのにわたしばかりがもて囃されて! 悔しかったのよ! どれだけわたしが惨めな思いをしてきたと思って!」
泣き叫んでひれ伏す妹が哀れなほどに縮こまっていた。
「葵様……」
まさか妹がわたしに対してそんなことを思っていたなんて。
少しでもその思いをわたしに伝えてくれていたなら……もっとお互いに笑い合えていたはず。幼い頃は確かに二人で笑い会えた時があったのだから。何も知らなかった幼い頃は。
でも、未来へ繋がるはずの妹の必死に努力する思いをわたしが奪っていたのではとも思う。
わたしが……無感情となってただただ日々を生きるためだけに過ごしていたから。妹の思いに気づいてあげられなかったわたしはなんて愚かな姉なんでしょう。
「というわけだ。私のためにもその『招福』は返してもらいたいのだよ」
「なんと言おうとも高輪が日向にしてきたことは許されん。日向は俺の手で守る」
わたしを後ろに遠ざけて怜弥様が今にも斬りかかろうと刀を上段に構えている。
怜弥様のお顔に刻まれた呪い紋は発動していない。
わたしの異能の力が間違いなくお役に立っている。
「血の気が多いことだ。力づくとは望まぬところ。他の方法でその娘をもらうとしよう」
「なんだと? ならば、今ここで貴様を斬って捨ててやろう」
怜弥様のお身体から何か白い光のようなものが微かに光っている。そのお声は自身に満ちているようだった。
「ふ。大した気迫と神霊力だ。だが良いのか? 連れの男は心配ではないのかな?」
「なんだと? 凌恂をどうした?」
「気になるならば外へ行けばいい」
「……例え凌恂に何があろうと貴様を捨てはおけぬ」
和光様から決して視線を外さない怜弥様の首筋に汗が伝っていた。
「ならば戦うか? だが、私は戦わんよ。話の間に印は結び終えた。葵ともどもお暇しようではないか」
「なに?」
ばさりと二重回しが男の両腕によって開かれる。
黒い手袋同様に二重回しの内側にも不可思議な紋様と難解な文字が刻まれていた。
そしてその両手の指が合わさって次々に特殊な形が結ばれていく。
「開けよ、隔てる門よ」
和光様の発する言葉の後。
隣の空間に黒い小さな穴がぽっかりと開いた。水面が揺蕩うように波打つ黒い穴。瞬きをする間に人の大きさほどの楕円になっていく。そして素早く妹を抱き上げる和光様。
「きゃあ!」
「葵様!」
悲鳴をあげる妹を抱えて今まさに飛び込まんと琺瑯《エナメル》の靴を駆っていた。
「逃がさん! 黒焔の薔薇よ!」
白い尾の先端の黒い毛から黒い焔が燃え上がる。
そこから黒く燃えるような蔓薔薇が伸びて妹を抱える和光様を縛り上げようとするけれど、するりと黒い軌跡を二重回しが描いて、黒い水面へと二人が飛び込んでいた。
ちゃぷんと音を立てて。
「待て! ……と言っても遅いか。空間転移ができるとはな」
黒い水面がぱしゃりと飛沫をあげて床に落ちると霞のように消えていく。
「怜弥様、一体何が……」
妹の告白に驚きもしたけれど、怜弥様と和光様のやりとりも気になった。一体何がどうなっているのでしょう。
「久世和光は帝と帝都に仇なす奸賊だ。古術に長けていながら忌まわしき鬼に魅入られた男。帝国軍を始め帝都は今、あの男の手に落ちようとしていると言っても過言ではない。このまま捨ておけば帝に反旗を翻す軍事革命が起こるだろう。その先に待っているのは世界大戦だ。止めなくてはいけない」
白い炎の刀が揺らいで蜃気楼のように消えていく。
わたしを見つめる怜弥様の瞳に決意の色が現れていた。
わたしにできること。
ほんの少しでもお役に立てるのであれば力になりたい。
怜弥様の隣に立って。
わたしの心に新しい想いが芽生えていた。
「凌恂様はご無事でしょうか?」
和光様に連れ去られた妹のことが心配ではあるけれど、黒い水面のようなものも消えて追いかけようもない。
今すべきことは身近な人の安否を確かめることと思う。
「忘れていた。まあ死んでも死なんような存在だからな。ヴァンパイアは」
先ほどまでは心配の色が浮かんでいたのに憎まれ口をおっしゃってる。
怜弥様はたまにお人が悪い時があります。
怜弥様の古い親友である凌恂様は危険を冒してまでわたしたちにご協力いただけましたのに。
「そんな顔をして。心配か?」
少し、不満が顔に出ていたようです。
「はい。先祖返りとおっしゃってましたが吸血鬼は本当に不死身なのでしょうか?」
「いや……ヴァンパイアでも真祖ではないから不死身ではないし弱点もある。老化は遅いと思うが、急ごう」
つまり死んでしまうこともあるということですね。
やはり凌恂様が心配なご様子で急ぎ足になった怜弥様に手を引かれ階段を降りていきます。
階段には気を失った警備の兵が倒れ、通路には暗示にかかったままの軍人が虚な眼で中空を眺めています。怜弥様の当て身と凌恂様の魔眼の犠牲になった者たちを尻目に帝国軍病院の玄関に向かう。
そして瞳に映る光景は凄惨なものだった。
血に塗れた何人もの軍人が横たわっている。そして玄関の大扉には……
「凌恂!」
「凌恂様!」
瞼は閉じられることなく、開いた瞳孔に生気はなく、吸血鬼の牙が覗く口から吐血し、白い軍服は赤い鮮血で濡れ、軍刀が手からこぼれ落ち床に転がっている。開いた大扉に腰を下ろすように背がもたれていた。
周囲には何人もの倒れた軍人。それぞれ小銃と短銃が手にされ、床には銀色の弾丸が転がっていた。
銀は致命になりうると怜弥様から聞いていた。
死、という一文字しか脳裏に浮かばないほどの光景に体が震えてしまう。
「凌恂様! 怜弥様! 凌恂様が!」
「心臓が止まっている……凌恂……すまん」
心音を確認する怜弥様のお顔は絶望に満ちたものだった。
瞼に手をかけて生気のない瞳を隠すと凌恂様を抱きしめて怜弥様が涙を流している。
「わたしが妹に会いたいなど我儘を言わなければこんなことには……」
涙が頬を伝う。
わたしの涙は枯れていなかった。凌恂様の死を前にして悲しい思いが胸を締めつける。凌恂様の白く青ざめたお顔から目が離せず、その手を胸に抱きしめていた。
「わたしのために……申し訳ございません……」
「それなら謝罪の代わりに僕とデエトしてくれるかい?」
「え?」
凌恂様の手がわたしの両手を強く握り返していたことに理解が追いつかない。
「ふざけるな。日向は俺のものだ」
「うわ!」
怜弥様が抱えていた凌恂様をどんと弾き飛ばすと、ぐいとわたしの肩が抱き寄せられた。凌恂様の前でそのようなことをされては……。
ですがどういうことでしょう?
「ひどいなあ怜弥。蘇った僕になんてことをするんだい?」
「ふん。死んだと思ったが生きてたか。さすがにヴァンパイアだけあってしぶとい」
安堵の表情を浮かべているのに憎まれ口を叩いていらっしゃる。そんな表情がとても可愛らしい。
「いや。僕も死んだと思ってたよ。もしかしたら、いや、間違いなく日向さんの異能<招福>のおかげだね」
「確かに赤く輝いているな。赤は健康長寿。定義はわからんが吸血鬼にも効果があるようだ」
「銀の弾丸で突き抜けた穴が治っていってるよ」
目の前で凌恂様の傷がどんどん治ってる。
異常に早く回復されることに驚いてしまいます。わたしの異能が役に立ったのであれば。本当に良かった。
「というわけで日向さんにデエトを申し込んで……何も白炎刀で斬りつけることはないだろう?」
怜弥様が凌恂様のおでこを斬ろうとしましたが、白炎刀を白刃どりされてます。
そこまでされなくても……。
「まったく。女と見れば人の妻にまで口説き始めるのか。そんなことだから皇《すめらぎ》から見放されるんだ」
「え? 皇……様? それは帝様の……」
妻という単語に心臓の音が一段と高くなりつつ、皇という単語にも驚いてしまった。
皇といえば、この国の長たる帝直系の名字。ということは凌恂様は……
「日向さん。何も気にしないでくれていいよ。怜弥の言った通り一族からは放蕩者として扱われているからね。だからこそ、こうして怜弥と行動を共にしていられる訳だし」
帝の血筋が先祖返りの吸血鬼……という事は帝様はもしや……。
「あんまり詮索はしない方がいいからね」
「凌恂のいう通りだ。さあ我が家に帰ろう」
お二人が立ち上がり、わたしに手を差し伸べている。
けれども放っておけないことがあります。
「いえ。少しだけお時間をくださいませ」
「なんだ?」
怜弥様の問いには答えずに、倒れる軍人たちを一人一人瞳に捉えていく。死んでさえなければきっと。
「ふ。日向は優しいな」
一通り終わったところで、不意に怜弥様に後ろから優しく抱きすくめられる。わたしの首筋に怜弥様のお顔が……近くて。
心臓の鼓動がとびきり跳ねて体が固まってしまう。
くう。
心臓に悪いのでやめてほしいです。
呆れ顔をする凌恂様がすぐ隣にいるのにこれはなんの拷問でしょうか?
ですが、ぬくもりが心地よくて。
そして、心の中にたくさんの複雑な思いを抱えたまま、帝国軍病院を後にした数日。
ずっと屋敷から出ることはなかった。
