狐に嫁入り 溺愛浪漫譚〜冷たい結婚のちに甘々溺愛

「お姉様!?」

巻木綿(包帯)の向こうにうっすらと見える姿。
白い寝巻きの内側は痛々しく巻木綿(包帯)が巻かれている。
妹の葵様がベッドから身を起こし胸を押さえて呻いていた。病室に漂う消毒液の匂いが鼻にツンときつい。

ここは帝都の中心地からいくらか離れた帝国軍病院。
傷病兵のために設立された病院で、怪我や病はもとより、厄に冒された軍人たちが入院、通院している。
だけれども今は午前零時過ぎ。
怜弥様のお考えで他の者に遭遇しないようにと突然に訪問したのですから、さぞや驚いていることでしょう。

凌恂様のご手配で大きな個室部屋に案内されたわたしは妹と久方ぶりの再会を果たしていた。瀕死と聞いていたけれど、そこまでではないようで息をついた。

案内と言っても病院の職員に道案内をいただいたのではなく、吸血鬼である凌恂様の異能、魔眼の力によって警備の者に暗示をかけてここまで侵入したのだ。
怜弥様がおっしゃっていた通り、魅了の効果を発揮しているようでした。

「葵様。お久しぶりでございます」

姿勢を正して深々と礼をする。高輪にいた頃のように葵様の前で所作を違える訳にはいかない。今も厳しい叱責と折檻の記憶は心に深く刻まれている。さすがに病院で清浄の炎に灼かれる事はないでしょうけど。

「なんでここに!?」 

憎々し気な視線を向けられてもそれ自体には何の感慨も思い浮かばなかった。
ただ、わたしの心には幼かった頃の記憶を基にした妹を心配する想いがあるだけだから。

「葵様。葵様のお姿を視てもよろしいでしょうか?」

今、わたしの瞳は巻木綿(包帯)が巻かれ隠されている。
そして最初に妹の姿を確認してからは視界に入らないようにしていた。

妹に知られないよう病室の外から視ることも考えた。けれども、長いこと妹本人にお伺いを立ててから行動することに躾けられていたこともあって聞かずにはいられなかった。
そしてあまり多くの話をする必要はないから簡潔に伝えた。どうあれ、妹には忌み嫌われ蔑まされて生きてきたのだから。

「その目でわたしを見ないで! わたしの異能はお姉様のものではないの! わたしが努力して自分自身の力で得たものなのよ! やっと顔を合わすこともないと思っていたのになんでここに来るのよ!?」

え……。
掛け布を頭から被って叫ぶ妹の姿がとても小さく見えた。肩を震わせてひどく怯えている。
その様子は、幼い頃から日々変わることなくわたしを蔑んであざけているようなものではなかった。
何をそんなに怯えているのか分からない。

「日向。許可を得る事はない。まずは治してやればいい」

廊下で待つと言っていたはずの怜弥様がズカズカと足を進めて妹が被る掛け布を取り払っていた。
いつもの紬の着物ではなく、戦装束を身につけている。中庭に隠されている坪庭で見た白く雅な着物だ。

上月家を出発する際、戦装束にその身を包んだお姿に見惚れてしまったほど。
着物そのものの美しさは元より、美麗な怜弥様に相応しい出立ちだった。
あまりにも美しくて声を発することもできないでいると、『惚れ直したか?』と聞かれてしまい、真っ赤になって顔をうつむくことしかできなかった。

この類い稀なる着物は鬼や魔と戦うための霊験あらたかな装束なのだという。朱色が施された狐の白面を頭の横に付け、白狐の耳がピンと立ち尻尾がふうわりと警戒するような動きを見せている。

「いや! わたしを見ないで!」
「葵様……」

酷く嫌がって拒絶している。ここまで大きな声を上げられると、わたしの行いが妹にとって良いものか迷ってしまう。

「日向。まずは赤い瞳で傷を癒やしてやれ。その後は先刻に告げた通り、黒い瞳で過分な力を祓ってやるといい。妹のためを思うならばな」

怜弥様曰く、妹の異能の力はわたしの青い瞳によって能力が底上げされたものだという。これを呪いと捉えるなら、黒い瞳で祓うことも可能と文献には記されていたとのこと。

「嫌よ! わたしの異能を奪わないで! これはわたしの力! この力を失ったら……わたしは、わたしは!」

「失いはしない。『招福』によって得た実力以上のものがなくなるだけだ。努力したということが真実ならばそれだけの力は残るさ。日向。これ以上、高輪と久世に妹を利用され、危険な任務にこの身を投じさせたくはないのだろう。早く楽にしてやれ」
「……はい」

本当にその方が良いのか分からない。だけれども戦いの場に妹が送られて傷を負ったのも事実。
怜弥様の言う通り、ままならない会話を交わすよりも早々に終わらせて妹の前から去る方がいいのかもしれない。わたしの話など聞かれたことがないから。
瞳に巻かれた巻木綿(包帯)の結び目に手を伸ばす。

「いやああああ!」

妹から絶叫が上がった。すべてを拒絶するかの如く全身で叫んでいるようだった。

「待て」
「和光様!」

巻木綿(包帯)を外す間もなく振り返ると病室の入り口に男が立っていた。

「……久世和光《くぜかずみつ》か」

久世和光様。高輪家と共に政財界への影響力を強め、軍務にも権勢を振るう久世家の現当主であり、妹である葵様の夫だ。わたしが会うのは初めてのこと。

初夏だというのに二重回し(インバネスコート)を羽織り、黒い三つ揃い(スリーピース)の背広《スーツ》姿。襟元は立ち襟(ハイカラー)。襟締《ネクタイ》の代わりに紐状のもの(ポーラータイ)が二本垂れている。
磨かれた琺瑯《エナメル》の靴がこつりこつりと音を立てている。

妹の前に立つ男性。
冷たさを感じる容貌に息を飲みそう。
お若いのに髪が氷のように真っ白だった。
麗人と言うに相応しい程なのに、その顔に浮かべる不敵な笑みに禍々しいほどの恐ろしさを覚えてしまう。

「ふむ。高度な医療を受けるためにこの施設を利用していたことが裏目に出たようだ。私の大切な妻に何をするつもりかな?」

葵様を庇う様に両手を広げている。
手には黒い手袋が付けられていた。その黒い手袋には難解な文字が刻まれ不可思議な紋様が施されている。

「病床に臥せる哀れな妹のために姉が見舞いに訪れただけのことだ」
「ご夫婦そろってとは仲が良いことだ。深夜の訪問とは無作法もいいところでは?」
「余計な邪魔が入るのは遠慮したかったのでね。つまり貴様のことだ」

怜弥様と和光様は特に挨拶をすることもなくピリピリとした口調で会話を始めている。二人とも面識があるようだけれども。

「夜な夜な呪われた狐が分不相応に張り切っているらしいが……それこそ今にでも滅する運命では?」

「生憎だったな。今の俺を妨げるものはない。今から鬼退治と洒落込んでも良いぞ」

「その身に宿る鬼の呪いに食い殺されるのが関の山では?」

睨みつける怜弥様に対して、和光様がつまらなさそうに答えている。

鬼退治? 怜弥様は鬼を退治するために外出を?
やはり怜弥様は毎夜、屋敷から外出をしている。
そしてそれを和光様はご存知のようだった。

そしてこのやりとりはまるで……。

「白と黒の炎に喰われたいか? 狐火の破邪刀に。魂《コン》、琿《コン》、獻《コン》!」

力ある言の葉が怜弥様の唇から紡がれた。
右手に灯る白い炎が徐々に燃え上がると一本の刀が現れていた。
白い拵えの装飾が雅で美しい。
小太刀ほどの刀身でゆっくりと白い鞘から刀を抜くと燃える炎のような刃文が波打っていた。

怜弥様の瞳は和光様の瞳を捉え憎々しいほどの鋭い眼光を放っている。
久世和光、この男は怜弥様の敵なのだ。

「……怖い怖い。ところで日向様には高輪家に戻るようにと便りがあったと思うが? 結婚を破棄するとな」

白炎の刀にはまったく怯むことなく、広げていた両手を閉じて顎に右手をやると見下すように顎をくいと持ち上げている。

結婚を破棄? そのことは聞いていない。

「日向は俺の妻だ。どこにもやらんし誰にも渡さん!」

激昂する怜弥様。
右手に構えた切っ先を和光様の眼前に刺し向け、守るようにわたしの肩に左手を回す怜弥様。
その手から禍々しさを感じるほどの厄の気配が伝わってくる。怜弥様のお顔に視線を向けると、刻まれた鬼の手の呪い紋がまるで蠢くように穢れを発している。その穢れは怜弥様の肌に侵食を始めていた。
その様子を目にする和光様は二重回し(インバネスコート)の中に両手を収め悠然と構えていた。

ぐ。

苦悶の悲鳴。
耳に聞こえた訳ではなく声に出すまいという怜弥様の気迫が感じられる。
その苦しみはわたしの想像以上のものなのかもしれない。

毎夜、鬼退治に向かうという話。
用いるのは怜弥様の異能のはず。
異能を発現した途端に鬼の手の呪い紋が蠢いている。怜弥様はこれによってお身体を蝕まれていたのだということに気付いた。
帝都に住まう人々を助けるための異能が呪い紋を活発にし自身を苦しめているのだ。その事実に愕然としつつ怜弥様の優しいお心に触れて悲しく涙する想いだった。

わたしは怜弥様のお手伝いをしたい。
わたしの異能の力で。
思うのと同時に巻木綿(包帯)の結び目を解いていた。

「日向か」

呪い紋から発する穢れが畏れるように戻っていく。
滑らかな白い肌への侵食は止まり癒されていく。苦悶の表情はもはやなく鋭い眼光が気迫に満ちていた。
わたしを背に両手で白く燃える刀を構えその切っ先を和光様に突き付けている。

「薄茶色の瞳が黒く輝き赤へと輝いた。そして今は青。なるほど。やはりその異能の力は『招福』。我が妻、葵に聞いた通りの能力。是が非でも高輪に戻ってもらわなくてはな」

妹に聞いた? 葵様はわたしの異能を知っていた?

「葵様はわたしの異能についてご存知だったのですか?」

視線は妹に向けずに聞いていた。視るつもりでいたけれど視てはいけない気がしたから。
妹はというと、わたしの問いかけには答えずに唇を噛んで眉をひそめうつむいていた。

「私から話そう。葵は幼い頃から清浄の炎を発現し異能に目覚めていた。が、その力は代々の高輪の血筋の通り期待をするほどのものではなかったそうだ。期待に応えるべく日々弛まぬ努力をする内に葵だったが、双子そろって厄に襲われ退治した時にふと気付いたのだよ。青い瞳で視られた後に異能が高まることに。その後、偶然にも高輪で存在を忘れられていた文献を見つけ、幼いながらに自ら調べたのだ。『招福』の異能についてをな」

和光様の言葉で目をぎゅっと瞑り掛け布を指が白くなるまで握りしめている妹の表情が苦しそうだった。