狐に嫁入り 溺愛浪漫譚〜冷たい結婚のちに甘々溺愛

「え? 耳?」
「ほら。こっちも見てごらんよ」
「え? 尻尾!?」

凌恂様の白い手袋を付けた手がむんずとそれを掴んでいた。ふさふさのもふもふが嫌そうにその手を払うとふんわりと揺れている。

自分の目を疑わずにはいられなかった。
不貞腐れた顔をしている怜弥様にとても可愛らしい……いえ、立派な耳と尾が生えている。
わたし自身のことをあれやこれやと言われすぎていて怜弥様の変化に気づいていなかった。

「あ、あの。それとそれは?」
「見ての通り。耳と尻尾だ。あまりじろじろと見るな。気恥ずかしいだろう」

なんてことでしょう。
照れたご様子で頷く怜弥様のお体の一部に、手触りが良さそうな真っ白な毛皮がもふっと生えて艶めいている。
耳も尻尾も毛皮も白い。耳の後ろ側の先端が黒く。尾の先端は墨で浸したように黒く、まるで黒い炎が揺らめいているようだった。

「もしや……お狐様では?」
「様はいらんが確かに狐だ。社で話したこと覚えてはいないか? 日向はすでに目にしていると言っただろう?」

狐人にヴァンパイアという目を疑うような美男が二人も並んでいる。
つい今し方。わ、わたしはこんなお二人に何と言われてしまったの?
め、目眩がする。

「あ、あの。白狐は神の眷属であり神の使いとされていると聞いたことがあります。お社に祀られている神様というのはもしかしなくても……怜弥様では? わたしがすでに目にしているとおっしゃっていたのはそういうことなのでしょうか?」

あまりにも突飛な発想ではある。あるけれど。
獣の姿をその身に宿し神々しくも感じる美しさに心が化かされているようにも思う。
だけれども、現実に目の前にわたしの前にいるのだ。

上月家の中庭に隠された美しい坪庭に建てられていた見事なお社を思い出していた。
遠い昔に上月家の初代様が祀り、代々お守りいただいているという神様が鎮座していると。
そして、鎮座しているほどおとなしく留まってはないと。

「そうだ。だが俺自身は人間だ。人間ではあるがそうとも言えるかも知れんな。俺の体に憑いている守護神は天狐という。神憑《かみが》かりということでは、ある意味ではそうということだ。この忌まわしい呪い紋のせいもあってすっかり力を失っているがな」

苦々しげな口調と表情で鼻先から額に伸びる鬼の手の紋様をなぞっている。歪な長い爪、まるで餓鬼のように朽ちた鬼の手がその動作に反応するように蠢いているようにも見えた。

「怜弥様が神様……」
「俺が神なのではない。神霊が俺に憑依している」

どちらも大差ないのでは?
驚くことばかりだった。
狐の神様を宿した怜弥様と、厄と言われる吸血鬼の姿をした凌恂様という人の常識をはるかに超えた存在が目の前にいるなんて。
あまりのことに異形の瞳を晒したままなことも忘れて、お二人の姿を交互にじっくりと眺めてしまっていた。

「不思議だ。見られていても苦しくはなくなったね?」

そうだった。さっきまで凌恂様を瞳に映すとあれほど苦しんでいらしたのに、今はあっけらかんとしていらっしゃる。

「能天気でお人好しなお前を見て厄とは思われなくなったのでは? ……なるほど、そういうことかも知れんな。要するに日向にとって間抜けと思われれば異能の力の対象にはならんのかも知れん」

ご自身の言葉について妙に納得されているけれど。

「怜弥? 何だか気に掛かる言い方をするね?」

にっこり爽やかに微笑む凌恂様だけど少しだけ怒気をはらんでいらっしゃる?

「気のせいだ。日向……早速だが俺を見るその瞳が白に変わっているぞ。それに、頬に生えている猫みたいな髭は何だ?」
「え!?」

白くなったという瞳のことよりも重大な事案に驚いて、慌てて両のほっぺに手をあてて隠した。ピンと伸びた長い感触が手に当たってる。

髭が生えてるー。

「どれ見せてみろ」
「ダメです! いけません! あ!」

両の手首を握られて抵抗虚しく降ろされてしまった。
そしてまじまじとわたしの顔を見渡す怜弥様が目の前にいる。
か、顔が近い。
息が……か、かかります……。
怜弥様の首元から漂う香りが甘くさえ感じるこの状況に目が白黒する。

「ふむ。左右に三本ずつ。ほんとに猫のようだ」
「あ、あの……怜弥様。わたしのようなものに触れると穢れます」

「? 何を言ってる? 穢れどころか、猫の髭とは可愛いものじゃないか?」
「ひう……」

可愛いだなんて……おかしい。
心臓がおかしくなりそうです。
さっきから可笑しなことがすぎます。

興味津々と言わんばかりにぴこぴこと動く狐の耳にふんわりと揺れる狐の尻尾。
白い寝巻きからはだけて見える素肌と毛皮。
美麗なお顔が目と鼻の先にある。
鼓動が跳ねて止まらない。

さっきから可笑しなことばかり。こんな初めてのことを言われ通しだ。しかもこんなに美麗な怜弥様に。

「そ、それに、わたしは怜弥様に触れてはいけないとおっしゃっていたではないですか」

そうです。わたしが初めてお体に触れた時は、全身で拒絶するが如く激昂されてたではないですか。

「そうだったな。爛れが消えて体に疼く激痛も治った。俺に科された呪いが和らいでいるようにも感じる。だからもう気にしなくてもいいと思うがどうだ? それとも、やはり呪われた俺が日向に触れるのは嫌か?」

「い、いえ! 決して嫌などということは! その……あ、ありません」
「ならば触れてもいいだろう」

優しく穏やかな眼差しがわたしを見下ろしている。うっかり見つめ返してしまい顔が沸騰しそうになる。

「で、ですが、わたしは穢れた異形の化け物でございます。誰からも忌み嫌われる存在です。怜弥様にとってわたしという存在は……」

「なんだというんだ? 何も気にすることはない。日向が異形の化け物とはな。高輪の者どものはこの可愛らしい姿のどこを見てそんな考えに至ったのか理解できん」

ひう。またおかしな言葉が耳に聞こえた。

「ふふふ。髭とはびっくりだ。僕もそう思うよ。確かに普通の人からすれば瞳の変質は異形だね。だけど高輪家はそもそも異能の血筋。僕の家もそうだったけど、異能を受け継ぐ旧家、名家の使用人だったらそれは分かってることじゃないか。そこまで忌み嫌う必要なんてないと思うけどなあ」

凌恂様が口元に手をあてがって眉をしかめて訝しがっている。
そうなのでしょうか?
わたしにとって幼い頃から生きてきた高輪での出来事がすべてのこと。だから凌恂様が疑問に思っていることはわたしには想像もつかないこと。

「それは……分かりませんが確かに蔑まされて生きてきました。わたしが穢れた化け物であることは間違いないことです」

「まだ言うか。……少し気になるな。俺のような者はともかく。なぜ高輪での日向がそこまでの立場になってしまったのか。(調べてみるか。それについては日向には言わないでおくことにしよう)」

なんでしょう? 頭一つ分は違う怜弥様のわたしを見下ろす眼差しが今度は心配げになっている。
それは良いのですが……そろそろ手を離してはいただけないでしょうか。お顔がさっきよりも近くになってはいないでしょうか。

「君たち僕の前でいちゃつかないでくれないかな? 腹立たしい」
「何を言う。魅了の瞳を持つお前は女に困ったことはないだろう」

魅了の瞳とは?
何か良からぬ響きを持ってはいないでしょうか。

「まあね。あ、日向さん。勘違いしないでおくれ。僕は真面目な交際しかしない男だから」
「嘘をつけ」
「嘘などつくものか。僕は清廉潔白だ」

やはり何かいかがわしいものを感じます。ですが真面目とおっしゃるからにはそうなのでしょう。
それにしてもこの二人は本当に仲が良い。見ているだけで心が楽しい。

「ふふふ」

いつの間にか声に出して笑っていた。

「ふ。お前の笑顔は良い。これからも笑っていろ」

笑顔? 笑う?
そうだ。笑っているんだ。
上月家に嫁入りしてからずっとギンコさんには笑ってもらえないと言われていた。

わたしが笑ってる。
笑ったなんていつかあったろうか?
あった気もするけれどひどく遠い昔だ。
感情など忘れて心が空っぽになったはずのわたしが笑っている。

思い返せば、悲しかったり心が温かくなったり、し、心臓がおかしくなりそうになったり、上月で過ごしているうちに無感情であったはずのわたしの心に変化が起きているのかもしれない。

心の中に新たな感情が生まれている。
ずっとわたしとは無縁だった想いが芽生えたことに驚きを隠せなかった。
嬉しい。
生まれた気持ちがどんどん大きくなっていく。
心にあふれそうな想いを唐突に理解した。
そうだ。
わたしは嬉しいんだ。