狐に嫁入り 溺愛浪漫譚〜冷たい結婚のちに甘々溺愛

「……はい」

怜弥様へと、先に体を向き直してからうつむいていた顔を上げた。
閉じた瞼をゆっくりと開けていく。ゆっくりと。

「赤く輝く細い瞳か。まるで猫目のようだな。む……残っていた爛れが癒やされていく。これは瞳術の類か?」

怜弥様が顔に手を当てて確認している。いくらか肌に残されていた爛れと引きつれがほとんど消えて、餓鬼の手のような紋様以外はまったく健康そのものに見えた。

「ぼ、僕には黒く輝いて見えたが?」

凌恂様が半ば怯えた声を上げている。よほど苦しかったのでしょう。わたしの瞳に映らないように東屋の柱の影に隠れていらっしゃる。

「もしや……看破か破邪の異能か? 凌恂、お前真なる姿に戻っているぞ」
「何だって!?」

凌恂様の白い肌がほんのり青白く、耳は尖って鋭い牙が口元から覗いていた。

「凌恂様? そのお姿は?」
「み、見ないでくれ! 苦しい!」

真なる姿と聞いてうっかり見てしまっていた。慌てて視線を逸らすとほっと息をつく声が聞こえた。

「凌恂は西洋の血を受け継いでいる。先祖返りした吸血鬼、ヴァンパイアと呼ばれる異形だ。鬼や魔と変わらぬ厄ではある」

ヴァンパイア。聞いたことがある。人の血を吸って永遠の命を享受する異形の化け物。その姿は鼠や蝙蝠に狼、霧に姿を変え、夜の世界に生き太陽の下では滅んでしまうと。その凌恂様は太陽の光を浴びていたからそのような事実はないのだろう。

「鬼や魔と変わらない厄……」

この国に蔓延る厄という存在。人に災いを為す魔や鬼。そうであるなら人の怨敵であるはず。そもそもそんな異形の存在がなぜ帝国軍の軍服を身につけているのだろう。

「凌恂は人の心を持った安全な奴だから心配するな。知っての通りお人好しが間抜けな男だ。今後はどうなるか分からんがな」
「怜弥。間抜けとは酷いじゃないか。それにいきなり正体を言うことはないだろう。今後だって僕のお人好しは変わらないよ」

確かにその通りだとわたしも思う。得体の知れないわたしへの警戒感がまったくなくなってしまっていたから。

「違いない。激昂して日向に刃を向けていたというのに、微笑みすら浮かべて和んでいるとはな。優男もいいところだ」
「放っておけ。僕の性格はこうなんだ。怜弥みたいに女性に対して冷酷で手酷い扱いをするような男じゃないんだよ」
「ふん。お前こそ言ってくれるな。日向に情けない姿を晒したんだ。別に良いだろう」

不安げな声で抗議する凌恂様にさもあらんとばかりに答えている。わたしの瞳に映ってはいないけれど、お二人の砕けたやりとりは微笑ましく感じるほど。本当に仲の良い関係を築いていらっしゃる。

「しかしまいったな。この姿を晒してしまうとは思わなかったよ。本当に日向さんの瞳力によるものなのかは分からないが、このことは誰にも言わず秘密にしておいてほしい」

苦しさから逃れた凌恂様の胸を撫で下ろすような声が耳に入る。

「か、かしこまりました。ですが、その、瞳力と言われましてもわたしにも何が何やら……。わたしの瞳は巻木綿(包帯)に隠しておりますが見えていないわけではなく、お二人のお姿は布越しにうっすらと見えていますから。これまでも、その、目にしておりました」

お二人の変化に戸惑っているのはわたし自身もだった。今言った通り、初めてお二人を瞳に捉えた訳ではない。今日の今日、突然にこんなことが起こるなんて、わたしの異能によるものとはにわかには信じられなかった。

「おそらくだが、即効性がある異能とは限らないのだろうな。俺と凌恂では目にした時間もかなり違うだろう。対象によってある程度時間がかかるものなのか、何か条件があるのか。瞳の色と形の違いにも何かあるのかもしれん」

「いずれにしろ調べてみるなり試してみるなりしないと分からないだろうね。そうは言っても試すにしろ相手がいないことにはどうにもならないかな?」

お二人が勝手に話を進めている。わたしに何を期待しているのでしょう?

「あの……そろそろ巻木綿(包帯)で目を隠してもよろしいでしょうか?」

わたしとしては穢れているこの目を早くしまっておきたかった。大池の水面で花びらと揺れている巻木綿(包帯)を早く回収したい。
これまでずっと忌み嫌われていたから、誰かの前にいる時は隠しておかないと落ち着かないのだ。

「ダメだ。もう少しのその瞳を見せていろ。黒は看破か破邪として、赤は癒やしか? 呪い紋を祓うまでには至らないようだが? いや、祓うとしたら破邪の異能が現れても良さそうだが。やはりどうにも分からんが、見る対象によって瞳の色が変わるらしいことは間違いなさそうだ。日向、他の色に変わることはあるか?」

質問には答えなければ。

「はい。他に白や黄などになることもあるようです。わたし自身では分かりかねますが」
「そうか。もしかしたらその色によって何がしか異能の効果があるやもしれんな。無能と聞いていたがなぜ隠していた」

「高輪の誰もがわたしのことを無能の異形と呼んでいました。このような異形の瞳を持つこと。誰からも忌み嫌われ蔑まされて生きてきました。隠さないわけには参りません。お父様からもそう指示をされておりましたし。ですが生まれてからこれまでこのようなことは初めてなんです」

物心つく頃からどれだけ蔑まされ虐げられてきたことか。これがなければ妹と同じように愛されていたはず。と思うと悲しくなる。

「そうか。俺や凌恂のようなものなど、そうはいるまいからな。恐らくだがこれまでに間近でそれという者を視ることはなかったのだろう。もしくは大きな変化がなかっただけか、それとも対象者なりが気付かなかっただけか。だが隠し事なぞいずれは露見するものだ」

腕を組んで妙に納得した面持ちでいる怜弥様が、東屋の柱に隠れる凌恂様をあざけるように笑っている。

「怜弥……親友のくせに酷いじゃないか。怜弥だって呪われてるし日向さんに隠していることがあるだろうに……」

酷く悔しそうに怜弥様のことを睨みつけていらっしゃるような。柱の影に隠れているのでよく見えませんがご立腹のようです。

「その耳と尾を出せー!」
「やめろ! 脇をくすぐるな!」

柱の影から躍り出た凌恂様が戯れるように怜弥様に飛びついて脇の下をくすぐり、ツンツン頭をわしゃわしゃとかき混ぜている。
うーん。絶世の美男二人がはしゃぐ様子をついつい目で追ってしまう。ほんとは見てはいけないのに。
あら? 凌恂様がもう苦しんでいない?
ん? 耳と尾とは?

「やめるものか! お前はここが弱かったよな!」
「く! くそ! やめろ! やめろと言ってるだろうが! やめ!? こら! おい!?」
「うはは! 涙目になってきてるじゃないか! もっとこそばしてやる!」
「ちょっ!? そこは!? やめ! やめんか!」

怜弥様がしつこくくすぐられている。大の大人二人が絡まって戯れるお姿に目を丸くして見てしまう。
耐えかねた怜弥様が大きな笑い声を上げて丸まるように屈んでしまっている。それでもくすぐりをやめない吸血鬼姿の凌恂様がとても楽しそうにしている。

「ふふふ。あはは」

子どものようにはしゃぐ二人の美男を眺めていると微笑ましい。
うっかりクスリクスリと笑ってしまった。

「笑った……」
「笑ったな」

二人がわたしを見て呆けている。何が気になるのか分からず小首をかしげてしまう。

「これは良いものを見たね。可愛い笑顔じゃないか。僕は無表情でいるところしか見たことがなかったけれど、怜弥はどうなんだい?」

怜弥様が同意を求められているけれど照れたようにしつつ口元を結んでいる。

「怜弥。君の奥方だ。何か言ったらどうだい?」
「む……いや。笑顔が……その、なんだ……」

怜弥様が何かを言いあぐねている。

「え?」

怜弥様は何を言っているの? 可愛い? 誰が?
右に左にとゆっくりと首を巡らしてみるけれど誰もいない。
くすくすと笑う凌恂様の様子が不思議で小首をかしげてしまう。

「日向さん。君のことを言っているんだよ」

凌恂様が何を分かっていない顔をしていると言わんばかりにしている。
わたし?

「ええ!? そ、そんな。わたしなんて……」

わたしなどが可愛いわけがない。
荒れた手。カサついた肌。痩せた肉付き。痛んだ髪。
どこをどう見ても女としては可愛げが……。

ふと、今の自分の風体に思い当たる。
そうだ。上月にきてからはギンコさんにあれやこれやとお世話になって、しっかり食事をとって、しっかり睡眠をとって、しっかり美容のお手入れをされてしまっていたのだ。

ひどい仕打ちを受けていた高輪にいた頃とは雲泥の差で、心が楽だったこともあり苦もなく身を粉にして働いていた。仕事で手が荒れることはあっても以前とは見違えるようになっている。
いつだか怜弥様から『もう少し身なりに気を遣え』と言われた頃、痛んだ着物を着るなと言われ、新しい着物を与えられている。
しょせん自分などと、あまり鏡など見ないからそれらの事実を忘れてしまっていた。

「(自身の美しさが分かっていないのか?)最初は見窄らし有り様とは実際思っていた。巻木綿(包帯)のせいで素顔を見るのは初めてだからな」

はい。見窄らしくて申し訳ありません。何も否定することはありません。
今、何か可笑しなことを言われなかったでしょうか?
自分の耳を疑うあまりその意味が分からない。

「見窄らしいとはね。確かに素顔が隠れていたけれど顔立ちからして最初から美しい素材だったじゃないか。怜弥だって分かっていたろう」
「む。いや。俺に何を言わせたい」

「言葉の通りさ。僕からしたら磨いて光らせることのできる女性は喉から手が出るほど良いものだと思うよ。自分の手で育て上げる女性というのはいいものだ。怜弥が自分の手で実際そうしていたんだろう?」
「凌恂! 相変わらず訳の分からないことを言うな! 俺はそんなことはしていない! 断じてだ!」

え? 怜弥様が? 自分の手で? 何を育てたと?

「分からないことなどないだろう? 怜弥、はっきりと本心と今まで日向さんにしてきた仕打ちを口にしてみるといい。そこでまったく自覚のないままでいる奥方様のためにね」
「本心に仕打ちだと!? だからなぜ俺がここでお前の前で日向が可愛らしく美しいという事実を言わないといけないんだと言っている!」

はう。今……確かに何かとんでもないことが耳に聞こえた。
唐突に跳ねる心臓の鼓動が全身に伝わって震えてしまう。
あまりの苦しさに手で胸を押さえていた。

「はは。言ってるじゃないか。良かったね日向さん。怜弥が認めたよ」
「何? なんだと? 図ったな!」
「怜弥は追い詰めると自分の口からぽろぽろと暴露する癖は治ってないんだな」

凌恂様がとても愉快そうに大きく肩を揺らして目に溜まった涙を白い手袋をして手で拭っている。

これは一体どういうこと?
二人が可笑しなことを言っている。なぜこんなにも美男な二人に褒められているのか。
まったく訳が分からない。

怜弥様のおっしゃりようからすると……わたしは怜弥様の手で……。
わたしは今、夢を見ているのか。
顔から蒸気が立ち昇りそうになって気絶寸前のようになってしまっている。

「ところで日向さん。何も気づいていないのかい?」
「え?」
「ほら。怜弥をしっかり見てごらん?」
「え?」

言われた通りに怜弥様をしっかりと観察する。
スラリと伸びた長い手足。白い寝巻きの下は素肌で細くはあるがしっかりと鍛えられた筋肉質な体をしている。呪いと言われた異形の鬼の手の紋様はあるけれど、お顔は誰がなんと言おうとも美麗で髪はツンツン頭。
ツンツン……の頭の上に……ピンと立つ耳が生えていた。