狐に嫁入り 溺愛浪漫譚〜冷たい結婚のちに甘々溺愛

「浄化……ですか? それはどういう意味なのでしょう?」
「……知る必要はない」

決して冷たくはないけれど、突き放されたと思うには充分の物言いだった。心に壁を感じるほど何か言いようのない強い意志を感じる。
やはりわたしは受け入れられることのない外の人間でしかないのだろう。
そう思うと自然と顔が下を向いていた。

「いや、すまん。今はまだ……いずれな」

謝罪の言葉と共に、怜弥様の口調からわたしを気遣うような思いが伝わる。

「いえ。わたしが知る必要がないことでしたら何も……」

いずれ……。
上月の家には何かうかがい知ることのできないことでもあるのでしょうか。今はただわたしも静かに答えを返すしかない。
お互いに言葉もなくしじまのようなひとときが過ぎてゆく。

ふと、小鳥の囀りが聞こえる。黄緑色の小鳥、メジロが羽ばたいてお社の御屋根に留まるとチョンチョンと渡り、坪庭の庭木へと飛んでいく。
せめて差し障りのないことでも聞いてみよう。

「もう一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」

「小さいですがお社がとても立派です。寺社建築の屋根には四種類の様式があると聞いたことがありますが、どれとも違うのでは? さぞや名のある宮大工の手によって建立されたのではないでしょうか」

朱塗りのお社は小さくも精緻な彫刻が施され、他ではみることのないような独創的と思える造形をしている。それこそこの国を代表する寺社仏閣に並んでも劣ることのないものと思ってしまう。

そういった知識も高輪で教えられてはいたので、こんな話題もできるのはありがたいことではある。あんなに心に辛い折檻が付きまとう教えは二度とは受けたくないけれども。

「さあな。この社がいつの時代に建てられたかは俺は知らんが、上月家に残る文献を読めば詳しいことが書かれているだろう」
「何か謂れがあるのでしょうか?」

文献……。
上月家はとても古い時代から続く帝との縁のあるお家。それはとても貴重なことが書かれていると思われます。
高輪では古くから残る文献というようなものを見た記憶がありません。必要以上に教養を身につけさせられていたから、わたしにだけ見せていないいうことはないはず。
そういった文献を後世にとしっかり受け継いでいるあたり、高輪に比べて上月家の遺志は深いものなのでしょう。

「大したことはない。初めての帝となる者がいてな。その者に仕えることとなった上月家初代の命によって神を祀るよう代々の当主に課したのさ。それこそ初代と伝えられている帝が世を治めることを成就した時代。遠い遠い遠い昔のことだからな」

「それは……この国の建国期にまつわるようなことではないでしょうか」
「……知りたいか?」
「はい」

素直に思う。わたしの生家である高輪家も初代の手によって建国初期にその地位を築いたという。だけれども高輪にはお社というものはなかった。元々あった武家屋敷は取り壊されて、西洋の建築様式で建てられた煉瓦造りの館となっている。

古くからある伝統を破壊するのは簡単だけれども後世には残らない。そう思うとそこはかとなく寂しさを感じる。
わたしと、わたしの双子の妹が生まれたお屋敷が壊されていく様をただ眺めるのは悲しいものがあった。
そういうこともあって古くから続く思いが今も息づく上月家にまつわるお話に興味が湧いていた。

「詳しい話は面倒だから省くが、あれには上月家初代と深い関わりがあるという守り神が祀られている。すっかり衰えて見る影もないがな」

衰える?
信心深い方であればお家の隆盛、衰退にも神様の御利益が関係していると考えることもあるだろうけれど、怜弥様の気質とおっしゃりようからすると深い信仰心があるとも思えない。
凋落した上月家に例えてお話ししてるのでしょうか?
それに見る影がないといってもお社自体は綺麗に保たれているから、その言い方はちぐはぐに思われた。
そんなことが気になるけれども、それについて根掘り葉掘り聞くのもどうかと思ってしまう。差し障りなく質問を続けることが無難でしょう。

「ただ崇めている神様を祀っているということだけではなくて、上月のお家をお守りいただく神様が鎮座されているのですね。どういった神様が祀られているのでしょう?」

「こいつは鎮座などと言うほど社におとなしく留まってるような神ではないさ」

これまたおかしな表現をされている。まるで神様が本当に存在しているような。
いえ、この世には厄という人を呪い災いを為す異形が存在しています。当然、八百万の神々はもとより古くから人の世を憂う神様は確かに存在しているのでしょう。

それにしても……神様に対しての物言いに敬うようなものが感じられません。まるで気心の知れた友人のことを思い浮かべて話しているような。少し軽く見ている様な感じもします。

「神様はおでかけになっても上月家を守っていただけているのですね。もしかしたら今もお社からどこかへおいでになっているのでしょうか。お会いしてみたいものです」
「ふ。ふふ……日向はすでに目にしているさ」

なんだか悪戯っぽい含みを持たせた言い方をされています。お顔につけている狐の白面を外したらどんな表情をされているのでしょう。

「え? そうなのですか? わたしが? お社の……分霊された神様の分祠など他にありましたでしょうか?」

神様は時にそのご威光を享受するために分けられることがある。そうしてお社を増やして祀る場を設けたりすることもあるのだ。いえ。もしかしたらこのお社自体、分社で総本社があってもおかしくはないかも知れません。

「そういうことではないが。まあ、それもいずれ分かること。楽しみ……ということでもないがその時がくるまで待てばいい」

なんでしょう?
怜弥様の口調が穏やかに感じる。朱色が施された雅な狐の白面の奥に優しげな視線を感じて戸惑ってしまった。
二つも離れていた飛び石を渡ってくる怜弥様の手がわたしの頬へと向かってくる。

え? 何を?
もしかしてわたしの頬を撫でようとしている?
突然の怜弥様の行動に息を飲んでいた。
わたしの心臓の音が何かを告げている。

くう。

骨ばった手が頬に触れる寸前に聞こえる怜弥様のお腹の音。

「む。もうすぐ昼だな。腹が減った」
「す、すぐにご用意いたします」

我に返って一つ後ろの飛び石に後ずさった。軽くお辞儀をしてから足早に飛び石を超えていく。
佇む怜弥様を残して。

今のは一体……何が起こっていたのでしょう。
おかしな音を立てる心臓がわたしの呼吸を早くする。
胸が苦しいような。
心に何かがあるような。
自分で自分が分からなかった。

そして。変わらぬ日々を送り、長い冬が明けて春の陽差しが暖かくお屋敷を包む頃。

穏やかな陽射しの中、上月家自慢の庭園の桜が咲き誇っていた。春爛漫と言うくらいの光景で春風に舞う花吹雪が美しく、大池の水面に花びらが儚く揺蕩っている。

わたしは東屋から桜を眺めるお二人、怜弥様と凌恂《りょうじゅん》様のお側で控えていた。

「満開の桜を我が家で見るのは何年振りか。代々の当主も驚いているだろうさ」
「見事なまでに花開いているね。季節の樹々が植っているのに花があまりつかないというのも不思議なものだったけど。それにしても怜弥。だいぶ体の加減が良さそうじゃないか」

怜弥様を訪ねて凌恂様がお越しになっているのだ。その凌恂様は以前と同じく白い軍服。軍帽を椅子の上に軍刀を柱に立て掛けている。
凌恂様のおっしゃる通り、近頃では怜弥様が病の床に臥せる時間が格段に減っていた。
ギンコさんから『日向様の甲斐甲斐しい献身が実を結ばれたのですよ』などと言われたけれど、『お屋敷の掃除と怜弥様のお食事のご用意をしただけのことです。わたしがそうしたところでなんの力にもなってはいないときちんと自覚はしております』と答えていた。

「そうだな。気分の良い日が増えた。最近は顔の引き攣れもそう悪くない」
「良いことだ。鏡で見たのかい?」
「いや。ずっと見てはいない。厄に呪われた顔など見たくもないしな。それよりも……」

お話の内容はともかく、怜弥様のお声が弾むように軽やかだ。
それはそれは楽しげに言葉を交わすお二人の様子に驚きを隠せなかった。
怜弥様はこれまでの日々と変わらず、朱色が施された狐の白面と白い寝巻きを身につけている。初めて瞳に映ったあの日からそのお顔は見ていない。
二人の白い装いと桜色の花吹雪を背景に東屋で談笑する様がなんとも美しい。
寝巻きではあるけれど。

お二人が続ける話の内容はというと、昨今の軍務体制と政治に関わるようなものだった。先だって新設された帝国軍に属する討滅部隊についても憤りを隠せずに熱く語らっている怜弥様と凌恂様を見ていると微笑ましく思ってしまう。

二人は幼い頃から交流があって親友と呼んで差し支えないほど仲が良いとギンコさんから聞いている。それにしてもこんな話をわたしが耳にしてもいいのだろうか?

「日向さん。いつまでもそんなところに突っ立っていないでお座りなさいよ。僕たちだけが座っていると心苦しいじゃないか」
「いえ。わたしはここで」
「そんなことを言わずに。ほら、怜弥。慎ましい奥方様を呼んで隣に座ってもらいなよ」

促されてわたしに振り向く怜弥様。

「……日向」

今日もまた、わたしの名前を呼んでくださる。少し照れくさそうな様子は初めて見るものだった。
上月家に訪れたばかりの頃からすると想像もできないくらい。
いつからだったか、狐の白面に隠れてはいるけれど、わたしに対しての表情が穏やかに優しくなっていた気がしている。