「貴女には荷が重いのよ。身の丈に合わない場所に収まって、それで恥ずかしくないの」
夕暮れの廊下へ静かに落ちた言葉は、意外なほど真っ直ぐ胸へ刺さった。
多分、少しは気にしているからだ。
隣へ並ぶたび、「私でいいのかな」と考えない日はない。
それでも。
「それでも、選ばれたのは私なので」
晶佳は何かを言いかけて、やめた。
それからもう一度、真っ直ぐ私を見る。
「……水筑様の婚約者の座を、なんだと思ってるの」
「幸運だと思っています」
彼女の目が、わずかに揺れた。
「幸運」
「はい」
それ以上は言わなかった。言えることと言えないことがある。
後者の中に「正直めっちゃタイプなので」が含まれているが、それは墓まで持っていく予定の情報だ。
「……貴女、本当に」
呆れているのか、怒っているのか、あるいは別の感情なのか分からない声だった。
その直後。
遠くの訓練場の方角から、今日一番大きな爆発音が響いた。
窓ガラスがびりっと震える。
私は反射的にそちらを見た。
「あ、今日のは結構やばそう」
「呑気ね!?」
校門を抜けたところで、見慣れた家の車が停まっていた。
運転席の窓から顔を出した汐凪の補佐役、浦霧が私の姿を認めてぱっと表情を明るくする。
「依玖お嬢様、お待ちしておりました」
「ああ、ごめんなさい。遅くなって」
「いいえ。……あの、若様は」
「訓練場にいると思います。まだしばらくかかるんじゃないかな」
その方角を、なんとなく視線で示した。まだかすかに轟音が聞こえている気がする。気のせいかもしれない。
私の視線の方向を見た浦霧は心得たように「ああ」という顔をした。最近のアレは家人たちにも知れ渡っているらしい。
「なので今日は一人で歩いて帰ります。浦霧さんは汐凪様を待っていてあげてください」
「……え?」
浦霧の顔から表情が消えた。
正確には、笑顔が剥がれて困惑が現れた。
「お一人で、ですか」
「はい」
「……お一人で」
「そうです」
「お嬢様が、お一人で」
「念押しがすごいですね」
浦霧はしばらく私と、訓練場のある方角とを交互に見てから、困ったような顔で口を開いた。
「お一人でお帰ししたとなれば、私が若様に怒られます……」
「怒るかなあ」
「怒ります」
断言だった。迷いがない。
私は少し考えた。
穏やかな顔のまま静かに「どうして連絡してくれなかったの」と言われる未来が、わりとありありと想像できた。それはそれで心に来るものがある。
「……でも、駅前でちょっとブラブラしたくて」
「でしょうとも」
浦霧は深く頷いた。ブラブラしたい気持ちは理解してもらえたらしい。
「……どのくらいで、お戻りになりますか」
「一時間もあれば」
「では、お帰りの際に連絡してくださいますか。迎えに上がります」
「歩いて帰れますよ」
「お帰りの際に、連絡してくださいますか」
重ねて言われる。有無を言わさない穏やかさ、汐凪と同じ種類の穏やかさだった。長年仕えているだけある。
これ以上の交渉は無用、という意思表示だとわかったので、私は素直に頷いた。
「……わかりました」
「ありがとうございます」
浦霧は深々と頭を下げてから、「道中お気をつけて」と付け加える。
私は小さく手を振って、校門を抜けた。
駅前は夕方の人通りで賑わっていた。
特に目的があるわけではない。なんとなく歩いて、なんとなく眺めて、それだけでいい気分転換になる。一日の締めとしては、悪くない時間だと思う。
雑貨屋の店先に、小さな水晶細工が並んでいた。
光の角度によって色が変わる。青にも、緑にも、白にも見える。なんとなく水みたいだと思って、なんとなく足を止めた。
買わないけれど。買わないけれど、少し眺めた。
隣の布地屋を覗く。
秋向けの生地が入ったらしく、落ち着いた色合いのものが窓際に飾られていた。あの色は汐凪に似合いそうだと思って、頭の隅にメモした。
菓子屋の前で足が止まる。
焼き菓子のいい匂いがする。これは買う。
紙袋を提げてまた歩き出す。
干菓子を一つつまみながら、特に行き先も決めずに人の流れに沿って進んだ。これが目的だ。目的のなさが目的だ。
大通りから一本入った小道に、古い書肆があった。
以前から気になっていたので覗いてみる。
植物図鑑の類が充実していて、ついぱらぱらとめくってしまった。買わないけど、汐凪にも教えてまた来よう。
満足して表へ出たところで、広場の方から張り上げた声が聞こえてきた。
「皆さんは神獣に騙されている!」
