八十八年目の星結び


「貴女には荷が重いのよ。身の丈に合わない場所に収まって、それで恥ずかしくないの」
 夕暮れの廊下へ静かに落ちた言葉は、意外なほど真っ直ぐ胸へ刺さった。
 多分、少しは気にしているからだ。
 隣へ並ぶたび、「私でいいのかな」と考えない日はない。

 それでも。
「それでも、選ばれたのは私なので」

 晶佳は何かを言いかけて、やめた。
 それからもう一度、真っ直ぐ私を見る。
「……水筑様の婚約者の座を、なんだと思ってるの」
「幸運だと思っています」
 彼女の目が、わずかに揺れた。

「幸運」
「はい」
 それ以上は言わなかった。言えることと言えないことがある。
 後者の中に「正直めっちゃタイプなので」が含まれているが、それは墓まで持っていく予定の情報だ。

「……貴女、本当に」
 呆れているのか、怒っているのか、あるいは別の感情なのか分からない声だった。
 その直後。
 遠くの訓練場の方角から、今日一番大きな爆発音が響いた。
 窓ガラスがびりっと震える。
 私は反射的にそちらを見た。
「あ、今日のは結構やばそう」
「呑気ね!?」



 校門を抜けたところで、見慣れた家の車が停まっていた。
 運転席の窓から顔を出した汐凪の補佐役、浦霧が私の姿を認めてぱっと表情を明るくする。
「依玖お嬢様、お待ちしておりました」
「ああ、ごめんなさい。遅くなって」
「いいえ。……あの、若様は」
「訓練場にいると思います。まだしばらくかかるんじゃないかな」
 その方角を、なんとなく視線で示した。まだかすかに轟音が聞こえている気がする。気のせいかもしれない。
 私の視線の方向を見た浦霧は心得たように「ああ」という顔をした。最近のアレは家人たちにも知れ渡っているらしい。

「なので今日は一人で歩いて帰ります。浦霧さんは汐凪様を待っていてあげてください」
「……え?」
 浦霧の顔から表情が消えた。
 正確には、笑顔が剥がれて困惑が現れた。
「お一人で、ですか」
「はい」
「……お一人で」
「そうです」
「お嬢様が、お一人で」
「念押しがすごいですね」

 浦霧はしばらく私と、訓練場のある方角とを交互に見てから、困ったような顔で口を開いた。
「お一人でお帰ししたとなれば、私が若様に怒られます……」
「怒るかなあ」
「怒ります」
 断言だった。迷いがない。

 私は少し考えた。
 穏やかな顔のまま静かに「どうして連絡してくれなかったの」と言われる未来が、わりとありありと想像できた。それはそれで心に来るものがある。

「……でも、駅前でちょっとブラブラしたくて」
「でしょうとも」
 浦霧は深く頷いた。ブラブラしたい気持ちは理解してもらえたらしい。

「……どのくらいで、お戻りになりますか」
「一時間もあれば」
「では、お帰りの際に連絡してくださいますか。迎えに上がります」
「歩いて帰れますよ」
「お帰りの際に、連絡してくださいますか」
 重ねて言われる。有無を言わさない穏やかさ、汐凪と同じ種類の穏やかさだった。長年仕えているだけある。

 これ以上の交渉は無用、という意思表示だとわかったので、私は素直に頷いた。
「……わかりました」
「ありがとうございます」
 浦霧は深々と頭を下げてから、「道中お気をつけて」と付け加える。
 私は小さく手を振って、校門を抜けた。



 駅前は夕方の人通りで賑わっていた。
 特に目的があるわけではない。なんとなく歩いて、なんとなく眺めて、それだけでいい気分転換になる。一日の締めとしては、悪くない時間だと思う。

 雑貨屋の店先に、小さな水晶細工が並んでいた。
 光の角度によって色が変わる。青にも、緑にも、白にも見える。なんとなく水みたいだと思って、なんとなく足を止めた。
 買わないけれど。買わないけれど、少し眺めた。
 隣の布地屋を覗く。
 秋向けの生地が入ったらしく、落ち着いた色合いのものが窓際に飾られていた。あの色は汐凪に似合いそうだと思って、頭の隅にメモした。
 菓子屋の前で足が止まる。
 焼き菓子のいい匂いがする。これは買う。

 紙袋を提げてまた歩き出す。
 干菓子を一つつまみながら、特に行き先も決めずに人の流れに沿って進んだ。これが目的だ。目的のなさが目的だ。

 大通りから一本入った小道に、古い書肆があった。
 以前から気になっていたので覗いてみる。
 植物図鑑の類が充実していて、ついぱらぱらとめくってしまった。買わないけど、汐凪にも教えてまた来よう。

 満足して表へ出たところで、広場の方から張り上げた声が聞こえてきた。

「皆さんは神獣に騙されている!」