八十八年目の星結び


「依玖!」
 振り返れば、そこには煉弥が立っていた。
 当初こそ周囲の注目を一身に集めていたものの、さすがに数日も経てば生徒たちも見慣れてきたらしく、今では廊下を歩いていても以前ほど騒ぎになることはない。
 とはいえ、人目を引く整った容姿と堂々とした佇まいまでは消えるはずもなく、依然として目立つ存在であることに変わりはなかった。

「何」
 私が返事をするより早く、隣にいた汐凪が当然のような顔で会話へ割り込んでくる。
 その動作があまりにも自然だったせいで、思わず口を閉じてしまった。
「別にお前へ用はない」
「奇遇だね。俺もだよ」
 煉弥はわずかに眉を動かし、汐凪もまた微笑を浮かべたまま視線を逸らさない。

「そもそもお前、依玖に近くないか」
「婚約者だから普通に話しているだけだけど。婚約者だから」
 ところで、私に用があって話しかけてきたのではなかったのだろうか。
 その辺りを指摘しようか迷っているうちに、なぜか二人の視線がぶつかり合って火花を散らしたのを幻視した。
「……なるほど」
「分かった」
 何が分かったのか全く分からない。だが当人たちの中では何かが通じたらしい。
 次の瞬間、煉弥が口元に笑みを浮かべた。
「勝負だな」
「わからせてやる」
 非常に嫌な予感しかしない会話だった。
 私が口を開く暇もなく、二人は当然のように踵を返し、そのまま並んで歩き始める。

 遠ざかっていく二人の背中を見送りながら、私はぽつりと呟いた。
「私は……?」



 そんなことを繰り返し、今では学校のどこかから爆発音が聞こえるのが日課になった。
「今日どっち勝った?」
「引き分けらしい」
「また?」
「というか途中で教師が止めた」
「そろそろ競技場の修繕費やばそう」
「それな」

 最初こそ私がいる場でのみ火花を散らしていたのに、ここ数日は「たまたま廊下で遭遇した」「訓練場で顔を合わせた」「実技授業で組み合わせが被った」など、些細なきっかけだけで自然に戦へ発展しているらしく、最早私を巡る争いというより、単純にライバル認定しているだけの気がする。

 その日も放課後、訓練場の方角から遠慮なく響いてくる轟音を聞きながら、「今日も元気だな……」と半ば無の境地で思いつつ、私は鞄を抱えて校舎を後にしようとしていた。
 遠くから微かに聞こえてくる爆発音と、生徒たちの歓声らしきざわめきを聞き流しながら歩いていると、不意に背後から声がかかる。
「随分といい気なものね」
 私は足を止めた。
 というか、止まらざるを得なかった。無視したら余計に面倒なことになるので。

 ゆっくり振り返ると、案の定、そこには予想通りの人物が立っていた。
 艶のある長い髪を丁寧に結い上げ、隙なく整えられた制服を纏った少女は、こちらを見下すように顎を引きながら、鋭い目元へ強気な光を宿している。
 その姿には名家の令嬢らしい華やかさと気位の高さが滲んでいた。
「……何か御用ですか?」
 内心で溜め息を吐いた。ちょっと漏れていたかもしれない。
 できれば関わりたくなかったので、わりと真面目に帰りたい気持ちを込めて尋ねたのだが、彼女は気にした様子もなくこちらへツカツカと歩み寄ってくる。

「二人の御曹司から取り合われて、さぞ楽しいでしょうね」
「いや別に取り合われたくて取り合われてるわけでは……」
「白々しい」
 ぴしゃりと遮られる。私は天を仰いだ。こういう流れになる気はしていた。
「調子に乗らないことね」
 低く抑えられた声だったが、その分だけ感情の鋭さが際立っている。

「あなたが今の立場にいられるのは、星読みと五行の相性と、その他諸々の運がたまたま重なっただけでしょう。実力でもなく、努力でもなく、家柄でもなく。ただの、運」
 否定はしなかった。事実だと思っているから。
「火能様の言うことも一理あるわ。星に選ばれたからといって、それで人としての格が備わるわけじゃない。立場相応の実力が必要なの」
 彼女は一度言葉を切り、それからまっすぐ私を見た。

「水筑様の隣に立つなら、もっと相応しい相手がいる」
 もちろん、私だって努力をしていないわけではない。婚約が決まってから七年、それなりに励んできた自覚はある。
 それでも、「では誰が最も婚約者に相応しいか」と問われれば、彼女の方が完成されているのは事実だろう。

 彼女──式海晶佳(しきみしょうか)は水筑の分家のお嬢様だ。それも私より余程本家に近い、良い血筋のご令嬢。
 彼女は小さい頃から汐凪の婚約者の筆頭候補として謳われており、本人もその立場を本気で望んでいた。
 それなのに横から私のようなものに掻っ攫われて、以来度々こうして絡んでくる。

「婚約者の座を空けたら、次は私が埋める。それだけの準備はできているから安心なさい」
 その瞳には嫉妬だけではない熱があった。
 本気で努力して、本気で目指して、本気で手を伸ばしてきた人間の目だ。
 だから私は、彼女を笑う気にもなれない。