今回の襲撃に用いられた結晶は、やはり神域の結界を壊すためのものだった。
襲撃者たちはそれによって神域内部へ侵入した後、神獣の討伐まで進めるつもりだったらしい。
しかし実際には警備や煉弥たちの迅速な対応によって計画は途中で頓挫し、最悪の事態だけは回避することができていた。
そもそも護家を囲う結界に関しては、千金楽の襲撃の際には奉納式の関係者以外通れないようになっていたし、今回は一般客が入るためそこまで厳重ではなかったものの、害意や呪具を持つ者は通れないようになっていたはずだった。
それにもかかわらず襲撃者たちは結界を突破し、侵入してみせた。
千金楽の時はこの結晶を利用して壊して侵入。今回用いられたものは当時からさらに改良が施されており、結界を破壊するのではなく、その性質を欺いて通り抜けるための機能が組み込まれていたらしい。
もっとも、その報告は悪いばかりではない。
襲撃者の拘束と同時に問題の結晶も複数回収されており、既に専門の術師たちによる解析が始まっているという。
仕組みが分かれば再現も防御も可能となり、未知の脅威だったものは対策可能な脅威へと変わる。
もちろん油断できる状況ではないが、少なくとも敵がどのような手段を用いたのかさえ分からなかった以前に比べれば、状況は確実に安定していた。
千金楽での襲撃は、今回の"下見"だったようだ。結晶が実際、神域の結界にどの程度影響を及ぼすのか見ていたらしい。
結晶は反神獣団体の術師が何年も……いや、何十年もかけて研究していた。
しかし、人の手で作り上げた護家の結界なら理論の積み重ねだけでもある程度の解析は可能だろうが、神域の結界について解析するのなら話は別だ。
理論上にしろ机上の空論にしろ、実際に見てみなければとっかかりもできない。
つまり、この結晶の研究者の中には神域を実際に見られる立場の者もいた。
──護家の中にも、反神獣団体はいるということだ。
静まり返った部屋には重苦しい空気が沈殿しており、窓の外から差し込む淡い光だけが室内を照らす中、私はテーブルへ一枚の紙を置いた。
再誓の儀の前日に届けられた脅迫状。
その紙片は今となっては単なる脅し文句ではなく、実際に起きた襲撃と結びつく重要な証拠となっている。
「これ、和沙おばさまですよね」
向かいに座った和沙は差し出された紙を受け取ることもなく、ただ視線だけを落としてそこに記された文面を見つめていた。
その顔には驚きも動揺も浮かんでおらず、しかし、その沈黙自体が何より雄弁に思えた。
実際に襲撃は発生した。だからこそ脅迫状そのものが偽物だったとは考えにくい。
だが、こんなものどう考えてもデメリットでしかない。
事実、この手紙を受け取った私はすぐに汐凪へ報告したし、以前から続いていた反神獣団体の活動によって警戒していた警備隊も、脅迫状の存在を知って一層神経を尖らせていた。
結果として襲撃を受けながらも最悪の事態は防がれたのだから、この手紙は犯行を成功させるためではなく、むしろ失敗させるために送られたようにすら思える。
部屋の外には複数の護衛が待機しており、万一に備えて廊下の警戒を続けている。私の背後にも汐凪が立っていたが、今は口を挟むことなく成り行きを見守っていた。
最初にこの場を設けたいと申し出た時、汐凪は当然のように否定するつもりだったのだろうし、周囲も二人だけで話をさせることには難色を示していた。
それでも、自分で直接確かめたいと望んだことを彼は理解してくれたからこそ、この対話の機会が実現している。
「……おばさまは、反神獣団体の人だったんですか?」
問いを受けた和沙はしばらく何も答えずただ静かに脅迫状を見つめ続けていたが、やがて小さく息を吐き、その肩から力が抜けていく。
否定の言葉は、ついに聞こえてこなかった。
「──……どうしてお分かりに?」
責める響きも開き直る響きもなく、ただ純粋な疑問だけを含んだ声音だった。
私は目の前に置かれた脅迫状へ軽く視線を落とし、それから小さく首を振る。
「コレがおばさまからだっていうのは、はっきりわかったわけではないんですけど」
実際のところ、この紙だけで差出人を断定できる証拠は存在しない。
けれど脅迫状そのものよりも、そこへ至るまでに積み重なった出来事の方が引っかかっていた。
少しだけ言葉を選ぶように間を置いてから、続ける。
「先日、晶佳と一緒にいる時に、反神獣団体から襲撃を受けた話、覚えていますか」
「えぇ、もちろんですとも」
和沙は即座に頷いた。
静かに指先を組み合わせながら、私はずっと胸の内で引っかかっていた違和感を言葉にしていく。
「私、疑問だったんですよね。なんで彼らは晶佳と接触したんだろうって」
その言葉に和沙の眉がかすかに動く。
晶佳は本家に近い有力分家の令嬢であり、真面目で努力家な性格は広く知られている。
普通に考えて、反神獣思想に傾倒するような人間ではない。
「それは……式海のお嬢様は若様の御婚約者の座を欲しがり、依玖様を疎んでいらっしゃったから……」
「はい」
ためらいを含みながら紡がれたその言葉に、私は素直に頷いた。
それは事実だ。晶佳が汐凪への想いを抱いていたことも、自分を快く思っていなかったことも。
「でも、それを知ってるの、貴女だけなんです」
和沙は目を丸くした。
「私、私の出来の悪いところを知っているおばさまには何でも相談できました。晶佳のこともそうです。初対面の頃から彼女は当たりがきつかったので、早々におばさまに愚痴をこぼしました」
「……えぇ、はい。覚えております」
婚約者として汐凪の隣に立つようになって間もない頃、当時から晶佳は刺々しく、会うたびに嫌味を投げてきた。
その度に落ち込んだり困惑したりして、とうとう和沙へ吐き出したのだ。
「でも、その後すぐ、晶佳本人に聞いたんです」
懐かしむような苦笑が自然と口元に浮かぶ。
最初はただ高飛車で意地の悪い令嬢なのだと思っていた。会うたびに嫌味を言われ、張り合われ、何かにつけて突っかかられていたのだから無理もない。
けれど実際に向き合ってみれば、晶佳は驚くほど真面目で、妙な方向へ拗れているだけで責任感も正義感も強かった。
「なのに、こんな風にコソコソ嫌味を言いにくるのは卑怯ではないの?って」
そうしたら。
「『式海の娘である私があなたに文句を言う姿を他の誰かに見られて、"汐凪さまの婚約者"が"貶められていい存在"だと思われることは許されないわ』ですって」
口にしてみても、やはり面倒な理屈だった。
嫌いなら堂々と嫌えばいいはずなのに、周囲の目がある場所では決して私を軽んじない。
「難儀な娘ですよね。『自室の引き出しに絶縁状を用意してる。だから本家に報告しても構わないわよ。咎めを受けるのは私だけだわ』とか言い出して……頭がいいのか悪いのか」
あの時の晶佳は本気だった。
自分の行動が問題視されることも理解していた。しかしその結果として家が咎めを受けることは避け、かつ自分だけはきっちり責任を負うつもりだったのだろう。
けれど、その覚悟を持ちながら嫌味をやめるという選択肢だけは最後まで取ろうとしなかった。嫌な奴である。
私は静かに顔を上げ、和沙を見つめる。
「だからね、彼女は他の人に知られるような状況で、私を馬鹿にはしないんです」
彼女は黙ったままこちらの話を聞いていた。
「私を嫌っていたとしても、汐凪様の婚約者である以上、他者から軽んじられていい存在だとは思っていない。少なくとも晶佳は、そういう人です」
それは擁護というよりも確信だ。
晶佳は辛辣な言葉を向けるし、婚約に納得していない様子も隠そうとはしなかった。
それでも、人前で私の立場を損なうような真似だけは決してせず、自分自身の感情よりも式海の名と汐凪の立場を優先していたことを、何度も見てきている。
「私、晶佳の言うことになるほど一理あるな、と思ったんです。直接的な害もなかったし、それなら私も誰にも言わないでおこうって。心配させると思って、汐凪様にもです」
そう告げると、背後に立つ汐凪が静かに頷く。
「あぁ。二人の関係は、襲撃の時とその後の聴取で初めて知ったよ」
私は脅迫状の置かれた机へ視線を落とし、それから再び和沙へ向き直る。
ここまで話してきた内容は、単なる思い出話ではない。
「……最初に話した貴女以外には、誰も知らないことなんです」
晶佳との関係は公にはなっていなかった。汐凪でさえ知らなかった二人だけの関係を、反神獣団体が正確に把握していた理由を考えれば、可能性は驚くほど少ない。
「反神獣団体に私と晶佳の関係を流せた人は、和沙おばさましかいないんです」
