迷いなく答えながら一歩前へ進み出ると、湖の向こうに浮かぶ異質な光を真っ直ぐ見据え、そのまま静かに意識を集中させる。
淡い光を帯びた霊力が空気中へ滲み出し、それはやがて私の左の手の中へ集束し始めた。
無数の光粒は互いに引き寄せられるように絡み合い、やがて曖昧だった輪郭を徐々に明確な形へ変えながら凝縮され、神秘的な輝きを放つ金属質の質感を帯び始める。
まず形を成したのは弓幹だ。
一般的な弓のような木材ではない。一見すれば硬質な金属に見えるものの、その実態は高い柔軟性を備えた特殊な構造であり、力を受けても折れることなくしなやかに撓るよう緻密に調整されていた。
その表面には余計な装飾を一切持たない洗練された美しさと、実戦を前提とした鋭い機能性が共存している。
続いて両端を繋ぐように細い光の線が伸び、それは瞬く間に高密度の金属線へと変質し、張り詰めた弦として固定された。
そして次に右手を持ち上げる。
霊力が再び集まり、一筋の矢が静かに姿を現した。
矢柄は重量を極限まで削るため内部が空洞化されている一方で、外殻は高密度に圧縮された金属によって構成されており、軽さと強度という本来両立し難い要素を無理やり成立させている。
そして最後に形成された矢羽は驚くほど薄く。まるで氷の薄膜か蜻蛉の羽のような透明感を持ちながら繊細な輪郭を描いている。
生み出した金属の弓を静かに構え、左腕を真っ直ぐ伸ばしながら神域上空に浮かぶ異質な光へ照準を合わせる。
余計なものをすべて切り捨てるように意識を集中させ、その存在だけを視界の中心へ据えた。
弓幹が撓り、極限まで張り詰められた弦からは澄み切った高音が微かに響いて、その震えが指先を通じて身体の奥深くまで伝わってくる。
周囲ではなお強い風が湖面を渡り続け、さざ波は幾重にも重なりながら岸辺へ打ち寄せていた。
耳に届いていた避難誘導の声や戦闘の余韻、胸の奥で渦巻いていた焦燥や不安までもが遠く霞んでいく。
呼吸は自然と整い、鼓動は緩やかに落ち着き、張り詰めた緊張さえ一筋の糸へ撚り合わされるように収束していった。
その傍らで汐凪が静かに片手を掲げると、煙を飲み尽くした巨大な水流が轟くような水音を響かせながら空へと昇っていく。
蒼く輝く奔流は意思を持つ龍のように空中を駆け巡りながら湖の上空へ向かって伸びる。その軌跡に沿って細かな水飛沫が散り、陽光を受けて無数の光粒となって宙を舞った。
私は弦を引き絞ったまま微動だにせず、その光景を視界の端で捉えながらも狙いを外さずに呼吸を整える。
そして水流が空を駆け上がり、その尾が視界から完全に抜け落ちた瞬間。
呼吸を止めるような静寂の中で、指先の力を解放した。
甲高い金属音にも似た鋭い音を響かせながら、矢は一直線に飛び出す。
その軌跡は神域上空の結晶へ向かって迷いなく駆け抜けていった。
揺らめく異質な結晶はなお不気味な光を放ち続けていたが、その輝きが変化したのは一瞬だった。
吸い込まれるように到達した矢が、結晶の中心を正確に貫く。
結晶は甲高い破砕音と共に砕け散り、無数の欠片となって空中へ飛び散った。
同時に、上空で極限まで圧縮されていた巨大な水流が束縛を解かれたように一斉に弾ける。
轟音を伴う激しい爆発ではなく、それはどこか柔らかな解放にも似た広がり方で、見上げればまるで巨大な水の花が咲いたようにも見えた。
広がった水滴は陽光を反射してきらめき、次第に勢いを失いながら細かな雨となって降り始める。
さらさらと降り注ぐ雫は湖面を優しく叩き、水上舞台の欄干や鎮守林の葉を濡らし、人々の肩や髪にも静かに降りていった。
その雨は激しい戦いの最中にあって不思議なほど穏やかで、張り詰めていた空気をわずかに和らげる。
弓を下ろしながら、空を見上げる。
そこにはもう、あの不快な輝きは存在していなかった。
張り詰めていた緊張がわずかに緩みかけたその時、不意に雨粒を切り裂くような小さな光が視界の端を横切る。
振り向けば、それは掌に収まるほどの火の小鳥だった。
炎で形作られているにもかかわらず雨に消える様子はなく、橙色の尾を引きながら軽やかに湖畔を飛び越え、そのまま迷いのない軌道で汐凪の元へ向かう。
汐凪は驚く様子もなく片手を差し出し、小鳥はその指先へ舞い降りた。
羽ばたくたびに小さな火の粉が散るが、それらは雨粒に触れる前に淡く消え、まるで最初からそこになかったかのように空気へ溶けていく。
直後、小鳥の身体から聞き慣れた声が響いた。
『神域に到着したぞ。神獣様も五体無事だ』
その報告を聞いて、胸の奥に溜まっていた息をようやく吐き出し、肩の力を抜く。
「よかった……というかいつの間に」
思わず零れた言葉に対し、汐凪が口を開いた。
「煙幕を焚かれた直後、鎮守林に突っ込んでいくのは見えたけど」
さらりと言われた内容に目を瞬かせる。
あの混乱の最中にそんな行動を取っていたことにも驚くが、それをしっかり把握していた汐凪にも驚かされる。
ならば、と振り向いて晶佳の姿を探してみれば、水上舞台の橋の入り口に立ち塞がっていた。
やがて火の小鳥は再び翼を震わせ、続く報告を伝える。
『神獣様が感知できる範囲で侵入者も確保した。神域内部の被害状況は確認中だが、今のところ異常は見られない』
その言葉に汐凪も表情をわずかに緩める。
神域への侵入だけでも重大事だが、何より恐れていたのは神獣そのものへの被害だった。その無事が確認できた意味は大きい。
しかし事態が収束へ向かいつつあることと、人々の不安が消えることは別だった。
湖畔へ視線を向ければ、避難誘導を受けた一般客たちはなお落ち着かない様子で周囲を見回し、互いに無事を確かめ合う声や何が起きたのかを問う声があちこちから聞こえてくる。
神官や護衛たちが丁寧に説明と誘導を続けているものの、結界の崩壊を目撃し、煙幕による混乱を経験した人々の胸に残る動揺はそう簡単に消えるものではない。
それに今日という日は本来、神聖な祭儀を見届けるために集まった特別な日だったはずだ。
期待と祝福に包まれるはずだった場が混乱と恐怖に塗り替えられたまま終われば、この先も不安だけが人々の記憶に残ることになる。
私は水の向こうの光景を見渡しながら、静かに隣へ立つ汐凪へ視線を向けた。
「──汐凪様」
その呼びかけに込められた意図を説明する必要はなかった。
「あぁ」
短い返答と共に汐凪が頷く。
それだけで十分だった。
