周囲で何かが弾けるような乾いた音が連続して響き、大量の煙が周囲へ噴き出した。
黒とも紫ともつかない煙は異様な速度で広がり、湖畔一帯を包み込むように瞬く間に視界を侵食していく。
遠くまで見渡せていた湖面は霞み、水上舞台の輪郭も徐々に曖昧になっていた。
「煙幕か……!」
煉弥が舌打ち混じりに呟く声が聞こえるが、その姿さえ薄く滲む。
さらに問題だったのは、この場にいるのが私たちだけではないことだ。
祭儀のために集まっていた観客たちの間から次々と戸惑いの声が上がり始め、避難誘導に従っていた者たちも突然の煙によって進むべき方向を見失い、あちこちで足を止めて周囲を見回している。
「何が起きているんだ!」
「前が見えない! こっちで合っているのか!?」
「子どもがいるんです!」
不安と恐怖を含んだ叫びが重なり合い、ただでさえ緊張していた空気は一気に混乱へ傾き始める。
神官や護衛たちが懸命に声を張り上げて誘導を続けているものの、煙によって視界を奪われた人々の動きは鈍くなり、人の流れは次第に滞り始めていた。
依玖は思わず唇を噛む。
神域へ急がなければならない。
だがこの煙は明らかにその行動を妨害するために撒かれたものであり、同時に観客たちを混乱へ陥れることで護衛や神官の戦力までも分断しようとしている。
このままでは神域への進路を見失うだけでなく、敵に奇襲の機会を与えることにもなり得る。
思わず身構えたその時、不意に隣から強い霊力の高まりが伝わってきた。
振り返るまでもなく、それが汐凪であることは分かる。
次の瞬間、広大な湖面が大きく波打ち、水中から巨大な水柱が轟音と共に立ち上がる。
まるで湖そのものが意思を持って目覚めたかのような光景に誰もが息を呑んだ。
水柱は長く、高く空へ伸び、そのまま生き物のようにしなやかに身をくねらせて頭上を駆け巡る。
青白い光を帯びた水流は空中でうねりながら湖畔全体を覆う煙の中へと飛び込み、渦を描きながら周囲の空気ごと巻き込むようにして煙を飲み込んでいった。
荒々しいほどの力を振るっているはずなのに、水流の動きには無駄がなく、暴力的な破壊ではなく必要なものだけを選び取るような精密さがある。
煙は抵抗するように広がろうとするが、圧倒的な水量の前では抗うこともできない。水流に絡め取られた端から霧散し、あるいは水の内部へ封じ込められていった。
そのたびに視界は少しずつ開け、霞んでいた湖面や水上舞台の輪郭が再び姿を現し始める。
陽光を受けた水飛沫が無数の光を散らしながら周囲へ降り注ぎ、思わずその光景に見入ってしまった。
煙を押し流しながら頭上を巡る水流の轟きを背に、汐凪の声が真っ直ぐ届く。
「依玖! こっちへ!」
そのまま差し出された手へ反射的に手を伸ばすと、力強く引かれる感覚と共に足が前へと導かれた。
周囲ではなお水流が生き物のように空中を這い回り、取り込んだ煙を抱えたまま湖畔全体を浄化するように駆け巡っていたが、その隙間から少しずつ視界が開け始めている。
汐凪に続いて湖上へ架けられた橋へ足を踏み出し、水飛沫を浴びながら駆け抜けた。
橋板を打つ足音と飛沫の音が重なり合い、両脇では湖面が風に揺れながら細かく波立っている。
水上舞台の上へ辿り着いたところで、汐凪が足を止めた。
そのままある一点を見据えるように顔を上げる。
「あれ、見える?」
促されるままその視線を辿って上を見上げた。
「あれは……」
思わず息が漏れる。
空を巡る水流の隙間、その開いた視界の向こうに微かな光が見えた。
位置から考えれば、ちょうど神域の結界が存在していた真上あたりだろう。
本来そこにあるはずのない輝きだった。
それは決して大きなものではなく、遠目には小さな星のようにも見える。
だが自然の光ではないことだけは直感的に理解できた。
淡く明滅を繰り返しながら怪しく輝くその光には、生理的な嫌悪感にも似た違和感があり、視界に捉えただけで胸の奥がざわつくような不快さを伴う。
まるで本能そのものが警鐘を鳴らしているかのような感覚に無意識に息を詰め、その正体を探るように目を凝らした。
光の中心には結晶のようなものが見える。
しかし距離があるせいで詳細までは判別できず、それが何であるのか、あるいは結界を破壊した原因そのものなのかは断定できない。
だが少なくとも良いものではないだろう。
「依玖。──出来るね」
汐凪の問いかけは短かった。
だが、私は何を求められているのかを瞬時に理解し、一度だけ静かに息を吸い込んだ。
「──お任せください」
