何事かと顔を上げるより早く、参道脇に並んでいた石灯籠の一つが内側から弾け飛ぶように砕け散り、鋭い破片が四方へ飛散した。
砕けた石片が地面を跳ね、観客の足元へ転がる音がやけに大きく耳へ届く。
悲鳴が上がった。
つい先ほどまで笑顔と歓声で満ちていた境内が、一瞬で別の場所へ変貌していく。
何が起きたのか理解できないまま立ち尽くす者、咄嗟に子供を抱き寄せる者、周囲を見回しながら状況を把握しようとする者。その全ての表情に共通しているのは戸惑いと恐怖だった。
ざわめきは瞬く間に広がり、人から人へ伝染する不安が波紋のように群衆全体を飲み込んでいく。
「伏せてください!」
護衛の怒号が飛ぶ。
反射的に身を低くした直後、今度は別方向から眩い術式光が一直線に走り抜けた。
轟音。
すぐ横の石畳が抉れ、白煙が舞い上がる。
「敵襲だ!」
誰かの叫びと同時に、警鐘が鳴り響いた。
高く鋭い音が幾度も反響し、祭儀の始まりを告げるはずだった祝祭の空気を容赦なく塗り潰していく。
わずか数秒前まで笑い声を上げていた観客たちは顔色を変え、我先にと駆け出した。
泣き出す幼い子供の声が聞こえ、その名前を必死に呼ぶ母親の悲痛な叫びが重なる。
境内は一瞬にして混乱の渦へ呑み込まれていた。
「結界を張れ!」
「一般客を避難させろ!」
警備のため配置されていた術師たちは即座に動き始め、防護結界を形成していく。
その一方で、どこから襲撃が行われているのかもまだ判然とせず、張り詰めた緊張が場全体を覆っていた。
私は護衛に庇われながら身を起こし、立ち込める白煙の向こうへ視線を向ける。
「汐凪様は」
問いかけた声は思った以上に鋭くなっていた。
しかしその言葉に応じる者は誰もおらず、周囲には混乱に満ちたざわめきと警護の指示が飛び交うばかり。
警備体制の都合上、汐凪とは別の導線を通っていたとはいえ、この状況で互いの位置が把握できていないという事実が胸に重く沈み、嫌な予感がじわじわと広がっていく。
迷っている時間はないと判断した瞬間には、考えるよりも先に身体が動いていた。
「依玖様、お待ちください!」
「危険です!」
慌てた声が背後から飛ぶ。当然の制止だった。
護衛の一人が慌てて腕を掴もうと手を伸ばしてくる気配を感じながらも、振り返ることなく声を張った。
「この場で優先すべきは一般客と神域、そして汐凪様です!」
護衛たちが守ろうとしているのは次期斎祀の婚約者であり、祭儀の重要人物である私だ。
だが、それはあくまで祭儀という枠組みの中での話に過ぎない。
神獣との契約更新において真に不可欠なのは汐凪だ。
極端な話をするならば、夫婦舞が中断されようと祭儀の進行に支障が出ようと、汐凪さえ無事であれば契約そのものは続行できる。
だが逆は違う。
汐凪に何かあれば、この国を支える加護そのものが揺らぎかねない。
乱れ始めた人の流れを縫うように駆けながら、事前に定められていた合流地点への最短経路を選び取っていく。
しかし周辺はすでに避難誘導と警戒に追われる者たちで混乱しており、普段なら数分もかからない距離がひどく遠く感じられた。
合流地点へ続く回廊へ差しかかったその時。
不意に肌を刺すような悪寒が背筋を走り、反射的に身を捻った。
頬のすぐ脇を黒い光が掠めて、背後の石灯籠へ突き刺さる。
轟音とともに石が砕け散り、飛び散った破片が頬をかすめた感覚に思わず息を呑んだ。
視線を向ければ回廊の先、揺らめく影の中に人影が立っており、その手には見覚えのない呪具が握られていて、再び光が集まり始めている。
相手が何者なのかを判断するより先に、その呪具へ流れ込む霊力の質が危険なものであることだけは理解できた。
術式を組む時間はない。
形を与えられていない霊力そのものを強引に押し出すように解放すると、淡い金色の光が奔流となって溢れ出し、呪具から放たれた黒い光と正面から激突する。
耳をつんざくような衝撃音とともに、二つの力がぶつかり合った。
霊力同士の衝突は周囲の空気を震わせながら激しく弾け、石畳の上へ無数の光の欠片を降らせる。
辛うじて相殺には成功したものの、即席で放った霊力は効率が悪く、腕の奥を痺れが走る感覚に小さく息を詰める。
黒衣の人影は即座に呪具を掲げ直し、先ほどよりもさらに濃密な霊力を注ぎ込み始めた。
術式の展開速度が異様に速い。呪具の先端から放たれた第三の黒光が一直線に迫る。
避け切れない。
そう理解した瞬間、時間が引き延ばされたように感じられ、視界の端で揺れる衣の裾や乱れた呼吸音までもが妙にはっきりと意識に刻まれた。
