普通なら我が子が本家と深く繋がりを持てば家の発展を期待するものだろうし、場合によっては昇進や取り立てを夢見ることもある。
しかし両親にはそうした野心がほとんどなく、むしろ大きな権力には近づきたくないと本気で思っているのだった。
そのため娘が婚約者になった時も「すごい」より先に「大変そう」が出てきたし、本邸へ招かれるたびに胃を痛め、祭儀のような重要行事ともなれば今日のように露骨に気配を消そうとする。
そんな二人にとって、水筑本邸は憧れの場所ではなく緊張の塊でしかない。
母は再び部屋を見回しながら肩を落とし、父もまた遠い目で畳を眺める。
「やっぱり帰りたいなぁ……」
「気持ちはわかるけど諦めて」
即答すると、両親は揃って深いため息を吐いた。
私はそれを見ながら苦笑を浮かべる。
護家の血筋としてはあまりにも覇気がなく、本家への忠誠心より平穏な日常を優先する二人。
客室の豪華な調度品に怯えながら所在なさげに座る両親の姿は少々情けなくも見えたが、その情けなさすらどこか懐かしい。
しばらくの間は本邸への恐怖や帰宅願望ばかり口にしていた両親だったが、やがて騒ぐだけ無駄だと悟ったのか、二人して大人しく湯呑みを手に取り、客室に流れる静かな時間へ身を任せ始めた。
その沈黙の中で、ふと父が窓の外へ視線を向ける。
「いよいよ明日か……」
ぽつりと零された言葉には先ほどまでの情けない響きはなく、どこか実感を噛み締めるような重みがあった。
「本当ねぇ」
母も同じように頷きながら微かに目を細める。
八十八年に一度行われる、再誓の儀。
神獣と斎祀が新たな契約を結び直し、国の安寧と神域の維持を誓うその儀式は、世の人間にとって生涯で一度立ち会えるかどうかという特別な行事。
それがいよいよ明日に迫っていた。
「七年前はねぇ、こんな日が来るなんて思ってなかった」
母は少し困ったように笑いながら私を見る。
「本邸に呼ばれた時なんて、何か大変な失敗でもしたのかと思ったもの」
「それは僕も思った」
父まで真顔で同意したため、私は呆れた視線を向けた。ひとをなんだと思ってるんだ。
だが二人にとって本家からの呼び出しとは、栄誉よりも先に胃痛を連想させる出来事だったらしい。
そんな両親を見ていると自然と苦笑が浮かぶ一方で、胸の奥が少しだけ温かくなる。
明日の祭儀を前に不安がないわけではない。それでもこうして変わらない二人が傍にいてくれることが、思っていた以上に心強かった。
父は静かに湯呑みを置き、母と顔を見合わせてから改めて私へ視線を向ける。
「頑張っておいで」
その言葉は飾り気がなく、だからこそ長い年月をかけて積み重ねられた親としての想いが滲んでいた。
「うん、ありがとう」
長い間準備を続けてきた祭儀であり、婚約者として過ごしてきた七年間の集大成でもある。
そう考えれば、私たちがしみじみした気持ちになるのも無理はなかった。
「──でもね」
しかし、その後すぐに母は微妙な顔をする。
「明日で終わりじゃないのよ、パパ」
「え?」
「二人が結婚したら、親戚付き合いが続くのよ……」
「あ……」
父の表情が固まった。
母はどこか遠い目をしながら指折り数え始める。
「新年の挨拶もあるし、式典もあるし、お祝い事もあるし……」
「やめて」
父が真顔で制止する。
だが母は止まらない。
「向こうの親戚の顔も覚えなきゃいけないし、たぶん覚えた頃にはまた新しい人が増えてるし」
「やめてって」
「お歳暮とかお中元とか、何を贈れば失礼にならないか考えなきゃいけないし……」
「いや、聞きたくない……」
父の声が若干弱々しくなった。
祭儀前夜だというのに、話題は神聖な儀式でも未来への期待でもなく、親戚付き合いへの恐怖である。
過剰に構え続ける両親の空気を和らげようと、私は手元に用意していた小さな包みを二人の前へそっと差し出した。
「別に本家の人、怖くないよ。ほら、この鼈甲飴も一昨日奥様と作ったの」
その言葉に、両親は同時に息を呑み、包みを受け取る手つきまで妙に慎重になった。
水筑家の奥様と菓子作りなど恐れ多い……という顔で、しかし興味を抑えきれずにそっと小さな琥珀を一つずつ摘み上げる。
口へ運ぶ動作もまた慎重そのものだったが、すぐに母の顔の強張りが緩む。
しかし、口に含んだ瞬間、父はわずかに首を傾げた。
「パパのやつ、なんか味がしないんだけど……」
「あ、じゃあそれは私が作ったやつ」
「なんで……?」
「わかんないの……」
同じ砂糖を分け合って、同じ分量で作ったはずなのに……。
